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芸術を小難しくしているのは誰か?(#30)

そごう・西武グループで2009年から2020年の間に販売された3作家の版画作品10図柄、計71点が贋作である可能性が高いとのニュースがありました。

確かに著名作家の作品です。
ただ、“版画”という技法を用いているので、決して安価ではありませんが、手の届きやすい価格です。

判明した経緯は該当する図柄だけが他図柄と比べ、流通量が多いということからでした。

逆をいえば、真作も一定数量産されていることを示唆します。

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贋作とは「なりすまし」である

そもそも贋作といいますが、何でしょうか?
一言にすれば「なりすまし」です。
もっと言えば「なりすまし」た人物にブランド価値があり、その看板で商売をしたとしたら、それは詐欺になります。
しかし、贋作制作を個人的に楽しむのは問題ありません。
それは人気歌手の楽譜曲をピアノで弾くような行為だからです。
美術ではそれを「模写」といいます。
模写とは真似で、真似は成長への近道です。
だから技術を知る近道として「模写」が用いられます。

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版画とは“コピー”のようなもの

データを扱う仕事をしたことのある方は「版」という言葉に馴染みがあるのではないでしょうか。
分かりやすいのは出版社のいう「版」です。
絶版とはもうその「版」がない、つまり再度印刷できない本を指します。
実はこの版という文字は、版画の「版」と同じ意味なのです。
たとえば、デジタル印刷機においては版を使用しません(=オンデマンド印刷と呼ばれるものです)。
また、出版物などはオフセット印刷ですが、そこで使う版も版画のイメージよりデータに近いです。
ただ原理は版の凹凸の違いこそあれ、同じです。
他方、Tシャツなどにプリントする場合、「シルクスクリーン」と呼ばれるものを使うことが御座います。
美術における版画はこのシルクスクリーン印刷に近いイメージです。
長くなりましたが、版画とは複製を前提としている技法なのです。

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有名なのは浮世絵ではないでしょうか。
浮世絵の中にも肉筆と錦絵と呼ばれるものがありますが、後者の「錦絵」こそが版画です。
19世紀ヨーロッパではジャポニズムブームが起きました。
黒船来航後、開国した日本から万博出展等のため工芸品が輸出されました。
その工芸品の梱包資材として使われるくらいですから、当然複製できなければ対応できません。
つまり真作も贋作もない状態で量産されていたのです。

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※写真 歌川広重『名所江戸百景』
 アダチ版画研究所→ https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_7

どうしても作家の血と汗の結晶の印象が強いため“一点もの”の印象が拭えませんし、それがオークション等で価値を高めた部分は否定できません。
ですが、そうしたものの味方に一石を投じ、量産品を価値あるものとして広く伝えた人がいました。
アンディー・ウォーホルです。

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※Andy Warhol “Campbell's Soup Cans”


彼が一流の芸術家である点は「量産されたものに価値を与えた」点です。

贋作とそうでないものの違いは何でしょうか。
それは「価値を与えられている」かどうかです。
もっと言えば価値を与えられたもの=芸術作品なのです。
誤解を恐れずにいえば、どんなに高級で綺麗な代物といえども、その人にとって価値が認められなければただのガラクタにすぎません。
鉄道に全く興味を示さない妻にとっての、旦那の鉄オタのコレクションのような感じです。

真作の作者の名前は鑑賞者や購入者に「(ある)価値を届けた」に過ぎません。
それは作者の名前です。
従って、“きっかけ”にすぎず、作品に価値を与えるまでには至っていないのです。

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贋作には本当に価値がないのか?
~映画:『美術館を手玉にとった男』より

ところで『美術館を手玉にとった男』(原題:Art and Craft)というドキュメタリー映画を御存じでしょうか。

実在するアメリカの贋作画家の話ですが、彼は捕まっておりません。

何故でしょうか?

実際、彼は「なりすまし」ました。

ただその作家名を借りて儲けることをしなかった(=私腹を肥やすことをしなかった)のです。

彼の手口は自ら製作した贋作を「所蔵している」とし、美術館に寄贈するというものです。
その数はアメリカ20州の46美術館に亘って100作品以上にもなるといわれております。
杜撰な真贋判断に胡坐をかいていたこともありますが、一人に見つかるまで30年間発覚されなかったのです。

この贋作に価値を与えたのは贋作作家ではなく、杜撰な真贋判断に胡坐をかいた管理体制そのものでした。
そして、その美術館という権威を笠に着て本物証明をしたことを結果的に(意図しているかどうかに関わらず)嘲笑い、そこに一流の芸術性を見出しされたのです。
彼の展示会が真作との比較で催されます。

つまり、ここでは「なりすまし」であるというより「売り物でなかった」点に価値が与えられているのです。
言い換えれば、贋作に価値が与えられたとも言えます。

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贋作がお金に動機を求めていたら、芸術性はないかもしれない。しかし、それが良いと思えば良い作品なのだ。すべては購入者に委ねられるものだ。

では芸術性とは何でしょうか?

それは現在の空気を穿つような存在、感覚です。
贋作≠ニセモノではなく、真作=ニセモノもいっぱいあるという意味です。
売りものとして付いた値札は需要であり、作者の魂(精神)の価格ではありません。作者が作り出す過程で生み出した結晶ではあるものの、購入者側はエンターテイメント性や各々のストーリー性に目が行くこともままあります。

しかし、今回の真作側が芸術作品でないと断罪しているわけではありません。

版画作品は紙幣の印刷と似ています。

刷れば刷るほどその価値が下がるからです。
反対に価値を分割して多くの方々の手に届くようにしているとも言えます。

今回の贋作は本当に価値はないのでしょうか。
そこに価値を与えるのは誰でしょうか。
制作者でもなく第三者・購入者です。
つまり、本物とか偽物とかではないのです。

しかし、著名な作家の名前はその当人が培った当人ものです。
購入者が、そこに、その名前に対価を支払ったとしたなら、何かを憂うかもしれません。
高級なものを買ったという行為が喜びという価値を与えるのは多々あります。

だとしたらこの贋作は詐欺です。

作家の名前で購入者を欺いているのですから。
販売先は偽って販売していたので、当然それは許されることではありません。

こういうとやはり美術や芸術の類は「難しい」、「ハードルが高い」とか「分からない」とか言われそうです。

ですが、この際、はっきり言います――「簡単です」。

あなたがとにかく「良い」なり「悪い」なり感じることを誰かにガタガタ言われる筋合いがないのと同じです。
真作だろうと贋作だろうと「良い作品だ」と感じたなら、それは芸術作品であるのです。

そこにそごう・西武や巨匠が口を挟む余地があるでしょうか?

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