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看书:『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』(#1)

インド国民13億人のうち11億人がスマートフォンを所有している。しかし6億人が自宅にトイレがないという。日本ではちょっと考えられない“常識”があるようだ。

トイレがないから犯罪(性犯罪)が起きる、など、“日本の常識”的立場から安直な発言は慎むべきかもしれない。

トイレの有無は根底でヒンズーの教えと結びついており、問題は一筋縄とはいかない(“浄-不浄”の二項対立)。
またインフラのコモデティ化が進んでいない(マンホールのサイズ設計がバラバラ等)点やカーストに由来した貧富の固定化、そして2020年の新型コロナウイルス(Covid-19)により、ますます公共衛生への関心が高まる予感、それら個別的課題でありながら、共通の類似課題は世界中数多あるといえる。
であれば名実ともにトイレ先進国である日本が、トイレ・上下水道の点より何か海外で問題解決の一助になるのではないか。

日本では悪名高い“カースト”だが、この制度を“職の分配機能”から、かのガンジーですら否定しなかったのは発見だった。なるほど、予め職がある状態とない状態で、全く新しい職を選択するにしても心境は違うっていう発想だ。
またカーストには内外があるようだ。“カーストの最下層”とよく言われるがどうも違うみたいだ。制度としては江戸時代に出来た“士農工商”と“穢多非人”の関係に似ているかもしれない。しかし日本ですらこの被差別部落問題が過去の産物になり切れていないし、この制度に対する理解状況からみても、中々根深い問題である想像に難くない。
そのカースト外の彼らは“ダリット”と呼ばれている。日本語で“不可触民”、文字通りである。また私のような外国人は彼らにとってカースト外であるが“外人”の括りか、或いはダリット同様の外の人と解釈されるのだろうか。分からない。しかし、そんな気がしてならない。

ただこの排他的二項対立をどのように解釈、解決していくのかは、内部からでないと難しいのは分かる。
それでも日本という立ち位置は様々な点から中立的を保ちやすい。インドが巨大マーケットだからという視点だけでなく、先人が培った技術の応用と発展的改善は日本国内マーケットの更新の可能性すら感じさせる。その観点から今ある技術と新技術を見つめ直すのも面白いかもしれない。

今回の書籍 

関心の深掘
•昨今の激甚災害や中国での洪水
•インドの新型コロナウイルス情報と公共衛生

次回読みたいトピック
上下水道関連(歴史) ,島崎藤村『破壊』,性産業関連等等

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