「イヤホン 洗った」







つい最近、ズボンのポケットの中にイヤホンを入れたまま洗濯してしまったことがある。防水機能なんてもちろん付いていない。そして時すでに遅し。洗濯物を干した直後に気がついた。

ポケットから使った瞬間にショートしたらどうしようとか、耳をやけどするかなとかぐるぐる色々考えていたら、そのまま使ってみるのもなんとなく怖くなってしまった。


そこで、とりあえずツイッターで「イヤホン 洗った」を検索。


そうすると、私と同じようにイヤホンを洗った先人たちがたくさんいた。思ったより「そのまま使えた」派が多かったので、使ってみることにした。


問題なく使えた。安堵。

実は前のイヤホンが壊れて、新しく買ったばかりだった。(もちろん機種によるし本当は危ないかもしれない。でもラッキー!)





…と、ここまでやって改めて

SNSが日常生活に入りこんでいることに気づかされる。

先ほどのイヤホンを洗った先人たちは、当たり前だけれど全く知らない人たちだし、つぶやいていることが本当のことかどうか確かめようもない。

けれど、不思議なことになんとなく安心感を覚えた。



たとえばイヤホンを洗ってしまったなら、結局は自分で動作確認をするしかないのだが、

「じゃあ自分で確かめてみれば」と言われて終わるのと、

不安な気持ちを少しでもわかってくれたり、同じ気持ちの人がいたりするのとでは、

こちらの安心感も格段に変わってくる。



ただ、こういったとりとめのない(どうでもいい)、会話のゴールが見えないような話を面と向かって話したり、わざわざメッセージで連絡したりすることについて、少なくとも私は気が引けてしまう。

なぜなら、そのほとんどが独り言だからだ。



独り言だけれど、誰かに聞いて欲しい。

そんな気持ちは、だれでもどんな瞬間でもあるのかもしれない。

(もちろんみんながみんなではないけれど)ツイッターはそういった言葉たちが集まった場所だからこそ、私は二重に安心したのかもしれない。




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