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わざと縛られて生きている【思索】

私達の体はとても不自由だ。

空を飛びたいと思っても簡単には飛べないし、瞬間移動もできない。

睡眠や食事も必要で、何よりいつかは死ぬということだ。

なぜこんなのも不自由なのか? なぜこんなにも縛られて生きているのだろうか?

なぜなら、『そうしないと分からないから』だ。

私達は空を飛べないから、別の方法で空を飛ぶことができるようになった。

想いを馳せさえすれば、その場所へ瞬間移動することができる。

実際に瞬間移動はできないけれど、自分の足や乗り物を使っていきたいところへ行くことができる。

そういった努力や工夫によって私達は喜びを感じることができる。

睡眠をとるのは疲れを癒す以外に体を労(いた)わることを知ることができる。

もしも無尽蔵に動き続けることができるのなら体に感謝することはおそらくないだろう。

食事をとるのは生きる以外に命について知ることができるからだ。

私達は一人では生きていないということを暗に教えてくれているのかもしれない。

生きるというのは不自由を知ることなのかもしれない。

わざわざ不自由に生きているのかもしれない。

だからこそ、私達は知ることができる。

自由の意味を知ることができる。

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