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チョコと恋の融解温度

 このイラストは、みんなのフォトギャラリーから使わせてもらっています。ありがとうございます。

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 朝から降り続いている綿雪は13時を回っても止む気配はない。暖房の効いた部屋から眺める分にはいいけれど、外の人にとってはたまったものではないだろうなと思う。スマホのアプリを開いて更新しても、新しいメッセージは来ていない。持て余した暇をどうにかしようと、ハンディモップで本棚の上やら並んだマンガにかぶった埃やらを取ってみるが、すぐに飽きてしまった。今度は冷蔵庫まで行って、包装されたチョコレートを手に取りクッションに座る。4個入りで2000円。デパートの一角にあるチョコレート店で買ったそれはシックな金色の紙に包まれ、青いリボンをかけている。買うのも勇気が必要だったが、渡すのにも勇気がいる。バレンタイン当日に渡すのが恥ずかしくて、違う日にずらした。

 ピンポーン、とチャイムが部屋に響いた。玄関に行き、ドアを開ける。

「おっす杏奈、マンガ返しに来たぜ」

 潤は鼻を赤くしながらにこっと笑い、コートやらくせっ毛の髪やらについている雪を払った。

「大丈夫? すごい雪かぶってるけど」
「いやあ、すごかった」
「馬鹿だねえ。上がんなよ。寒いでしょ」
「悪いね。お邪魔しまーす」

 上げようと思って、うっかりしていた。さっきのチョコをクッションの上に置きっぱなしにしていた。潤は靴に付いた雪を落としている。慌てて部屋に戻りクッションの下に隠したところで、ちょうど潤がやって来た。

「そっち座って。ストーブのそばだから」

 もう一つのクッションをストーブに近いところに置いて、座るように促す。

「ん、ありがと。あったけー」

 潤はコートを着たまま、ストーブに手の平をかざしている。私は台所に行って引き出しから紅茶パックの箱を取り出し、マグカップを2つ用意した。

「紅茶でいい?」
「いいよー」

 電気ケトルに水を入れて、お湯を沸かし、マグカップに紅茶をそれぞれ入れる。横目で見ると、潤はスマホをいじっていた。

「潤、テレビつけて」
「おう」

 テレビからバライティ番組が流れる。誰かと過ごす平穏な一日に、思わずふふっと笑みがこぼれてしまった。そんな私の様子を、潤は怪訝そうに見る。

「どうした?」
「いや、別に」

 カチッと入れたスイッチが戻り、電気ケトルのお湯が沸いた。それぞれのマグカップに注ぎ、紅茶パックを浸す。このタイミングでチョコをだそうかと思ったが、そうすると目的と違う方向に行ってしまうと思ったのでやめた。紅茶パックを捨てて、ローテーブルの向こうにいる潤にマグカップとミルク2つ、スティックシュガー1つを渡した。

「どうも」

 潤はコートを脱ぎ、受け取ったミルクや砂糖をマグカップに入れてかき混ぜる。私も自分の分を持って潤の向かい側に座った。座るときにチョコをテーブルの下に置いたところでバライティ番組が終わり、報道番組に変わった。

『昨今の情勢により新卒採用を取りやめする企業もあり、就活生からは不安の声が上がっています』

 就職活動について、アナウンサーが話している。それから映像は街頭インタビューに変わって、これから就活する大学生の不安の声や、就活したものの内定をもらっていない学生の嘆きなどが映し出される。

「ねえ、就活の準備とかしてるの」

 潤はスマホをいじりながら答える。

「なんだよ。まだ先じゃんか」
「でも来年の今頃、もう始めているよ」
「親みたいなこと言うんだな」

 胸に杭を打たれたような痛みが走った。悪い癖が出てしまっただろうか。

「……ごめん。なんか不安でさ」
「その、全然いやとかじゃないんだけどさ。うーん、そうだねえ」

 いやじゃないと聞いて、少しほっとした。潤はスマホから顔を上げ、さらに考えを巡らそうと天井の一点を見る。

「杏奈は、真面目だし勉強できるし、就活大丈夫だと思うんだけど」
「そんなことない。むしろ絶望しかない」

 潤は吹き出して笑う。私もつられて少し笑ってしまった。

「いや、笑うとこじゃないし」
「だって、杏奈みたいな勉強できるやつでも、就職できるかとか悩むんだなあって」
「そりゃ悩むよ」
「だったら、きっとみんな同じように絶望するんだろうな。来年」

 潤は紅茶をすする。テレビでは『ジョブ型採用を取り入れている企業が~』とかなんとか言っていて、そんなコメンテーターたちを見ながら潤は「去年まで考えもしなかったなあ」とつぶやいた。

「ま、考えすぎるなよ。苦しくなるくらいならさ」

 こちらに顔を向けてそう言うと、潤は再びスマホに目を落とした。

「うん」

 潤はしきりにスマホを確認し、文字を打ち込んでいる。それから突然立ち上がり、コートを着始めた

「悪い、そろそろ行かなきゃ」
「なに、用事あったの?」
「ちょっとね」

 女だろうか。そう頭によぎった瞬間、背筋に冷たいものが通った。

「サークルの人とか?」
「いや、俺サークル入ってないし」
「ああ、そっか」

 トンチンカンなことを聞いてしまった。何と言ってほしいのか、自分でもよくわからないくせに。潤は玄関に向かう。私もそれについて行く。

「紅茶、ごちそうさま」
「うん、また新しいの買ったら貸すわ」

 平然とした顔で言って見せると、潤はにこっと笑い

「サンキュー、助かる」

 と言って出て行ってしまった。ドアが閉まった後も冬のにおいが残っていて、そのまま立ち尽くしていた。しばらく立ったままでいると寒くなってしまって、部屋に戻った。

 チョコをテーブルの上にあげて、しばらく眺めていた。潤が次に行くところは女のところだろうか。そしてその女は友達が多く、性格のいい子だろうか。もしそうならば私といるよりもよほどいいかもしれない。そんなことをぐるぐる考えていた。窓の外は相変わらず綿雪が降っている。

 不意にチョコレートのリボンをほどき、包装紙を取り外した。箱の中にはミルクチョコ、ビターっぽいチョコ、赤いハート形、ホワイトチョコが、小さな箱の中に整然と収まっていた。ミルクチョコをひとつつまむと指先にぬるりと付いた。口に運び、指先に付いたものも舐めとる。咀嚼するたびアーモンドの香りが鼻に抜けるのを感じながら、これは本当に一粒500円の値打ちがあるものなのだろうかと考えたが、答えは見つからなかった。かみ砕かれた破片は唾液と溶け合ってペースト状になり、口内を侵略する。私はマグカップを手に取り、冷めた紅茶を流し込んだ。紅茶の渋さを、いつも以上に感じた。

お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!