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富士山の入山規制は適切か?

 霊峰富士。言うまでもなく、日本の最高峰(3,776 m)であると同時に、2013年、世界文化遺産にも登録された世界屈指の景勝地である。その富士山が、今シーズン(7月初旬~9月10日)から入山規制を強化するという。その妥当性を検討する。


 規制内容の経済学的解釈

 入山規制の議論は今に始まった話ではない。ここにきて急展開を見せたのが実情である。アルピニスト・野口健氏によると、文化遺産登録のリスク要因として引き延ばされてきたようだ(5月2日付産経新聞電子版参照)。昨年12月20日発表の山梨県の条例案は、満を持して利害関係を打破した決断と言える(同日付朝日新聞電子版参照)。この条例案は3月4日の県議会で可決・成立し、4月17日、正式発表された(3月6日付NHK4月18日付毎日新聞電子版参照)。吉田ルート5合目の登山道入り口にゲートを設置して1人あたり2,000円の通行料を義務付ける他、午後4時~翌日午前3時の時間帯に登下山道を閉鎖、1日あたりの登山者数に上限(4,000人)を設けるという。併せて、マナー違反を取り締まる指導員を導入する。静岡県側(須走ルート・御殿場ルート・富士宮ルート)では山小屋宿泊の予約確認や、Webによる登山計画等の事前登録を試行する(富士山オフィシャルサイト参照)。

 各社報道によると、オーバーツーリズムに伴う観光公害及び、夜通しで山頂を目指す「弾丸登山」対策としての側面が強いようだ。

 近年、シーズン中の山頂付近はご来光を目指した登山者で渋滞し、さながら「観光地」の様相に拍車がかかっている。かねてより問題とされてきたゴミ捨てや、外国人登山者が山小屋のトイレで宿泊するなど、マナー違反が顕著になってきた。23年12月20日付日本経済新聞電子版によると、同年のシーズン中は「1日の登山者が4000人を超えたのは5日間あり、登山道で寝たり、たき火をしたりするマナー違反もあった」。

 一方、軽装備で山頂を目指す登山者や、非常識な登山計画で入山する登山者の急増から、体調悪化やけが、事故(遭難・死者)が目立ってきている。3月6日付NHKの報道によると、昨夏シーズン中の吉田口6合目の登山者は、前年比39%増、午後9時から午前0時の間に6合目を通過した、いわゆる「弾丸登山」とみられる人の割合はおよそ2.4%とされる。4月29日付東京新聞電子版によると「昨季の静岡側の遭難者は死亡2人を含む70人に上った」。

 背景には、昨今の「登山ブーム」だけでなく、海外旅行客(インバウンド)の「日本ブーム」に円安傾向が重なり、「観光地としての富士登山」に歯止めが効かなくなってきたことが考えられる。今回の規制は、準公共財(quasi-public goods)としての混雑効果(crowding effects)が逼迫し、外部不経済(External Diseconomies)が顕著となってきた為、一定程度、民営の市場原理の発想を取り入れて、ピグー的課税(Pigouvian Tax)の発想を導入し、社会的費用(social cost)を負担しなければならなくなってきたと解釈することができる。

 筆者は1990年代、夏季に2回(91年・96年)、登頂をしているが、当時はシーズン中とは言え、外国人登山者はまばらだった。富士吉田口(富士スバルライン5合目)から登攀し、8合目付近から頂上に至るまで観光地の様相を呈してはいたが、下山ルート(吉田ルート・須走ルート)は比較的空いていた。マナー違反をする登山者は見かけた覚えがない。アルピニスト・野口健氏が清掃登山を始めたのがその少し後のことだったから、その頃から少しずつ外部性が問題になり始めたのかもしれない。

 混雑効果に伴う競合性の高まり

 富士山は「富士伊豆箱根国立公園」に属するため、一見、市場原理になじまないと思われるかもしれないが、今回の吉田口規制は、静岡県ルートと違って国有地ではないことから規制がしやすかったという事情がある。加えて考えねばならないのが、近年のオーバーツーリズムの経済学的な影響である。公園は非排除性と非競合性の条件から公共財として定義されるが、混雑効果が顕著になると、非競合性を満たす(同時に一定量を消費する)ことが困難となるため、「準公共財」として扱われる。

 例えば、日本の場合、警察や消防は消費が競合するということはほとんどないが、医療や介護サービスは競合する場合があり得る。そのため医療法人や社会福祉法人(介護はNPOその他、民間営利企業)の参入を許し、財源も税・保険料だけでなく、自己負担分を発生させている。原則として保険料を応能負担とし、自己負担分を応益負担とすることにより、公益性と競合性の不均衡を調整し、できるだけ公平に配分するような制度を取り入れている。

 今回の富士登山の規制強化は、オーバーツーリズムに伴う観光地化が過剰となり、8合目から山頂までの渋滞などどいった混雑効果が顕著となったため、消費者(登山者)が競合するようになり、準公共財としての側面が強くなってきた。それに伴い、ただ乗り(free ride)する消費者を無視できなくなってきた、と考えることができる。

 非競合性が長らく保たれていたことは、富士の歴史を振り返れば容易に推測できる。かつて、信仰の対象として登攀していた時代は、登山者の人数が限られていたであろう。平安末期の修験者はほんの僅かだったろうし、江戸時代に富士登山ブームが到来したと言っても、登拝できたのは「富士講」という登拝グループから選ばれた代表者だった。明治以降、女性の登山が解禁され、交通や山小屋が整備されていったが、馬車鉄道や1合目からの登攀は、今よりずっと登山者を寄せ付けなかったに違いない。外国人登山者もまばらだったはずだ。つまり、公共財としての条件が今より満たされていたと考えることができる。富士登山の本格的な民主化は、富士スバルラインの開通(1964年)を待たなければならない。

 外部性の抑制効果

 ただ乗り(free ride)の問題は、外部不経済の観点から顕著になってきたとも言うことができる。本来、非排除性が健全に機能している間はマナーが良く、富士登山の常識をわきまえた登山者が大半だったのが、近年の登山ブームとインバウンドに伴う様々な弊害、例えば、シーズン中の渋滞や山小屋のトイレ宿泊、軽装・無計画な登山に伴う遭難事故、ゴミ捨てなどといった形で、健全な登山者や運営者にとって外部不経済を強いる状況になっている。先ほど「無視できなくなってきた」と述べたのは、混雑効果の高まりで競合性が強まると同時に、外部不経済を発生させる「ただ乗り(free ride)登山者の排除を検討せざるを得なくなってきた」という意味である。

 市場メカニズムの原理を想定すると、外部不経済は社会的費用を発生させる。厚生の損失(welfare loss)が発生するため、その分、社会的費用を負担しないとならない。本来の市場価格より社会的費用を上乗せさせるのがピグー的課税の役割である。この度の2,000円徴収はこの発想に近い。静岡県側の予約確認や事前登録も機会費用を発生させるといった意味で、広い意味での応用と言うことができそうだ。環境負荷を自覚させるといった意味では、環境税(green tax)の応用とも言える。

 今季通行料の収入は3億円と見込むそうだ。噴火対策のシェルター整備など安全対策にあてるという(4月29日付東京新聞電子版)。コロナ禍の影響で入山者の減少が認められたものの、吉田ルート利用者が最も多いことには変わりない(21年9月30日環境省発表 資料参照)。今回の決定はコロナ禍の反動を受けての側面が強いようだが、今後は社会的費用に見合った競合性や外部不経済の軽減、安全対策に投資できるだけの収入や持続的な投資回収率、静岡県ルートへの分散や抑制効果が評価の指標となるだろう。

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