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「くるりのえいが」感想文

岸田氏が何かのインタビューで答えてたように映画制作にあたってはビートルズの「GETBACK」が常に念頭にあってこうしたレコーディングドキュメントになったのでしょう。作りこまれた「結果」としての完パケではなく「過程」としての生々しい映像記録として。もともと僕にとってくるりというのはデコレーションされたきれいな完パケよりも、常にその制作背景やそこまでの過程も気になるバンドの1つなので以前話題になったあのNHKの一発撮りドキュメントがそうだったようにこの映画もとても期待してワクワクして見ました。以下その個人的な感想文を書いてみたいと思います。

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くるりといえばどの時代?と聞かれたら人それぞれ答えは違うだろう。「アンテナ」の時の布陣が最高だという人もいるだろう。たった1枚で消えたクリストファーのパワフルなドラムがなければ間違いなく「ロックンロール」や「How to Go」は産まれなかったと思うし、達身とのツインギターだからこそギターロックとして最高のアルバムになったから。また、ファンファンが入ってからの歴史も何気に一番長くなっていることに驚かされるし、あと最近の若いファンはここ数年のアルバムこそがくるりだという人が多いというのをミュージックマガジンで読んだ。いやいやインディーズ時代、初期メンでしょう、という声もあるだろう。これはもうまったくもって個人の思い入れでよいのだけど、でもくるりの不朽の名作の代表として「東京」や「ばらの花」をあげても異論は少ないと思うしそれができた時のメンバーの集合体こそ最強だと思う人もいるはず。かくいう僕もその1人なのだけど。

この映画は「もし森信行が今もう一度くるりに参加して曲作りの最初からレコーディングして完パケるまで完遂したらどれほど素晴らしい作品ができるだろうか」という、古いファンなら一度は妄想したかもしれないことを現実化したプロジェクトの記録だ。記録といってもただレコーディングだけを映しているのではなく、皆が話したり食べたり飲んだりフォトセッションしたりといわゆる雑観が多い。でもそんなシーンの積み重ねがこの3人の絆みたいなものを醸し出すのに役立っている。

個人的には岸田氏の細かいこだわりが面白かった。立命館大学のこと、ロックコミューンのこと、なにより京都という街に対しての思い入れが半端ではない。同じ京都でも京都市内と亀岡では違う、とか、大学も付属から上がってきた「内部」組と大学からではコミュニティが違うという話など40代後半のおっちゃんが話題にしてること自体がなんとなくおかしい。演奏シーンで出てくるライブハウスもそんな京都の老舗「拾得」。ホームとも言えるはずのここでなぜか少し緊張しているように見える。もう長い間ずっと腕利きのサポートメンバーとライブしているからこの3人だけでやるのは緊張感があるのかもしれない。だからこそ見ててスリリングな演奏だった。「尼崎の魚」はいろんなパーソネルでライブ映像がYouTubeなどでも見れるけど、もっくんの口のなかから何か得体のしれない情念みたいなものを放出しているのではないかと思えるほど張り上げてるコーラスの声に胸が熱くなった。これリズムがコロコロ変わり演奏も難しい曲だけど、決して破綻しない手練れたちが手堅くまとめた演奏よりも僕はこのメンツでの荒っぽさがいまは心地よかった。

そして。最後まで見ていくうちにこれはとても優しい映画だということに気付く。誰も怒鳴らない。誰も舌打ちしない。誰も嘆かない。一発でうまくいかない時でも笑顔を絶やさない。ギター演奏に細かい注文を出して「それなら俺じゃ無くてエリック・クラプトンを呼んできなよ」とジョージにキレられるポールの姿はない。つまりこれは「レット・イット・ビー」でも「GETBACK」でもないことがわかる。

おっちゃんの同窓会みたいなのにはしたくない」と岸田氏は言う。大丈夫、そんなに緩いものには見えないから。では丁々発止の熱くスリリングなジャムセッションが繰り広げられるのかというとそういうわけでもない。これもしつこくビートルズでたとえるなら「アビーロード」のようなもので、最悪のセッションを経てボロボロになったポールがかつてのプロデューサーのジョージ・マーティンにもう一度ぼくらをプロデュースしてくれないかと頼みに行ったときにジョージが「いいよ。昔のやり方でやらせてもらえるなら」との条件付きで引き受けて、結果4人が集中して演奏して結果的にビートルズの作品の中でも1,2を争う名盤になったのと似てる。何を言いたいのかというと岸田氏はオリジナルメンバーで昔のやり方で録音することによって過去を回顧したりただトレースしたのでではなく、今を生きるくるりとしてこのメンツでこのやり方でつくれば必ずいい作品が誕生するのではないかというジョージ・マーティンと同じ希望と確信を持って臨んだのだということなのだろう。そしてそれは成功したと言っていいのではないか。このアルバムにはもう初期の頃のようなガツガツしたやせっぽちのアングリーヤングメンのような咆哮はない。でも曲作りや演奏することを心からリラックスして楽しみ、3人が3人ともこのメンバー同士が産み出す空気感を愛しているのが音源からも映像からもよく伝わってくる。

僕の大好きな英国バンドXTCは結成以来キーボードが減り、ギターが減り、とメンバーがどんどんいなくなり、最後はギターでボーカルでメインのソングライターであるアンディ・パートリッジとベースで同じくソングライターでボーカルでもあるコリン・モールディングだけになったが、それでもXTCの産み出す音楽の質は常に高いレベルにあった。もうこの2人さえいればXTCでいいんじゃない?というスティーリー・ダンみたいな感じに最後はなったが、でもその一方で僕はいつもそこにテリー・チェンバーズのあのバカデカいドラムの音もほしいし、デイブ・グレゴリーの12弦やテクニカルなリードギターの音色もほしいなぁとずっと思ってた。二人だけでも大丈夫だけど何かが足りない。それはくるりにも言える。あくまで僕にとっては、ではあるけど。

素晴らしい。でもなにかが足りない。そんなうまく説明できない気持ちを埋めてくれたピースが今回のアルバムでありこの映画だった気がする。ライブも久しぶりに行きたいな。素直にそう思った。


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