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言語の中動態と文化

中動態の定義が学術的に決着していないようです。私としては、次の図で示すように、文化という大枠から中動態を眺めてみたい。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

ガンジス文明の梵我一如 約3200年前~約2400年前

ガンジス文明が国際性を発揮していたころ、中動態と能動態の対立が生じています。ガンジス文明の梵我一如は、生じつつある自我を梵と同一視して人格の形成を目指す思想です。その思想を、中動態と能動態の対立にかぶせて考えても良いのではないか。つまり、中動態が梵で、能動態が我です。

ギリシア文明の自然哲学 約2400年前~約1600年前

ギリシア文明が国際性を発揮していたころ、中動態から受動態が生じています。ギリシア文明の自然哲学は、自然の成り立ちを神話ではなく言葉で考え始めたところに特徴があります。哲学の始まりです。自我の言葉で中動態をつかみ直したため、自然の勢いを失った受動態が表れたのではないか。

出来事を描写する中動態から、
思想が、能動態を生み、
哲学が、受動態を生んだ。

以上、言語学的制約から自由になるために。

以下は参考文献です。

3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった!

漢字「心」の誕生も三〇〇〇年前――p.64

中動態とは何なのか?

中動相とは何か――p.203