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ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』を読む

この書物は、ヨーロッパ文化における完全言語の探求をたどります。第二章でカバラーに触れていますが、それは探求案の一つにすぎません。

自然言語の不完全さに言及して、完全言語を探求する潮流は、今もなお連綿と続いているのだが、その潮流は1600年頃に変わったようです。

アプリオリな哲学的言語の登場とともにパラダイムの転換が起こる(年代的な意味においてではなく、理論的な意味においてである)。これまで検討してきた著者たちにとって、完全言語の探求は深い宗教的な欲求に鼓舞されたものであったとすれば(第一章~第九章)、これからわたしたちの検討する著者たちのもとでは、むしろ、人類の知性を曇らせて科学の進歩をさまたげてきたイドラのいっさいを絶滅させるのに役だつような哲学的言語について語られるようになるのである(第十章~第十六章)。

――ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』p.312

1600年頃といえば、ヨーロッパは、ラテン語による支配から抜け出しつつあるタイミングです。ラテン語のもとで停滞していた宗教や科学や哲学が、新たな言語場を得て、発達しだすタイミングです。
 1534年、マルティン・ルター、ドイツ語で旧約聖書を出版。
 1620年、フランシス・ベーコン、英語でノヴム・オルガヌムを出版。
 1637年、ルネ・デカルト、フランス語で方法序説を出版。

言語そのものに言及するところが、トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』(1651年)やジョン・ロック『人間知性論』(1689年)にあるようですし、コメニウスや、ライプニッツ(第十四章)も、言及しているようです。

長きにわたる探求のすえ、ヨーロッパ文化は、今日では昨日にもましてひどくなっているかにみえる言語的分裂を埋め合わせてくれるようなひとつの媒介言語を見いだす緊急の必要性にせまられている。しかしまた、ヨーロッパは、多様な言語を生みだしてきた大陸という自分の歴史的天命のことも考慮にいれなければならない。それらの言語は、もっとも周辺的なものもふくめて、それぞれがひとつの民族的集団の「精神」を表現しているのであり、千年にもおよぶ伝統の運搬者でありつづけているのである。単一の媒介言語の必要性ともろもろの言語的伝統の防衛の必要性とはうまく折り合うものなのだろうか。

――ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』p.500

この著者は、第十七章「結論」で、アラブ人のイブン・ハズムの説明「原初の言語はその後にすがたを見せることになるすべての言語をもとから包蔵していた」をうけいれて結んでいます。

神がコーランをアラビア語で下賜なさったのは、ただそれをアラブの民に理解させたいとおもわれたからであるにすぎず、アラビア語に特別の権利があったからではない。どの言語のうちにあっても、人びとはみずからのうちにもとからありとあらゆる言語を内蔵していた原初の言語の息遣い、息吹き、香り、痕跡を見つけだすことができるのだ。

――ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』p.510

以上、言語学的制約から自由になるために。