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ネガティブを芸術に

こんにちは。

必死に毎日を生きているとたまにありますよね、「生きてるのがしんどい」って思うときが(?)

今日はそんなネガティブな気持ちを、できるだけネガティブっぽくない口調で語っていこうと思います(←ココ重要)。

重苦しい文章は、そういう気分じゃない限り読んでると疲れてしまいますからね。

端緒となったのがネガティブな感情でも、それを美しい言葉と旋律で彩れば、誰かの心を揺さぶる一つの芸術になります。

私の書く文章はそんな芸術からはほど遠いですが、読んでくれた人の心の柔らかい部分に、そっと届けばいいな。

『Bohemian Rhapsody』という曲に、こんな歌詞があります。

“I don't want to die
I sometimes wish I'd never been born at all”
死にたくないよ。
だけどたまに思うんだ、生まれてこなければよかったって
(意訳)」

痛々しい思いがひしひしと伝わってくる歌詞ですね。人生を諦めたくはないけど、生まれたことを後悔してしまいそうになる……。
私がわりと頻繁に陥るのは、まさにこの心境です。

今すぐ首を吊って死にたいわけじゃない。誰かに殺されたいわけじゃない。そんな覚悟は全くない。だけど、いっそ生まれてこなかったら…。

私が私じゃなかったら…、今この心が抱えている辛い思いが、きれいサッパリ消え失せるのになぁ。
まぁ、ようはこういうことです。


自分の人生の舵取りを自分が担っているということが、時々たまらなく怖くなるんですね。だから、全てを投げ出してしまいたくなる。

こんな死ぬ覚悟も生きる覚悟も中途半端な自分が嫌になりますが、こういう辛い思いは子供の頃にはあまり感じないものでした。

年を重ねるにつれて、こういう気持ちになることも増えていって……

人生が、自分と向き合うことが、泣きたくなるほどシビアだって気が付いたのは、いつだったかな。

平安時代の歌人の凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が詠んだ歌に、こんなものがあります。

今さらに なに生ひいずらむ 竹の子の
うき節しげき 世とは知らずや
〈現代語訳〉
幼い子よ、どうして成長していくのか。
辛い節々が多いこの世だと、お前は知らないのか。

竹には節がたくさんありますが、筍にはありません。
そしてそれは、人間でも同じです。

子供の頃は皆、この先自分にたくさんの辛いことや大変なことが起こるなんて何も知らない。
だけど成長していくにつれてだんだんと、「うき節」が出てくる。

(「うき節」というのは、「憂き節」…つまり「辛い折節」を指しています。)

「成長していくにつれて、次々に辛い折節と出会うんだぞ。なのになぜ、お前は成長することを止めないんだ。」
と、人生の辛さを知る大人が子供を憐れに思う気持ちが、素晴らしい表現力で唄われています。

生きることの辛さを表現した文章や作品は、この世に山ほどあります。
人は誰しも、何らかの悩みを抱えているものです。

ネガティブな気持ちというのは、確かに疎ましい。でも、そんな負の感情から生まれた芸術は、触れると心にじんと響いてきて、時には安らかな気持ちにさえしてくれます。

モヤモヤとした暗い気持ちを、自分の代わりに形にしてくれているような気がするから。

私は、きっとそのことが、私たちが芸術を必要とする理由の一つなんじゃないかと思います。

気持ちが壊れそうな時に、そっと寄り添って。
辛い世の中を、少しでもくつろげて。

ネガティブな気持ちから生まれた芸術は、その役目ゆえに、尊い。

私は勝手にそう思っています。😌

では今回はこんな感じで。
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また次回~。

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