大好きだった先輩が会社をやめて、一番心に来たこと
大好きだった先輩が、会社をやめました。
同性だけど本当に憧れで、あぁこの人がいるならここでやっていける、と本気で思っていました。
憧れの人が新天地で活躍することは、もちろん喜ばしいことです。
でも残されていく私は、心から「おめでとうございます」とは言えなかった。
憧れの人がそばからいなくなる。
それがどうしてこんなに心細いんでしょうか。
「会えないのが寂しいから」
もちろんそれもあります。
でもそれよりも大きいのが、
「今自分がいる場所は、その人に去りたいと思われた場所なんだと思うと辛いから」。
転校などは仕方ないとしても、転職は本人が望んでそうするものですよね。
本人の意志で、今いる場所を去って、より良い場所に移っていくわけです。
つまり、言い方は悪いですが、今私がいる場所は、憧れの人に見限られた場所だということになります。
そのことを突きつけられるのが、たぶん一番辛いんです。
「今自分がいる場所」という大切なアイデンティティを、すべてその人に依存させている訳ではないですが、憧れの人が同じ場所にいることが、「ここにいて大丈夫なんだ」「ここは価値のある場所なんだ」という確かな安心感と自信になっていました。
その安心感と自信がポッキリ折れてしまって、「この場所」に、ひいては「この場所にいる自分」に、価値を感じられなくなる――
それってすごく怖くないですか?
自分がいる場所を間違えていると思いたくない…なんて、そんなのお前のエゴでしかない、と言われたらそれまでかもしれません。
でもわたしは、いやきっと全ての人間は、いつでも、「自分の選択は間違っていた」と思いたくないんです。
「自分は価値のある場所にいるから、価値ある存在なんだ」と思いたいんです。
努力の先にたどり着いた場所であればなおさら。
自分を無条件で肯定できるほど人間は強くないから、そう思わせてくれる確かな基準が必要なんです。
そして、人によってその基準は違うと思いますが、わたしにとっては「憧れの人がそこにいること」というのがかなり大きかった。
なぜかというと、「場所」と「そこにいる人」の価値がわたしの中でほぼイコールだからです。
美術館にしても、収蔵されているものによって大方の価値は決まります。
会社に限った話ではなく、「この人がいるならこの場所は大丈夫だ」という感覚は、おそらくどこにでもあるものではないでしょうか。
じゃあ、憧れの人がいなくなった後、どうやってわたしはその場所の価値を――ひいては、そこにいる自分の価値を信じていけばいいんでしょう。
おそらく、「憧れの人がいなくなった場所で、自分が何をできるか」ということに掛かっているんだと思います。
「自分がこれをできるから、この場所には価値がある」――そんな風に思えたら、わたしがその場所にいる意味はあります。
そう思えるようになるのは、きっとまだ先ですが。
失ってはじめて、それが自分にとってどんな意味を持っていたのかを知ります。
そして、自分が何を必要としていたのかも。
そういう意味で、悲しい気持ちになった時が、自分を省みてこれからの生き方を考え直す唯一のチャンスなのかもしれません。
文章にすることで、少しすっきりしました。
読んでくださり、ありがとうございました。
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