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悪意の本質

 皆さんは悪意とはどういうものかという認識はあるか?一般的に悪意というのは人が人を陥れたい、傷つけたい、不幸な姿を見たいというドス黒い低俗な欲望の為に悪巧みをし、相手に害を与える文字通り悪辣な意志である。しかし、この悪意がどこから来るのかどのようなものなのかは知っているだろうか?この悪意について自分なりの持論を話していこうと思う。
 悪意については各々考えがあるだろうが、自分としては、悪意とは『人間の意思能力・自由意志の副産物』と自分は考える。つまり、悪意とは一定の自由意志もとい意思能力を持つ存在なら誰がしもが持っているものというものだ。裏を返せば、一定の意思能力がなければ悪意は持てないものである。老人が老衰による勘違いで事件を起こしたケースなども老人の意思能力による悪意が事件を起こしていると考える。意思はときに人間の暮らしを豊かにし、考える行為をすることで、精神的にも豊かになることができる素晴らしいものであるが、同時に悪意を持つことにより他者を傷つけ、害し陥れることすら厭わなくなる悍ましい存在に成り下がる危険性を孕んだ諸刃の剣ともいえる。
 しかし、意思は何も悪意しか産まないわけではない。他者を愛し、慈しむ精神も知恵を持つことができると自分は考えている。意思を持ったことで悪意を孕んだ悪魔になるか、慈愛の精神を持った聖者になるかはその人次第なのかもしれない。


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