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言葉を通しての物・者の認知

 人間には言葉をそれと認知せずにそれを透過して実物とを想起する能力がある。その一方で、「それはやはり言葉に過ぎない」と引用符で囲んでことについて語るために使うメタ言語レベルから対象言語に言及する認知の仕方も採用しているはずだ。役者が役の人物に成りきるように、言葉は言葉が指す事物に成りきるのである。つまり<言葉を通過した、物・者の認知>と<言葉による言葉の認知>を知っている。
 ここで、一つの思考実験をしてみることにする。ドラえもんに”独裁スイッチ"という秘密道具がある。自分の気に入らない人間を思い浮かべてスイッチを押すと、その人物がこの世界から消えるというものだ。それだけでなく、消した人間に関する記憶がスイッチを押した本人以外から綺麗さっぱり消えてしまうのだ。そこで、スイッチを押した本人から記憶を消された人が消された人の名前を教えられると、記憶を消された人にとっては<言葉を通過した、物・者の認知>の認知の仕方か、<言葉による言葉の認知>の認知の仕方かのどちらかというものである。
 ここで、自分の意見を出すと、<言葉を通過した、物・者の認知>と考える。理由としては、物・者のイメージは過去に育てられたものでしょうから、「名前」というだけで消された人が文字列から想起した「ダレカ」をそれが消えた本人に似ているかは兎も角として考えるかもしれません。しかし、その世界に本人はいないので、消した人以外は本人を保証できない。つまり、文字列に名前の意味を記憶を消された人が見いだせるのなら、そこに<物・者>が不明瞭ながら生まれてしまうのである。しかし、例外として、名前の意味を見出せなければ、<言葉による言葉の認知>になると考える。

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