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どこの誰とも分からない人と親しくなる方法

出会いのあり方は人それぞれだ。

・友達の紹介
・元学校の友人や先輩
・合コン
・職場関係
・趣味や習い事関連
・近所
・ネットやアプリ

拙い想像力であげてみた。書き出してみると人はやはり社会的な生き物なんだなと気付く。自分とその周りの【社会的なコミュニティ】と付き合っているのだ。そして大半がもともとの繋がりのある友人関連だったり、用意された環境の中の事だったりする。(合コンだって共通の知人が間にいるはずだ)

それに対して趣味や得意分野の共通点もなく街角で知り合って、赤の他人と親しくなるというのは「もはや映画の中だけの話になってしまった」と言われてもおかしくない時代かもしれない。


「今週末、赤の他人と朝まで10時間くらいかな、公園で遊びまくったよ。」
「街の居酒屋で一回くらいかな、知り合った女の人に交差点で話しかけられた。それで立ち話の延長で、そのまま飲みに行ったよ。」
「全く知らない人の引越しを手伝ったことがあるよ。冷蔵庫がめちゃくちゃ重かったけど。」


特に働き出してからというもの、身の回りでこういったことは自然に起こる。そして、皆それぞれが言わないだけで、個人の中でそれぞれある体験だと思ってたが、上の話をすると色んな人に珍しがられる。


「どこでそんな人と出会うんですか?大丈夫な人達なのですか?」
「街角とか、ふと何かの目的でその場所に行ったときにたまたまいるんだよな。そして、なぜか出会う人はお人柄も申し分ないんだよなぁ。あー、あと直感的に運気が下がるなと感じる人からは身を引くようにしている。」


夏の間公園で遊んでいた時に知り合った女の子のことを思い出す。


自分が帰ろうとしたその時に数倍も体格がデカい知人が取っ組合いの勝負を引っ掛けてきた。なぜだかギャラリーの大半は知人に味方しており、どう技をかけようとしても自分が吹き飛ばされるか、組み伏せられるかの勝負の行方が分かっていた。

「それでも、この状況は行くという選択肢しかないよな。」

大半が味方無しという状況の中、想定通りやられて帰った。ところがそれをみた女の子が「あれを見て思ったんです。優しい人だなって。」なんてことを後日言ってきた。

‐優しい?あの自分が!?何を見て?‐
脳みその処理を超えた混乱が巻き起こる。

「そういう感触がしたんですよ。」とあまり言葉数を並べることなく彼女は言った。感触という言葉はその時から一つの大きなキーワードとなった。

たしかに、赤の他人から親しくなる時というのは結局この感触しか頼りにならないなと実感する。社会的な関係から繋がるケース、仕事は何をしていて、どこに住んでいて、どんな友人がいて、趣味が何でといったところから自分との共通項を探っていく。

しかし個人的な出会いというのは「この人は大丈夫な人か、優しい人か、何かが起こりそうか」といった感触を声や温度、全身から感じ取ってやりとりをすることでしか発展しない。なので聞かれれば答えるが、基本的に仕事の話や世間体の話、身内の話はしない。

目の前に旨そうなアイスがあったら、その見たまんまの感触の話をするだけだ。

自分にはそういう出会いがほぼ無くて、と言ってきた人が過去いた。そういうときには決まってこういう話をする。「昔、てめえ自身の幸運が信じられねぇのか!と言葉を向けてきた人がいた。なるほどな、確かにそうだなと思ったよ。モノも人も景気が良い方へ行く、だから景気良く生きることを選択すると良いと思う。」

京都の街で女の子と再開した。


先斗町と呼ばれる飲み屋街を一緒に歩いてご飯を食べるところを決めよう、という話をした。その直前まで色々なお店の口コミや情報がi phoneの中にストックされていた。

しかし、会った直後ストックした情報をすべて捨てることになる。「感触」を頼りに自分の足でお店を見つけるべきだと頭が直覚した。なぜ慣れない土地で、しかも、京都でそんなことをやっていたのかが今となっては不明だが、「ここだ!」という感触があったお店に入ることにした。

湯豆腐や牛筋煮込み、その他色々なものを食べたが忘れてしまった。どの料理も手を掛けられていて大層旨かった。


「なんであのお店だって一回で分かったんです?私は京都に移ってから色々なお店行きましたけど、ハズレを引くことも多くて。」
「活気があるか、特に人の気があるかといったところを嗅覚から感じ取るんだ。たしか、昔コーヒー屋を探していて道に迷ったときも同じだったな。鼻に集中してなんとなくあの方向にあるな、と思って行くと本当にあるんだよ。」
「えー!犬ですか。」
「雑種っぽいけどな。」


一通り食べ終わった後で鴨川で一服したくなったので、お店を出て川を歩くことにした。抜群に空が良く、川からも星が見れた。街の真ん中にこういう場所があるのが京都のずるいところだ。

それから甘いものを食いに行ったり、翌日モーニングを一緒に食べたり抹茶飲んだりと、とにかく美味しい記憶しか残らなかった。

それで、生け花には縁も所縁もなかったけど、彼女から華道の展示の招待券をもらうことになる。展示名が「花の力」だった。

止観というのか、生きてる花を切り取ってきて静止している作品を作り、その中に動きを見せるというやつだ。形だけでなく、創り手側のエネルギーが作品を通じて見えた。凄まじい量が。

4フロア展示があって、2フロアみたところで受けとるキャパシティを軽く超えてしまったので、一緒に見ていた彼女とちょっと落ち着かせようということで、昼の鴨川に逃げてひたすら川を見ていた。


「とんでもなかったな、花の力。」
「タイトルそのままでしたね。華道とかどうかなと思ったんですけどそういうのが分かる人を誘ってよかったです。」
「しかし、生身の身体には堪えるな・・・。よく皆平気で見ていられるな。」


鴨川は穏やかに、そして力強く流れていた。体内に受けきった衝撃をゆっくりと流してくれるかのように水が運ばれていた。


力が抜け切ったのか、いつの間にか彼女が自分の膝の上で寝ていた。
対岸を見るとそこには、挙式前の花嫁と新郎のデモンストレーション。
隣からは外人がライブに向けて鳴らすギターの音色。

会うの2回目なんだけどな、それで何でこんなことになっているんだろうなと思ったが、考えるのをやめた。とにかくこれだけ遊びに付き合ってくれた赤の他人だった女の子に感謝しよう。

昼を食べてから、実家の広島へ帰る彼女が改札前で手を振って言う。

「どうか、お元気で!!」

まるでナウシカのような台詞と光景だった。こういう場面で使うんだ、なんて清々しい言葉なんだ、と知ることができた。

東京への帰り道は足取りが軽かった。



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