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ラ・ヴォス 消えた世界 弁証法編

「際限のあるもの/なきこと」

際限のあることととは、ここでは目標にしたり、Lvが具体的にあるもののことを言う。
例えば、英単語12000語を覚えるなどである。
 一方、際限のないこととは、ここでは目標にしたりできず、Lvが具体的に存在しないことを言う。例えば、無尽蔵にあるクイズを解くなどである。

「詰めること/詰められないこと」

形のあることは、詰められる。例えば、将棋で詰むと言うことは、ある終わりがあるということである。すなわち、対称性があり結果が大事なことである。
 一方、形のないことは、詰められない。例えば、その訓練方法、訓練自体に重きを置くパズルを解くということは、非対称であり過程が大切なことである。

「際限があり形のある詰められることと、際限がない形のない詰められないことの大小」

明らかに後者の方が大きく、前者の方が小さい。

「事実の大事/信条の大切」

際限があり形のある詰められることは、結果や事実が大事であり、それを重要視するのに対して、際限のない形のない詰められないことは、過程や信条が大切である。

「小さな結果と大きな過程の衝突」

この2つのことの衝突こそが、求められている弁証的な世界である。
それは、ハンバーグを食べたいひとと、ベーグルを食べたいひとが弁証的にハンバーグベーグルを食べればよいということでもなく、明らかに、高度な「衝突後の世界」(終末の世界;ラ・ヴォス)が存在する。
 この世界は、結果の質と過程の量に依存し、“消えていった何らかのことが回収される世界”である。この“消えた”という表現をなぜ使っているかというと、例えば,英単語を覚えていたとする。
すると、英単語をいついかなる形で覚えたかがわからなくなることがあったり、詰将棋をしていて、実戦とどう結びつくかわからないという世界が実際に存在する。この自分ではわからない“消えた世界が”がこの小さな結果の質と大きな過程の量の衝突の後に、わかっていくということである。
 これは、ブラックホールに落ちた世界のように“消えた世界”が明らかになると考えられる。

「塩と水、銃弾と物体 弁証後の世界」

パスタを茹でるときに、触媒となる塩を少々と水大体1000ml入れると思う。
これだけでは、何もできない。
パスタを入れ、それで茹でるのである。
このパスタを入れる道具がまさに、一つの終末;ラ・ヴォスの世界なのである。
 一方、ある銃弾がある物体に撃たれ、一緒になって動いた世界、この衝突後の世界が2つ目の世界のあり様であるといえる。

「不言の裏と有言の表」

質とは、結果でわかり不言実行されることであり、量とは、過程でわかり有言実行されることである。これらは、裏;不言実行と、表;有言実行でわかれており、その方がよいものである。

終末論のまとめ

⑴あらゆる結果と過程は、何かを調理するためにある(塩と水

⑵撃たれた物体は一体となって異なる世界を創り出す(銃弾と物体


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