母が、私に言った、ありがとうが悲しかった日。


あの日は、朝いつものように、4時頃起きて母を姉のアパートに迎えに行った。玄関で声を掛けても返事がない。 おかしいと思い少し大きな声で来たよーと言うと、アパートの中から 動けないよー、と言ううめき声が聞こえた。 

私は、慌ててどうしたか聞くと、転んで動けないから玄関の鍵を開けられないとの事。 姉にメールしても返事がない。 仕方なくセコムさんに電話したり、鍵やさんに電話したりしても、来るのに2時間かかると言われた。

また姉にメールして、事情を説明したら上の階に姉の娘がいるから、鍵を貰ってくれと言われ、 姉と妹は物凄く仲が悪いので、外で大騒ぎしていたのが妹だと思い騒ぎに気づいていたが、無視をしていたようだ。

やっと鍵だけ開けてもらいもう娘の姿はなかった。中にいる祖母を確認せずに二階の自分の部屋に戻ってしまいました。

私が、急いで部屋に入ると母が倒れていて、後から娘が来たので救急車を呼んでもらい私だけ車に乗って病院に行きました。 しばらくして姉が孫を連れてやって来ました。

診察してもらい,骨は折れていないので入院は出来ないと断られました。でも一人では動けなくなってしまいました。 これはいつもと違う。 週に一度十時間一緒にいたのでそれはすぐに分かった。 取り敢えず帰ることになり、病院を出る時に姉は母に 動けなくなって車椅子になったら施設だからって言ったよね?と言いその約束の言葉を母に投げかけていた。

少し興奮した口調で母にその言葉を言った。

今まで,半年ほど面倒を見て一度も母は私にありがとうと言った事がなく、施設に入れるからと言われたとたん、急いで施設を回避する為に、嫌々私と姉にありがとうと、言葉を発した。

私は,いいようのない深い悲しみを味わった。

感謝の為のありがとうではなく、自分を守る為のありがとう、、、。

なんだか無性にやりきれない思いだった。

その後姉は,呑気に孫に救急車来たねーと、嬉しそうに孫とたわむれていた。

一度姉のアパートに帰り、母の荷物をまとめ、別な施設を取り敢えず手配して、一旦母を施設に預け、またアパートに行き母の支度をしていたら、施設から電話がかかり、今度は熱が出たから泊まりで預かれないと言われ、途方にくれた。

そして,また熱が高くなり、今度は姉が電話で救急車を呼んで,二度目は姉と私で救急車に乗った。でも,受け入れ先の病院がなかなかインフルエンザだと入院できないと、どこも断られたが救急隊員の方にあちこち探してもらい、やっと病院が見つかった。

その時の姉と言うは、精神の疲労が限界に近づいていた。

施設を出る前の母の目に光ったものが、こぼれたのが見えたが、私の方が泣きたい気分だった。

やっとの事で検査してもらい、お医者さんには今度はきちんと泊まれる施設を探しておくようにと,注意され、大変でした。

看護婦さんには、自分の持病とかを洗いざらい訴えてやっと母を入院してくれるように無理を言って、手配して下さりとても感謝しています。

やっと入院手続きが終わり、家に帰ったのが夜中の3時頃でした。

母が泣くのは、自分の為が多い、、、。

ありがとうは,自分の未来の為に言ったのか、、、。

母は、いったい何ものなんだろう。

今は、施設にいます。

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