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バイブス論。共同体としてのDAOがテンニースの「社会進化論」をブーストするかもしれない話

年末怒涛の忘年会・イベントで「バイブスぶち上げ〜!!」と何回言っただろうか。また、耳にしただろうか。私の周りだけかもしれない。

「バイブス」は今からちょうど10年前、2013年の流行語大賞らしい。

2013年、私は高校一年生だった。「ご機嫌よう」が挨拶だった校則の厳しい女子校に通っていた私は平成ギャルに憧れながらも流行り物を斜に構えて見ていたため、恥ずかしながら流行語全盛期にバイブスという言葉を使っていなかった。

本年DAOやNFT、クリプト界隈に来てから「バイブス」こそが今後10年の中心になってくるんじゃないかと思っている。

2種類のコミュニティ(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト)

ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニースはコミュニティを「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の二つの型に区別した。

ゲマインシャフト:
ドイツ語で「共同体」を意味し、地縁や血縁などによって深く結びついた自然発生的なコミュニティのこと

ゲゼルシャフト:
ドイツ語で「社会」を意味し、利益や機能・役割によって結びついた人為的なコミュニティのこと

テンニースは、近代化に従って「ゲマインシャフト」から「ゲゼルシャフト」に変遷していき、その過程で人のつながりは疎遠になっていくと「社会進化論」の中で唱えている。

これまでの日本のコミュニティ

高度経済成長期を迎えるまで、多くの日本人は「村落共同体」がアイデンティティだった。生まれた土地に根付いて親の職業を継ぎ、自分が生まれ育ったコミュニティのなかで人生を送る。村ならではのしきたりや、一見非合理に見える関係性の中で時に守り守られ共同体として存続していた。

高度経済成長を迎えると、人々は生まれ育ったコミュニティから「企業」というコミュニティに所属するようになる。企業への就職を機に都市部に引っ越しをする人も増える。

「企業」と捉えると利益を追求する「ゲゼルシャフト」のようにも感じるが、『武器になる哲学/山口周』の中ではこの時はまだ日本を覆うコミュニティは「ゲマインシャフト」であったと書かれている。

いわゆる三種の神器「終身雇用=一生面倒をみるよ」「年功序列=年長者を大切にしよう」「企業内組合=団結して個人を守ろう」の3つがあったからだ。これは村落共同体における暗黙の前提になっていた約束事と似ている。高度経済成長期の日本企業は、戦前からあったゲマインシャフトを別の形態を受け継いでいたと考えられる。

現在日本では高度経済成長期以降続いていた、企業の「三種の神器」が危うくなってきている。定年の年齢も引き上がり、年金も給付額が下がっていくことが想定されている。リスキリング・副業や転職の需要は高まり、同じ企業に勤め続けることが当たり前でもない。

バイブスで繋がるゲマインシャフト

多くの日本人にとって、ゲマインシャフトの役割であった「企業」という存在が危うくなる場合。また、核家族化や都心部への人の集中が今後も続くと仮定した場合に、これまでのゲマインシャフトの役割は何が担うのだろうか。

ここ10年くらい、あっちこっちで言われるようになった「多様性」。

特に都心部において、地縁も血縁もない、肌の色も性の価値観も異なる有象無象の中で、私たちが共同体としてアイデンティティを感じることのできる居場所はどこにあるのだろうか。

バイブスの正体とつながり

冒頭で私が言ったような「バイブス」を感じる人たちには、世代や性別は異なれど、人生のどこかで「同じ物語」があったんじゃないかと思う。読んできた本や聞いていた音楽。同じドラマを見たら、同じシーンで涙するような感覚。血液型や四柱推命、算命学が同じとか、そういった感覚。

私は、そんな人たち同士が繋がるために「同じ物語」を表現するアートが必要なんじゃないかと思う。

SNSでは「多様性」が強すぎて本音を言えない。ノイズが多すぎる。(クソリプがうざすぎる。)そもそもお前とはバイブスが違うんだから私の世界に入ってくんなよってなる。

少し前に流行ったオンラインサロン。これはクソリプやアンチを恐れずに「こういうバイブス!」って表現活動をした人たち、旗を立てた人たちに人が集まる構造だった。村落共同体というよりは宗教団体のような構図に近い。

今、少しづつ世の中に広がってきてるWeb3型(自立分散型)のコミュニティ(DAO)。
ここに私は希望を感じている。歴史が浅い、というよりこれからその時代が来るくらいのものだが、NFTアートとの親和性が高いことからも「人」ではなく「アート」が中心にくる性質が高い。

今巷で名前が上がるようなNFTアートは既視感のあるテイストが多い。
「新星ギャルバース」はどこかセーラームーンを思い出させる。「強い女の子」「ギャル」「戦う女の子」に共通の物語がある人が自然と集まるように
思う。

「NEO TOKYO PUNKS」も攻殻機動隊やAKIRAを想起させる世界感がある。当時のアニメにワクワクしていた世代、どこかヒーローっぽい気質の人が集まっている。

強烈な匂いが発される、「同じ物語」を持った人たちにはわかるアウトプットを中心に彼らが集まる感覚は村落共同体に近い心理的安全性と、共感から生まれる一体感がある。

これはNFTがなくても発生しうるコミュニティだが、よりゲマインシャフトとしてのつながりを強固にするもの、村落共同体でいう「土地」のようなコミュニティ文化と代替不可能性の高い「存在を示すもの」の役割としてNFTは有効な手段だと思う。

2024年はよりクリプト界隈も大きな動きが出てくると予想されるが、これが日本人のゲマインシャフトの中心になりうるのか?という問いを持って期待したいなと思う。



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