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市民運動を軸にしたローカリズムが起こり、豊かな農業と食べものづくりをめざすところに人が集まるようになる

2000年に『スローフードな人生…イタリアの食卓から始まる』を上梓されて以来、スローフード精神の根幹である食べ手と作り手とのつながり、そして何より食べることそのもののあり方を、アクティブな取材力を持ちながら冷静な眼差しで大切に見続けてきた島村菜津さんが今回のゲストです。イタリアでスローフード運動が起こってから30年以上の時が経ち、これからまた30年の歩みを刻んで行こうとする今、島村さんが見えてきた食の未来とは?

photo by Miyuki Yamada

(しまむらなつ)福岡県出身。東京芸術大学芸術学科を卒業後、毎年数カ月をイタリア各地で過ごしながら旅や美術、映画などの記事を寄稿。イタリアの食の思想を4年間にわたり取材した『スローフードな人生! …イタリアの食卓から始まる』(新潮社)を2000年に上梓し、日本で初めてスローフード運動を紹介するとともにそのブームの火付け役となった。著者多数。近著に『シチリアの奇跡(新潮新書)』(2022)、『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学(光文社)』(2023)、『コーヒー 至福の一杯を求めて バール文化とイタリア人 (光文社未来ライブラリー)』(2023)など。


地方の自治体から起こり始めた大きな食のムーブメント

――2000年にスローフードのことを書かれてから20年以上が経って、どうですか? 何か変わりましたか?

島村 スローフードの本がきっかけとなって農家や漁師の現場に行くことが頻繁に増えて来て、私のようなとりたててグルメでもないフツーの人間が四半世紀見てきたことを言わせてもらうと、2000年の頃、農家の数は380万人を超えていて漁師さんは21万人を超えていました。それが、その後も順調に減って、今では農家は168万人、そのうち7割が兼業で、漁師はほぼ専業とはいえ13万人です。それに、ここ7、8年で、農村を歩くと、高齢化の波が一気に押し寄せていて休耕地が猛烈な勢いで増えています。魅力的な料理人は増えたけれど、いいものを作ってくれる生産者を守ろうというスローフードの理念は、まだまだ浸透していないってことです。

――農家の人手不足が懸念されていると。

島村 作り手がいないということは、グルメの世界においても「あなたたちが食べたいその素材を誰が作るの?」という危機的な状況であることは間違いない。といって、将来的には私はあまり悲観してはいないんですよ。もちろん、簡単、速い、安いが一番だとか、効率よく栄養補給したいとか、何でもいいという人はいつの時代もいるし、そのニーズに答える食産業は廃れないでしょう。でも、本質的な危機をどうにかしようとしたい動きはあって、その成果を大いに期待しているから。自分の残りの人生は、できるだけそうした活動を応援していきたいし、その方が楽しいですもん。

――動きというと?

島村 ローカリズムです。これは、スローフードを書いたときからの私の悲願なのだけど、言うなれば“ヨーロッパ的な”ローカリズムの波が、ようやく日本で起こってきているように感じます。今まで埼玉や千葉という東京近郊の生産地は、一大消費地である東京に捧げる食材を効率的に作るということを何十年もかけてシステム化してきたわけでしょう。これに対して、ようやく現場から、何か違うんじゃないか? という声が出始めた。これには、インバウンドによるプラスの影響も多少はあると思いますね。

――インバウンドといえばオーバーツーリズムが問題となっていますが。

島村 確かに騒音や人混みで地域の人たちの静穏な生活環境が乱されるとか、ビミョーなものを売っているお土産物屋さんやエセ地元グルメみたいな店が増えるのは困るけど、一方で、他者の目が入ることによって、自分たちの住んでいるところの価値が見いだせる視点ができた。たとえば、自然の豊かさだったり、水の良さだったり、地域の食文化だったり。そんなかけがえのない地元の財産を守ろうという市民たちの活動ができて、そこに自治体の長たちも率先してその方向に舵をとろうとする地域が各地に出てきて盛り上がっているんです。

――自治体というと、なかなかスピーディーに動かないというか動けない何かがある印象があります。

島村 一つには、国が動いたというか、農水省の『みどりの食料システム戦略』を立ち上げたことも大きいんじゃないかな。2050年までに耕地面積に占める有機農業の取組面積の割合を25%(100万ha)に拡大しよう! 化学肥料を30%減や農薬を50%減にしよう!といった政策。ヨーロッパの人に言わせると、2050年は遠くない。その頃には政権も変わって誰も責任とれないよとなるし、ハイテク農業とセットで批判も少なくない。それに、そもそもこれって2030年までに有機農業を25%に拡大しよう!というヨーロッパの構想をまねたものかと思っていたら、最近、この政策作りに携わった方々にお会いし、訂正されたんです。17年ほど前から温暖化対策を本気で進めようという農水省の一派がコツコツ取り組んできて、ようやく具体化できたのだと。彼らは、長く変わり者の農業などと言われてきた有機農業は、今では最先端の農業と断言してましたよ。それから、「大地を守る会」初代会長の藤本敏夫さんが亡くなる前に農水省に提出した建白書も参考にしたそうです。たとえば、循環型の田園都市や里山に通う半農生活の人を増やすことで、ストレス社会や子供の健康、過疎化や都市の過密といった問題を解決しようと。そうした市民の声も映した『みどりの食料システム戦略』のおかげで、地方に補助金も出て自治体も一歩を踏み出せる環境が整ったと言えます。

――おもしろい活動をしている自治体の具体的な例を教えてもらえますか?

島村 まず、里山や海に魅せられて通っているのは千葉県のいすみ市。有機農家もほぼいなかった米どころなのに、たった4年間で全13の市内の小中学校すべての学校給食を地域で作った有機米に切り替えたんです。これができたのは、まず太田洋市長の鶴の一声、そして農林課の鮫田晋さんとこれを支えた上司たちの力が大きい。彼はもともと民間企業の営業畑でばりばり働いていたそうですが、何かが違うと感じて、公務員になっちゃった。いすみ市を選んだ理由も、サーフィンが好きだから海の近いところへって理由なんだけど(笑)。「やらない理由を探さない」という民間企業の第一線で鍛えられた考え方がある。まったくの農業の素人がゼロから勉強し、自分も有機米を育て、市民団体を巻き込んで、挙句の果てには、元生物教師と、自ら小学校で環境教育までして、今も給食の有機野菜を少しずつ増やしている。移住者も増えてますが、有機米給食によるメディアの宣伝効果だけでも大した貢献です。でも、逆に言えば、これまでの日本は〝官〟が動かな過ぎた。何も変えないことが出世につながるからか、それが一番の日本の弊害だったけど、ようやく、良い風が吹き出したなあと思えるような素敵な街です。イタリアにはこんなスーパー公務員が地方にたくさんいるのよ。こんな人たちがたくさん出てきたら時代は変わるなという、その筆頭が鮫田さんです。実行力があってリーダー気質で、今、全国的な給食に地域の食材を活かし、有機化を進める運動の中心人物です。

農業合法人みねやの里代表・矢澤 喜久雄さん(右)といすみ市農林課農政班・鮫田晋さん(左)。
photo by Natsu Shimamura

――自治体が、そんなスピード感で動けることがスゴイです。

島村 40年ほど前から小さな取り組みは各地にあるんですが、自治体が、市民の協議会を軸にして、ここまで有機に取り組むのは全国で初めてじゃないかな。いすみ市に触発されて各地で同じような動きが出ている。それと、これもユニークなのが、京都府の亀岡市。市長の桂川孝裕さんは東京農業大学を出ていて専門がランドスケープ。だから、どんな地域にしたいというヴィジョンを描ける。桂川市長は、今年の2月、有機農業の推進に向けて『オーガニックビレッジ宣言』をしたんです。亀岡市は京野菜の生産地でもあるんだけど、京野菜が世界プラントとして認知されるためにもこれからはオーガニックだ! ということで、非常にスピーディーで具体的です。亀岡駅の北側に広がる広大な土地を、亀岡市の所有にして、そこで今年から給食用の有機の田んぼも始まったんです。

――ここは国の『みどりの食料システム戦略』の交付金を活用したんですかね?

島村 『オーガニック・ビレッジ』は、この戦略の一環で、有機農業を増やし、市民が地元の健康的な食材をもっと食べられる仕組みも作ろうという街づくりですが、これにも補助も出る。すでに91の自治体が手を挙げているそうです。そうそう、亀岡市は「かめおか霧の芸術祭」というイベントもやっていて、「霧がたちこめるから暗くて嫌だ」みたいなネガティブな要因を、「霧は大地の呼吸だ、霧があるからこそおいしい果物や野菜が育ち、人が豊かに暮らせるんだ」というポジティブな発想に変換していく。有名作家の作品を展示するだけが芸術ではなく、芸術とは住んでいる人の生活に役立ってなんぼであるという思想のもと、野菜が育つこと自体が芸術であると、ただ土に埋まっているニンジンを飾ってみたり(笑)、人間と土とのつながりの象徴で絶滅危惧だという土器のたこつぼを展示したり、発想がすごくおもしろいのよ。イベントの中心にあるのは未来を背負っていく子供たちで、子供たちの心と体の成長と、それに欠かせない豊かな食を謳うから、いい意味で内向きなんだよね。そうそう、亀岡市では、脱プラ化も進んでいて、無駄にペットボトルを使わせないためにあちこちに給水スポットがあって、住民だけではなく旅人もマイボトルで自分たちで水をくむ。「亀岡のおいしい水」プロジェクトをかかげて。コンセンサスをとるのがうまいなと感心します。

――おもしろいです。こういう形が、島村さんの言われるヨーロッパ型のローカリズムってことですね?

島村 どの自治体でも、どんな活動にしても、新しいことを始めるのは、最初は苦労すると思うんだ。有機農家も、夢を持って移住した地域で「お前がいると虫が増える」なんて言われると凹むよね。でもこの町では、市長が『亀岡オーガニック・アクション』という活動に組する新規農家を一軒ずつ訪ねて、畑で一生懸命彼らの試みを聴く。すると、農家のモチベーションは上がるじゃない。自分たちがやるぞと、アイデアも出て、街づくりに前のめりになっていく。市長は、この町に移住した先進的な生協活動の市民にも意見を訊き、面白い事例があると聞けば、そこにすぐ出かける。こういう風に、自治体の敷居が低くなって、職員が街に出ていく地域で、市民から積極的に広がっていく活動って見ていてうらやましいなと思う。振り返ってみると、かつての日本にも市民活動はちゃんとあった。でも、最近はずっと下火になっていた気がします。日本では、政治の主体が官で、ある意味、無関心。でもイタリアは違うんだよね、基本的に政治の主体は市民であるという意識が、割とちゃんとあるから。政府に任せておけばなんとかなるという考えはほとんどない。根本的に政府を信じていない。だから、自分たちでなんとかしなければ、と思う。ローカリズムが育っていく時には、そういう考え方が核になる。活気のある町では、役場の職員も、まず市民として横並びで動いているんです。

――いすみ市にしても亀岡市にしても、役場のなかに〝市民運動課〟があるようです。

島村 そういう時代です。太田市長も、桂川市長も「有機農法を増やしましょう」「学校給食を良くしていきましょう」となったとき、たとえば、いすみ市では『自然と共生する里づくり連絡協議会』のように市民を中心にした協議会をまずつくって、無駄なことに経費をかけないで動き始めた。そういう市民参加型の町づくりが、これから拡がっていくでしょうね。たまには遠い人の意見も発想の転換には役立つけれど、偉い先生がやって来て、地元のことはよくわからないのにアドバイスして、構想を作ってといった従来のようなやり方はもう時代遅れなんでしょうね。あともうひとつね、私のイチオシは農協の動きなの。

農協のような〝動かせる〟団体が動くと日本は変わる

――農協ですか? 場所にもよるのでしょうが、いいイメージがありません。

島村 でしょう? 我々のジャーナリストの先輩方は農協というと「どうせ農薬を一番売っているところでしょ?」「変わらないよ。戦後、選挙票とともに育ってきた癒着団体だよ」とか言うでしょ?左翼系はたいていそう。でも、そろそろ、そんな時代じゃなくなってきたんですよ。だって、国が「みどりの食料システム戦略」をうたっているんだから「農薬が一番の売れ筋です」なんて言おうものなら抵抗勢力になってしまう、とある会長は公言しています。農協にとって得策ではないはずです。地元のおかあさんたちが「子供たちに安全安心な食べものを食べさせたい」と願っている現状で、そこに寄り添わない農協ってなんなの? ってことになるでしょう。

――島村さんが、ここはいいと思っている農協はどこですか?

島村 そこで本気で応援しているのは、茨城県JA常陸。組合長の秋山豊さんと組合員、元組合たちを中心にしたの子会社の「JA常盤アグリサポート」の職員たち、常陸大宮市の鈴木定幸市長、指導者の松岡尚孝さんらがタッグを組んで、昨年から給食用の根菜類、今年は米と、7ヘクタールも有機に変えた。それにおいしい。市長は、2027年は市内15の小中学校の給食の米をすべて有機にすると公約し、日本初の100%有機化を目指すなんて言われてます。東京の供給地だった農協が、このレベルでやり始めると、日本は変わるよ。

――ほかにも何か動くきっかけがあったのでしょうか?

島村 7、8年前から休耕地が増えていって農協が危機感を持っていたこと。「アグリサポート」は休耕地対策で生まれた会社だけど、もう託される土地が100ヘクタール近いそうです。その後、コロナ騒動が起こったでしょう。東京から周辺の地域に子育て世代の移住がぽつぽつ出てたことと、ロシア-ウクライナ戦争があって化学肥料や家畜のエサとなる穀類が高騰したよね。農家はこれまでほぼ依存してきた輸入のそれらが危うくなった。小さい酪農家は廃業するし、高齢化は進んで田畑は荒れる、まずい、自分たちでなんとかしなくちゃいけないと、今までのやり方を変えるチャンスになったんじゃないかな。冷静になって足元を見始めた。そうすると、季節によって変わる身近な山の風景や流れる川が見えてきて、そこに子どもたちがいて。農協の直売所は、コロナ禍にむしろ売り上げを伸ばした。身近なおいしいものだから。グレタさんを筆頭に世界中で若者たちが声をあげている。ならば、今が潮目だと。農家の増収を考えた時、付加価値の高い有機農業をひとつの柱に据えるのは、ごくまっとうな考え方だと秋山さんは言われている。一方で孤軍奮闘してきた有機農家が、亀岡のように地域を変えようと市民活動に参加する人が増えてきた。でも、大きな物流を支え、影響力もある農協が動けば、これは大きなうねりになっていきますよ。

茨城県の県北・常陸大宮市で子供たちがさつまいも掘り。
中央のグレーの仕事着が給食の有機化を掲げた鈴木定幸市長。photo by Natsu Sbimamura

そこに行けばおいしものがあるという楽しさ

――生産者側の話としてとてもおもしろいケースの数々でした。今度は食べる側の話として、最近、ローカル・ガストロノミーという言葉をよく聞きますが、島村さんはどう思われますか?

島村 試みとしてはいいけど、エセでは嫌です(笑)。大事なのは風土、歴史に至るまで地域の食文化の魅力を、地元の人たちが共有できるかだと思うんです。昨年、ジョージアのワイン会があって、その会場に中国のワイン大会の審査員もしているボルドー在住の英国人のワイン評論家、アンドリュー・ジェフォードがいた。彼に、「なぜ、ジョージアのワインに興味があるのですか?」と聞いたら、「だって、世界中のワインがフランス由来の4つの品種だけになったらつまらないじゃないか」と言うわけ。彼は、「土地の味」という表現をしていたけれど、今、興味がある国はポルトガルとイタリアとジョージアなんだって。それらの国には、ブドウ品種が極めて豊富で何百種類もある。そうした在来品種で造られたワインは、今までの「おいしいワインコンテスト」では評価されない。そういうものが、これからおもしろいって言うのよ。私が好きなのはたぶんそっちだ! と思ったね。そもそも絶対的なおいしさというものにまだ疑問を抱いているし自分のなかの基準が、やっぱり、どんどんそっちに向かっている。

――わかります。ちょうど島村さんがスローフードの本を書かれた頃、山形の「アルケッチャーノ」の奥田政行さんも注目されてきていて、おもしろいなーと思いましたもん。さらにユニークな店が出てきていますか?

島村 ローカル・ガストロノミーの名のもと、「ミシュラン」のような格付け系の本に掲載しているような店ではなく、を期待しているでしょう(笑)?

――はい(笑)。格付け系も、それはそれですごく価値があっていいんですが。

島村 わかるわかる(笑)。基本的に、居酒屋とか老夫婦のおばんさい屋的なものが好物ですし、外国から友人が来たら、そんな店ばかり案内します。スローフードが、90年代末に作った『オステリア・ガイド』の掲載基準は地産地消、伝統料理。でも一番好きだったのは、価格帯が「おじいちゃんがかわいい孫のためにご馳走できるような店」だった。だから三ツ星は載らない。おじいちゃんにはランチしかご馳走できないかもしれないけど、今、すごいなと思っているのは、埼玉県秩父の「クチーナ・サルヴェ」というレストラン。坪内浩さんというシェフは、幼少時代にひどいアレルギーだったことをきっかけに、小川町で研修し、年間160種の野菜、小麦、ハーブ、養鶏もやる循環型の有機農家になった。専業農家でもできないレベルです。最近は自作の食材を中心に、添加物なしの独自のイタリアンを構築し始めて、まだまだ伸びしろのある方ですね。障害を抱えた女の子が1日も休まず、働きにくるような畑です。レストランが肩肘はらずに社会に貢献し、地元の暮らしの一部になっている。

――HPを拝見しましたが、シェフというよりほとんど農夫さんでした。

島村 でしょう? 次男さんが隣で秩父の地ビールをやっていて、レストランには注ぎたての地ビールが運ばれてき、長男さんは上でホテル経営。兄弟で地元を盛り上げて行こう! という姿勢も、何だかヨーロッパ的で楽しそうです。あと、東京・石神井にある「ダ・フィリッポ」。ピザ職人の岩澤正和さんは、かつての職場で職人に指導していた時、アレルギーを持つ職人の手が、国産小麦を使うと荒れないことに気づいたそうです。国産の本格的なピザ粉を作りたくて30社くらい電話をしたんだけど断られ続けて、最終的に北海道の江別製粉だけがOKした。そして、2年くらいかけてブレンドでいいレベルのピザ粉が完成した。農水省助成も出たそうです。最近、NHKの特番にも出た。店にも面白い人が集まるようになって先日も250もの国産小麦を学ぼうというパン屋さんたちのネットワークを作った方に会いました。自給率はまだ低いけど、国産小麦もまだまだ楽しくなりそうですよ。

――今回のお話はすべてオーガニックに関わることですが、遺伝子組み換えとか、大豆ミートとか、そういうものはどう思われますか?

島村 そのフードテック、あまり理解していないんですが、大豆ミートとか昆虫食の話ですね、極めて人工的な。遺伝子組み換えは、乳がんの取材をしていたときに遺伝子組み換えの抗がん剤が効いた人たちに会ったから否定はしない。でも、食物への遺伝子組み換えはやっぱり違和感がある。種だって洪水や干ばつに対応する力を長い歴史の中で獲得してきたわけです。これは、名もない人類や他の生き物たちとの共同作業でもあり、共通の遺産だと思うんです。その遺伝子の一部を組み換えただけで、種の特許をとるのは、どうも解せない。それに筋肉が五倍の鯛やフグを未来の救世主だと言って、すでに国内でも養殖されてますが、そんなものが必要ですか? 何よりフードテックに舵を切る前に、人類が長い長い歴史のなかで編み出してきた食べ合わせの妙とか、地域独自の保存食や発酵食、精進料理のようなすばらしい世界があるわけだから、まずは世界中の地域に根ざす食文化を見直すことが先なんじゃないかなぁと強く思いますね。

――人口爆発や気候変動の問題があるからフードテックが必要なのだ、という意見がありますが。

島村 私はエコロジーを説く人たちのビッグデータをそのまま信じることがどうもできない。実際に自分で確かめたことでまずは考えたい。水不足や飢餓という問題を抱えるサハラ砂漠にも行ったけれど、確かに、砂漠の生活は厳しい。きれいな水がただで出る国は世界中に本当にほとんどなくて、日本という国は改めて恵まれた特殊な島国です。この価値に今気づかないとまずいと思いますね。とはいえ、アフリカの地で暮らす人たちはその風土にあった食文化を育てて、それによって生き残ってきたという事実をもっとリスペクトするべきだと思う。遊牧の民、ベルベルの人は継ぎはぎだらけのテントのなかで、泥水のような井戸水の上澄みをとって何度も沸かし直して煮炊きをしたり、お茶をいれたりする。主食は何かというと、乾燥に強い穀類や瘦せこけたゼブ牛から絞ったミルクや素朴なチーズで、フレッシュな野菜や肉なんてほとんど食べられない。ここで毎日30種の食材なんて健康理論は通じない。でも、風土に適応し、悠久の昔から生き残ってきた。

――自然と共存してきた人間のたくましさですね。

島村 我々人類は、世界各地の多様な風土や気候に合った食文化を紡ぎながら、ずっと生き延びてきた。そのことはものすごく尊い事実だと思う。だから一部の先進国側が自分たちの価値観を世界中に押し付けるのはどうかな?と思っている。今回は30年後のインタビューだけど、その前に人類は、何とかここまで生き残ってきた。ここ50年くらいの食のあり方の変化が、環境面でもいろんな問題を引き起こしているわけで、うんと長いスパンで考えていくのが得策でしょうね。あまり危機感を煽るのは好きではないし、ポジティブなエネルギーのある場にしか人は惹かれない。もっと肩の力を抜いて、食べ物を真ん中にして人間と自然と食べ物との関係を見直してみる。まあ、それがスローフードの肝なんですが、自然に近い気持ちのいい場所で、気持ちのいいごはんを食べてみる。そういうところから見えてきたもので、自分なりの物差しを作り直して身近なところを見直していくといいんじゃないかなと思います。その「気持ちのいいところ」が地方には今、たくさんできつつある。

――それが、ローカルガストロノミーということですね。

島村 私は性格的に「ねばならない」が嫌いで、毎日の生活を考えると便利なペットボトルのジュースも飲む人間だから、虫の大群を前に農薬一滴もまくな、とは言えないし、減農薬でも立派だと思っています。でもひとつの象徴的なこととして、できるだけ30年後、50年後、100年後も豊かな農業と食べものづくりをめざそうとしている地域が育って欲しいし、そうしたところに人が集まっていけばいいなと思う。東京のマンションに住みながら通うのでもかまわない。そこに行けばほっこりできる場所というか、間違いなくおいしいものがある地域が増えれば、私も通いたい。そこに通ったり、そのうち移住したりする人が増えれば、これに応えるように心地よい食の場所が各地に増えていく。そうすると日本も地方から変わっていく。新しい経済も生まれ、国も豊かになっていくんじゃないですかね。日本のローカリズムはまだまだ伸びしろしかありませんから。

インタビュー・構成/土田美登世

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