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(補充)裁判員になった話3

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「判決」

裁判長が指定した日になると、法廷で被告に対し判決が言い渡される。
「主文、被告人を○○とする」
といったアレである。

裁判員裁判の対象が「一定の重大な犯罪」として定義されている以上、ここで主文後回しなどのいわゆる「確定演出」が発生することもある。
もちろん、その内容は裁判長たちと裁判員に選ばれた者が自ら行ったものなのだが。

私の参加した裁判では、経緯が経緯のため、執行猶予なしの懲役となった。

あまり報道で触れることはないが、懲役刑となると未決勾留期間というものを、懲役した期間として計上する。
これは裁判で判決が出るまでの間、取り調べで拘置所に入れられていた日数のことである。
いくつかの理由で、実際に入れられていた日数とイコールになることはないが、だいたい100日程度となるらしい。長い。

「最後の仕事」

判決が言い渡され「内容に不服がある場合は○○日以内に届け出るように」との通達をしたところで、裁判は終りとなる。

裁判は終わるが、裁判員としての仕事はまだ残っている。

判決後、裁判長たちと裁判員たちは共に評議室へ戻る。
ここで、裁判員裁判に参加した感想や意見などを紙に記入するのである。
また、今後の流れの説明と、記念品の配布も行われる。

裁判長「裁判員裁判に参加したという記念のバッジなんですが、こんなのどこで付けるんでしょうねえ」

謎のバッジ
謎のバッジの文書

裁判長の意見はごもっともである。
それはともかくとして、裁判員、補充裁判員には、地裁ごとのシリアルナンバーが記載された金属製の記念バッジが配られる。記念品としてはなかなか良いものだと思う。

もちろん、付ける機会は全く無い。

「ここからは任意です」

前述のような手続きを行ったところで、裁判員としての最後の仕事が始まる。
記者会見である。

記者会見への参加は無論任意である。
名前こそ出さないものの(勝手に名乗ってもよいが)、基本顔出しで記者と対面での対話により、場合によっては写真や動画を撮影され、めでたくフリー素材化する。
会見には基本裁判所職員の方が目を光らせており、裁判員の個人情報につながる質問や、時間の厳守などの対応を行う。

特にすることもない私は、記者会見に参加したが、特に聞かれることもなく終了した。
だが、記者の質問の本番はここではない。

「離れてください!ここから入らないでください!」

記者会見を終えると、いよいよ裁判所から堂々退場となる。
だが、正門前で先程会見場で見かけた2人が何かを言い争っている。

「門から離れてください!関係者以外は敷地に入れられません!」
「どういうことですか!憲法で認められた報道の自由に反します!」

言い争っていたのは、先程の会見の番人であった裁判所職員の方と、記者会見で取材を行っていた、地元最大手の新聞社の記者である。

報道でしか見られない本物のバトルが目の前で繰り広げられていることに一瞬テンションが上ったが、記者が私を見つけた瞬間にこのバトルのトロフィーとなってしまった事を理解し、面倒臭さが押し寄せてきた。
ゲスの極まりだが、厄介事は外野から見るに限るのである。

周囲を見回しても、出口は正門以外にない。
車で来た他の参加者は、既ににドアトゥドアのプライベート空間に逃げ込んでいる。
私は、諦めて正門へ向かうと、記者は職員への攻勢を中止した。

「政権打倒のお誘い」

敷地の内側一歩手前、向こう側で獲物に目を輝かせる記者を前に、一人で裁判所を守っていた職員の方に質問をした。
「これ、出たらどうなるんですか?」
聞くまでもなく、裁判所職員の方の力が及ぶ範囲など、わかりきったことではあった。
「こちらとしては感知しません」

結局、正門を一歩踏み出したところで、私は記者の餌食となった。
質問されるのではなく、あちらから矢継ぎ早に持論を展開され、名刺と「裁判制度で国民を苦しめる現政権を打倒しよう」といったことの書かれた赤文字の手紙を渡された。

こうして、何が一番印象に残ったのかわからない、一週間と一日に及ぶ(補充)裁判員の仕事は終わった。

「日当振り込み」

長時間に及ぶ市街散歩と、駅前の居酒屋に寄って帰ってから数日、日当が振り込まれた。
ちなみに、当時の会社では公休扱いとなっていたため、有給休暇を消費することなく、かつ公休間の賃金も出たため、かなり経済的余裕が出た(確認したが、裁判所も当時の会社もこのような二重取りは特に問題ないとされた)

また、交通費に関しては事前に説明があったように、本籍地からの計算となっていた。
このあたり、離れて暮らしている大学生、新社会人の裁判員は特に気をつけよう。

「ちょっと来て語ってよ」

その後、数ヶ月ごとに裁判員体験者の集いや、体験談の講話のお願いといった封筒が届く。(このようなものが届くと思っていなかった私は、いよいよ裁判を受ける側になったのかとまたビクビクすることとなった)

裁判員裁判自体は会社を休めるが、そうでないことではなかなか休みづらい。実際、私がこれ以降このような集まりに参加する事はなかった。
(もしかしたらこのときに例のバッジを付けるのかもしれない)

「全て終わって」

あれから数年が立つが、二度目の名簿登録の通知は来ていない。
実家の家族や友人、今の会社の人達からもそんな話を聞くことがないとなると、本当にごく少数派なのではないかと思ってしまう。
ちなみに、一生に一回は選ばれる程度の確率だそう。

そんな確率の裁判員の、さらに数少ない補充裁判員になることは今後一生ないのだろうと思うと、改めて貴重な一週間だった。

これらのnoteの体験談が役立つ人がいたとすれば嬉しいのですが、おそらく私と同類なので普通に参加してくださいね。くれぐれも常識的な私服での参加を……

おわり。

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