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ネタがない。

何か書かないとなあと思いつつもう24日。どうもこんばんは。彗月はづき 漣太郎れんたろうです。いや創作について書いていたのだけど、『これ書くぐらいなら小説にしろよ』となってしまい1万文字を没にした。設定だけはある。ぐぬ。


現在1:12。寝ろよ。と思うし眠いのだが、なんかもうずっと眠っているので悲しくなってきたのだ。かといって何か出来るわけでもないので近況報告しか書けないのだが、ただただ眠ったり落ち込んでいただけなので目新しい事はほとんどない。

念願の秋HUBオフ会。

今月最大のイベントだった。VRCの方々とオフ会をさせていただいた。脱出ゲーム屋さんの東京密室に行ったのちにゲーセンをぶらついたり大戸屋に行ったりと、人との交流を久々にした気がする。

いや、人との交流自体はしているのだが、(リアルでは)初対面で烏滸がましいかもしれないが、いわゆる『友人関係』なるものが暁人とパートナーの薺の2人しかいなかった上に、ありがたい事にこの二人はなんというかほぼ実家のような関係性だし、訪問看護の利用者交流は赤の他人(赤の他人だが4時間ぶっ通しでおしゃべりをしたりする)(無言が怖いオタクが集まるとオタクの話題をフル活用して喋り続けてしまう)なので、特定の共通趣味を持つ集団行動自体があまりにも久々だったのだ。中学生以来じゃないだろうか。

ちなみに脱出ゲームは『警察が捜査のために監獄に潜入する』というもの(捜査隊のラストチャンス)だったのだが、VRC上ではほぼ全員が裏社会の人間なので、ここにいるの囚人側じゃねーかとなっていた。

秋HUB、正直なところ治安が最悪と聞いてかなり警戒していたのだが、たまたまその日の運が良かったのかびっくりするような蛮行を見かける事はなかったように思う。あと思ったより全然トイレが綺麗だった。よかった。強いて言えば店外席だと風が吹き込んで時々肌寒いぐらいだろうか。寒さが苦手な人は今ぐらいの時期だと羽織るものはあった方がいいかもしれない。ちなみに3リットル酒を飲んでいたので私は特に問題はなかった。おいしかった。

地震の義援金のキャンペーン(だった気がする)で
一部ドリンクにチョコがついてきた

生かされる。

さーてここからは暗澹たる話しか出来ないぞ。面白いものが読みたいならここでページを閉じなさい。いやある意味面白いとは思う。人の不幸は蜜の味だし、蓼食う虫も好き好きだからな。

本当に大きなイベントといえばそれぐらいだったのだが、メンタルがぐちゃぐちゃになったりして動かない日がまだまだ多い。なんなら今日(昨日)(寝るまでは今日なのだ)も夜になるまで布団から起き上がれなかった。飲まず食わずでぼんやりしながらたまに意識を飛ばしたり飛ばさなかったりで過ごしている状態に虚しさを感じていた。

特に落ち込みが激しい時なんかは死ぬ方法ばかり考えていて、それが自分で理解出来ている時ならまだいいのだが、落ち込み(というと軽く聞こえるかもしれないが、落ち込む、というのは、酒タバコ薬自傷が生活に支障をきたすレベルで酷くなる状態を指す)を超えて、ほとんどパニックのようになってしまっている場合、どこか衝動的な悲鳴が漏れ出る事がある。いや、パニックの場合でも自覚はあるのだが、自分でも抑えきれないほどのなにか苦いものが止まらなくて、自殺衝動に変わり始める。首吊り場所を考えたり、何度も書いたような遺書を書き始めたり、敢えて治安の悪い事をしようとする。

治療前なんかはもっと酷く、海に服を着たまま沈んでみたり、何リットルも酒を飲んで泣きながら床に座り込んだり(これは今でもやる)、コートの中で自縛して半裸で歩いたり(絶対にコートの前を開けたり人に見せるつもりはない(加害したいわけではないため)し、汚したり捲れたら困るから座らないし、アレコレ落っことしたらまずいのでタイツだけは履く)していた。他にも色々していた。

まあ社会性に縛られて何も逆らう事が出来なかった家庭育ちの都合上、悲鳴といっても当然、絶叫するような事は出来ない。せいぜいが布団をボフボフと叩きながら声を殺して泣き続け少しだけ呻いたり、暁人にぐずぐずとLINEをしたり、髪の毛を毟ったり、物をちょっとだけ乱暴に扱ったり、やけ食いしたり、余っている薬を全部飲んだりするぐらいだ。

(今回はおかげさまで薬も管理下になったし、最初に自分からクソ真面目に全ての薬を預けていたし、それでも余ったのはそっと貯めていたが基本的には余りは調整してもらっていたので貯薬が少なく、大事には至っていない)(薬でひっくり返るのはとても楽になれるが、いい加減になりたいのだ。なので、自分でも治療に向けてきちんと指示通りにしたいという気持ちだけはある)

そんな事が数日前にあり、そこから翌日、パニックはほとんど治っていないものの、2時間だかそこらだけ寝て朝マックのためだけに早起きした。間に合わなかったが。(デリバリーの朝マック受付が思ったより早く終わっていた)パニック状態にある自覚はあるので、回復に全振りするために部屋の温度を上げ肉を食い、カイロと湯たんぽを使ってとにかく寝てなんとかパニックから落ち込み(強)ぐらいまで回復したところで、宅食でお世話になっている方から夜ご飯のお裾分けがあった。

温かい豚汁とピーマンの肉詰めと卵焼き

なんだかどこもかしこも見計らったかのように助け舟を出してくれやがるのだ。

暁人には当然全てを曝け出しているし、なんなら今回のパニックでは私のために安心して観られる動画を作るかまで検討までしてくれた。(本当にやりかねないのだ)のでまず回復行動に移れた。(長らく安心して観ていたはずの実況者が、最近なんだか少しずつボロが見え隠れしていると悩んでいたのと、そのため、代わりに再生するための音楽リストを作るザッピング時に、思いっきり地雷ネタを踏み抜いてしまったのが今回のパニックの原因だ)

ただ、助けてもらっている身で本当にわがままでしかないのだが、暁人とは物理的な慰めが基本的に不可能である以上、やはり限度があるのだ。どうして私には今すぐ隣に座ってなでてくれないのかと八つ当たりをしたことさえある。(赤ちゃんか?)

そんなタイミングで出されるご飯は美味しすぎた。以前にもそんなタイミングでお裾分けをいただいている。暁人には伝えているが、大家さんや訪看さんには基本的には(すでに何かしら衝動的に事故を起こした事後報告以外では)業務外の連絡をしないし、宅食さんに至っては、まず宅食自体もいまはお休みさせてもらっているので、部屋に監視カメラでもない限りは知りようがないのだ。………………あ、あるのかな……。

助け舟を出してくれ“やがる”。

と、書いた。別に死にたいわけではないが、『助けないでいてくれたら、心置きなく死ねるのに』とか、『あと少しで終わらせられたのに』いう気持ちがずっとある。途方もない治療と、いつ社会復帰できるか分からない罪悪感と、生きるためにやらなくてはいけない様々なこと(食事から排泄、風呂、掃除洗濯なにもかもだ)の全てから解放されるのは、憧れないと言ったら嘘になる。

小説も書かなくなってしまえば、もしかしたら、かつて、書かなければ生きていけないと思い込んでいた執筆、こんなもの、自分の呼吸なんかではなく、ただの趣味、ただの遊び、誰も必要としない自分への最安値の娯楽でしかないのかもしれないと最近は諦めがついてきたところだ。だから、いくつも溜め込んだ大好きな小説が書き終わらないまま死ぬ事に、最近は躊躇が薄れてきた。

なのに、周りの人間はまだこのうんこ製造マシーンを生かそうとしてくる。まあ当然、事故物件にしたくないとか後味が悪いとか、そういうのはあれど、今のところ生きていて特に何か価値を生み出すものではない。なのに周りの人、特に暁人は生きているだけでいいと言われているし、実際本当に生きているだけで本当に感謝してくれるし、そこまでするのならきっとそれが私の価値なのだとなんとか思い込もうとしている。

が、これだけの仲であっても私は永遠の二番手であるし、それに全く異論はないが、奴の人柄ならいくらでも二番手三番手は作れるに違いない、と思っている。毎度甘えて酷い言い方をしてしまうわけだが、多分きみは私がいなくても生きていくよ、と信頼していないところがある。ので、それだって僕が生きる理由にはならないのだ。

家族だってもういないようなものだ。というか、まあいまだに毎日夢には出るし全然忘れられないが、家族に至っては死んでから後悔しろぐらいには思っている。憎む恨むではないが、多少びっくりすればいい、くらいの気持ちだ。私が家を勝手に出た時もさぞ驚いたようだったが、ぶっちゃけ私が生きている間は結局後悔なぞせず、頭の狂った親不孝者の娘が誰かに拐かされた、という認識でしかないようだったから、和解が成立するわけもない。それはもう諦めたので、それなら私ばかりが必死ぶっこいて生き延びるのではなく、少しは向こうにも背負ってもらおうじゃないか。そんな気持ちである。

なのに、生かされる。

もう何十年も、これは我ながらそれなりの楽しいワードなので流用するが、首に縄をかけたまま、つま先立ちで、縦に置いたレンガの上に立っているような気分なのだ。自分では中々それを蹴飛ばす事ができないから、足場が倒れるのを待っている。当然全身が痛くてしんどくて怖い。そんな状態だ。なんならぐらついてもうだめだ、そんな時に誰かがヒョイッと一瞬だけ支えに来る。また死ねなかった。まだ死なずに済んだ。そんなのをこれから何十年続けるのだろう。

次回予告。

今はなんも無理だ。

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