中世は暗黒時代なのか?「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」を読んで思ったこと

皆さん、中世の世界観はお好きですか?
コンピュータRPGにしろ、コミックにしろ、中世という時代は創作物によく出てきます。騎士道物語のような牧歌的なロマンの世界として描かれることもあれば、戦乱が起こり、変な病気が流行っている暗黒時代として描かれることもあります。

ところがそういう創作物におけるイメージというのは実際の歴史学者から見ると「全然ちゃうやん!!!」というレベルで間違っているものが多いんだそうで、この本ではそういう誤解に一つ一つ証拠をあげて反論していく……という形式を取っています。

まあ、読んでもらえれば分かるんですが、著者は結構キレてます。TVドラマとか、漫画とかのイメージで中世を語る学生にも相当キレてるんだろうなと思わせるところや、インターネットにおける自称歴史研究家の素人に相当嫌な思いをしているんだろうな……と思わせる所がいくつもあります。

特に後者は、私も「香辛料が保存料のかわりに使われていたというのは間違いだろう」と長年言い続けているのに、未だに色んな所で「いやそんなことはない」との反論をもらうので、分かる気がします。否定しても否定しても次から次へと湧いてくるので、徒労感が半端ない。

この本をおすすめできるのか?

そもそもファクトを書いて欲しい

この本をオススメする前に、これだけは知っておいてほしいのですが、この本、普通に間違いがあることが、あとがきで指摘されているんですよね。

たとえば、フィクションを広めた張本人として、たびたびジュール・ミシュレが登場するが、ブラックはこの歴史化が当時の一次史料をいっさい引用すること無く中世観をでっち上げたかのように説明する。しかし、これはミシュレの戯画化というものである。実際のミシュレは多くの一次史料を参照・引用しており、その歴史家としての業績はもっと正当に評価されるべきだ。

大貫俊夫・文 「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」あとがきより

ファクトとフィクションという本で、ファクトを無視していいんだ?という衝撃の展開であります。この時点でオススメして良いものなのだろうか……?と不安になってきます。おまけに、本文にかなりのミスリードを書いて、訳注で指摘される始末。

さらに、たとえ魔女の一般的な定義を最初に確立したのが15世紀のカトリック神学者たちだったとしても、ほとんどの魔女狩りは、ドイツやアメリカ植民地のようなプロテスタントの諸地域で、世俗の指導者たちによって行われたのであり、カトリック教会の指導者達によるものではなかった。〔実際は一部のカトリック地域でも激しい迫害があった/訳者

WINSTON BLACK 著 大貫俊夫 訳「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」P313より

この本はかなりカトリックを擁護していまして、これは中世の悪いことは全てカトリックのせい!という雑な認識に辟易しているからなんでしょうけれども、少なくともこの部分は実際の迫害を無視していたりとかなりお行儀の悪さが目立ちます。

中世の定義をコロコロ変えるな!

さらに、記事を書いているときに、気がついてキレそうになったんですが、この本における「中世」の範囲もコロコロ変わります。というか都合に合わせて中世の範囲を著者がその都度変えているんですね。

例えば、まえがきではこのように書いています。

しかし、中世ほど誤解され、捏造された時代はないだろう。476年の西ローマ帝国雨の滅亡から1492年のコロンブスによる最初の大西洋航海まで(もちろん500年頃、1500年頃の他の出来事でもよいが)の千年間を振り返ると、(後略)

WINSTON BLACK 著 大貫俊夫 訳「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」P7より

また第一章でもこう書いています。

学者や一般の人々は何世紀にもわたり、おおよそ西暦500年から1500年に渡る千年間が中世だと語ってきた。

WINSTON BLACK 著 大貫俊夫 訳「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」P20より

つまり、500~1500年の間を中世とする……ということで、進めていきます。この後にも、色々な例示が出てきますが、どれもこれもこの期間を中世としています。

ところがですね……後半のペストの話になると、突然その定義が変わるんです。

私達が中世と呼ぶ範囲はおおよそ西暦750~1350年を指すことが多いが、その期間、ヨーロッパにはペストもその他重大な伝染病もなかった。

WINSTON BLACK 著 大貫俊夫 訳「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」341Pより

いきなり400年ほど期間が短くなります。400年分のディスカウント、あまりにも大胆すぎて最初は気が付きませんでしたからね。お前、まえがきの中で中世は千年ほどの期間とか言ってたけど、この定義だと普通に600年の期間しかないやんけ!!なお、ここでダイナミックに中世の期間を短くしたため、この章では1347~1352年にヨーロッパに到達したペストは、見事に中世の範囲に入らなくなっています。あまりにもひどすぎる。

自説を主張したいがため、中世にはペストはなかった。ということを言いたいがために、中世の範囲を恣意的に伸び縮みさせるのは、ゴールポストを動かすとかそういうレベルではありません。

いくらなんでも学術方面を売りにしている本でこれは駄目でしょう……。

ということで、残念ですが、この本の信用度は最低レベル。こういう書き方をするのでしたら、他の部分でも嘘やミスリードを混ぜ込んでいるのではないかと不安になってしまいます。正直な所、一旦回収してこういう誤解を招く部分は全部書き直した方が良いのではないでしょうか?

逆張りマンにならないのだろうか?

上記の問題もあるのですが、内容もちょっと分かりにくい構成になっていると思っていまして、「フィクションをファクトで切る!」と喧伝しながら、実施はフィクションの一部分だけの否定だったりして、分かりにくい部分があります。

例えば「中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた」というのをこの本では「フィクション」と切って捨てているんですが、その主張は「実際には騎士だけじゃなくて、歩兵もいたし、弓兵も重要だった。一騎打ちをするような騎士は実際はトーナメントなどが盛んになった平和な時代に作られたイメージだ」というものなんですよね。騎士自体は否定していない

じゃあ、「中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた」部分は別に間違いでもないじゃん。なんで章のタイトルがこうなっているんだよ。学術的正確さより扇情的な見出しを選んでるんじゃないのか?とかなりイライラする部分でもあるんですが、これに加えて構成が非常に分かりにくく、結論を最初にまとめて提示などはしてくれないので、触りだけ読んだ人が「中世の騎士は嘘!!俺は勉強したんだ!」と明日からネットで豪語する姿がありありと想像できて嫌な気分になります。

通説は嘘!というの、歴史系の話で定期的に出てくるんですけど、どうもそういうのは人をひどく気持ちよくさせるなにかがあるらしく、書いてないことを勝手に読み取って豪語する人間をわんさか量産する傾向があるので、ここは言葉選びに慎重になっても良かったのではないでしょうか。

ということで、情報の整理も兼ねて、後ほどの章で私の方で著者の主張と、その中に出てくるファクトをまとめておこうと思います。

まず、あとがきから読んで欲しい

この本なんですけれども、実はあとがきが1番わかりやすいです。訳者の大貫俊夫さんが書いているんですが、この本で指摘されている中世観がどのように生まれてきたのか、最新のファンタジーにつながる中身まで含めて非常にスッキリまとめているので、とてもわかりやすいです。(なんと、葬送のフリーレンについての言及まであります)

特に、「私達が歴史観を構築する上でみられるくせ」に関する3つの指摘は、これだけでも読む価値があると思わせられます。ていうか、この人が本編も全部書いたほうがいいんじゃ……?

内容に関してはあまりにもすっきりまとまっているために、ここで紹介しようとすると、全文コピペとかになってしまうので流石にできないのですが、私なりに、そうそう、歴史ものの本を見るときってこういう問題があるんだよな……と思ったものをまとめておきます。(あとがきを読んで、私が思ったことであり、直接以下の文章が本に書いてあるわけではないのに注意)

  • 一つの史料で全てを断言しないこと

    • そもそも史料は一部しか現代に残らない上に、平凡な日常は書き残されません。一つの資料をもとに、この時代はすべてこうだった!と断言するのは性急すぎる行為ですよね。実際には地域によっても大きな違いがありますし、イレギュラーな事件だからこそ、史料になって後世に残った。ということにも留意しないといけません。

  • 史料のないものは議論の対象にならないことを理解すること

    • 「そのような史料は確認できなかった」なら、それで議論は終わりなんですよね。「史料にないが、私はこう思う」というのはただの想像であり、議論の対象にはできません。例えば、「与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか」と聞かれても、「そのような史料はありません」で終了になります。「史料には残っていないが、与謝野晶子と力道山には繋がりがあった」と言われましても、それは勝手な想像の話であって、史料がないものに関しては「ない」が答えですよね。

  • 中世の範囲をきちんと把握すること

    • 中世の範囲は色々な定義がありますが、まえがきなどから大体500~1500年の1000年を指していると考えます。この期間は非常に長く、時代時代によって状況が全く異なります。なので、一口に中世と語っても、当たり判定がデカすぎる。どこからどこまでを中世とするか……も異なる場合あるので、きちんと合わせましょう。

  • 優劣があると思わないこと

    • 歴史というものを考えるに当たって「劣った」「優れた」で考えるのがそもそもおかしな話だと思います。どの時代でも人間は、それなりに環境に適応しようとします。気候変動、経済の発展、テクノロジーの発見、通商の変化、これらの影響に合わせて社会は変わっていくわけです。ある面から見れば後退も、ある面から見れば進歩であり、それはただ単に適応の言い換えに過ぎないのではないでしょうか。

  • 原因を一つに押し付けないこと

    • この本では、何度も「カトリック害悪論」について反論を行っています。「中世が悪い時代になったのはカトリックの教えが間違っているからだ!」というとても単純化された見方(そしてプロテスタント教徒の考え方でもあります)であります。まあ、カトリックに悪いところがなかったかというと、私はそうは思わないんですが、ただ、権力が硬直化して停滞を招いたり、干渉すべきことでない場所に干渉して大惨事を招いたりすることは、別にカトリックでなくても、共産主義だったソ連とか、はたまた別の独裁政権などで普通に見られる行為ではあるわけで、カトリックだけの問題ではないと思うんですよ。そもそも「カトリック害悪論」自体「神の教えをカトリック教会が捻じ曲げているんだ!」みたいな考え方から来ている部分もあり、十分宗教的な主張なんですよね。実際の所、原因はいくつもあり、様々な要因の組み合わせによって人類社会というものは動いていくわけで、これこそが全ての原因だ。という見方は非常に単純すぎると思うわけです。

以上を踏まえて、本の中で紹介されている中世の「伝説」と「ファクト」をいくつか整理することにしましょう。なお、説明のために順番は本の順序と微妙に変えていますし、本の内容全てに対しての言及ではありません。また、史料など詳しい引用内容に関しては実際に購入して確かめてください。

中世の人は地球が平らだと思っていた

ドラえもんなどでもネタにされたので、知っている方も多いと思います。中世の人間は地球が丸いと知らず、円盤の上に乗っていると思っていた。そのため、コロンブスの船員は大地の端から落ちてしまうと航海を拒否した。またガリレオはそれに異を唱えたので弾圧された。そんな伝説です。

著者の主張:完全な捏造

完全な捏造である。コロンブスの偉業を盛るために、「旧態然としたカトリック教会と、そこから飛び出した改革者コロンブス」のストーリーを捏造したもので、その様な事実は見つかっていない。

事実:

  • 大地が丸くない。と主張する書籍は2例しか見つかっていない

    • しかも2つともローマ時代の終わり~中世初期のものである。

  • 中世を通して、その他の書籍は全て丸いということを自明としている。

  • カトリック教会の聖職者が大地が丸いということを当然と捉えている史料がいくつも見つかっている。(本書でもその一部が紹介されている)

  • ガリレオが裁判にかけられたのは地動説に関してであり、大地が丸いかどうかではない。

私の感想:

イギリスの歴史学会が20世紀の初めに「中世人が地球が平らだと思っていたということは大嘘」とまとめてから、この話は「地球平面神話」として知られているわけですが、現代に至るまで猛威を振るっているようで、この本でも指摘されてしました。なんと、あのオバマ大統領ですら演説の中で、この間違いをしてしまったことがあるとの事実は事態の深刻さを表しています。

そもそも南北に移動すれば星の高さが変わることは古代からわかっていました。大地が平面だと考えると、これは矛盾します。同じ時間に同じ星を見上げているのに、どうして星を見上げる角度が変わるのか。

変化があるのは大地の方であり、それは大地が丸みを帯びているのにほかなりません。ということで、古代から人類は大地の丸みについては理解していましたし、当然中世人もそれを忘れたわけではありませんでした。この件に関しては、中世カトリックの聖職者が「地球が丸い」と書いた本が実際に残っており、また「丸くない」とする主張が2例しかないことを考えても、中世の知識人は大地が丸いと考えていたのはほぼ確実でしょう。

なおその時代の人全員がそうだったかは、わからないというのが正直なところでしょう。現代でも地球が平面だと主張する陰謀論者(フラットアース)がいるわけですからね。てかなんでいるんだ。中世より悪化しているんだが? まあ、こんな疑問をぶつけても「こっちが聞きたいわ!」って言われそうですけど。

農民は風呂に入ったことがなく腐った肉を食べていた

中世の人間は風呂に入る習慣がなく、不衛生であった。千年にわたって入浴の習慣がまったくなかった。さらに痛みやすい肉を食べるために香辛料(スパイス)を求めた……。というのがこの神話になります。

著者の主張:

浴場が少なくなったことはその通りだが、入浴の習慣が無くなったわけではない。入浴指南法などの史料が残っており、またパリ市内に存在した浴場の記録が残っている。風呂に入ると毛穴が広がってそこから病気が入る。という説も確かに存在したが、頻繁な入浴を戒めるもので、入浴自体は否定していない。

腐った肉を食べるために高価な香辛料を使うことは不合理である。高価な香辛料を買えるほどの財力があれば、普通に新鮮な肉を購入できる。腐った肉を食べるほど困窮している人間は、高価な香辛料など手に入らない。保存食料としてはハム、ベーコンというものがすでに存在する。

事実:

  • ローマ時代に比べて浴場の数は減っている

  • しかし、13世紀パリには、32の公衆浴場があった記録が残っている

  • 1200年頃に書かれた天然温泉ガイドが存在する

私の感想:

同じ中世といっても場所によって大きく変わるわけですから、「中世とは」でくくることは難しいですし、それこそ貧困層は風呂なんて夢のまた夢……だったわけでしょうけれども、少なくとも都市部では入浴の習慣が残っていたことは、著者の主張通り間違いないようです。(史料残ってるし)

明治初期に日本を旅したイザベラ・バードは、当時の農村の日本人があまりにも汚い(垢だらけの顔など)に何度も言及していますが、実際労働者階級はどの時代でもそんな感じだったのでしょう。お湯を沸かすのにもエネルギーが要りますしね。

だから、もし中世にタイムスリップしたと考えると、ある程度お金を持っている貴族みたいなキャラクターに「風呂に入るとは一体どういうことですか?」みたいなセリフを言わせるのはおかしいことになるわけですね。

逆に農村部の貧民が毎日風呂に入っていたり、家に風呂がついてたりすると、これもおかしなことになる。大体そんな感じだったのではないのでしょうか。

当時の資料として紹介される温泉ガイドは、マジで普通の温泉ガイドなので「当時の人も、こんなの読んでたんだ……」となんか親近感が湧きます。これを持ってしても、「入浴の習慣が1000年に渡って消失した」という考え方は間違っていると言えるでしょう。

ローマ時代と比べると縮小しているのも事実なんですが、これは単純にローマ人がおかしいだけのような気もするので、比較してもなあという思いがあります。

なお、風呂の所で「一次史料」として、1496年の男湯の絵が紹介されるんですが、これは500~1500年を中世とする基準に照らし合わせると、めちゃくちゃ終わり頃です。「中世人は地球が平らだと思っていた」の章では547年の著作を指して「中世というより後期ローマ時代」と言及しているんですが、都合の良い史料は中世に入れて、都合の悪い史料は中世に入れない。みたいな恣意的な扱いしてませんか?と不安になります。一応、この男湯のイラストがルネサンスに属するものなのではないかという部分に関しては言及しているわけですが、他の所との整合性を取るためには、この部分は思い切ってカットしてしまったほうが良かったのではないでしょうか。

香辛料の話に関しては、未だに「冷蔵庫がなかった時代なので、冷蔵庫代わりに香辛料を~」という話を持ち出す人が本当に多くて私も辟易しています。最近だと「塩が貴重な地域では、保存のために香辛料の利用が発達した」なんて説も目にしましたが、専門の研究者ではなく、アマチュアが勝手にネットで発表しているだけの話でした。(もしかして、私が知らないだけで、ちゃんとした研究者が論文を書いているのかもしれません。その場合は教えてください)

まず、根本的な間違いとして、香辛料に防腐効果はありません。いや、香辛料といっても沢山あるので、一部例えば、クローブなんかには抗菌作用があるそうなんですけれども、胡椒には防腐効果はないんですよね。味が濃いからなんとなくそんな気がするだけ。

冷蔵庫がない時代でも、燻製、塩漬けなど保存するための工夫は沢山ありますし、家畜を屠殺するときは冬の初めが多いので、気温的にも保存しやすい環境であります。

この話は直感に反するのか、それとも痛みかけた肉を胡椒で誤魔化して食べたという体験を持つ人があまりにも多いのか、「いや、そんなことはない。胡椒をかければ痛みかけた肉でも食べれるんだ!」という主張が後から後から押し寄せてくるわけですが、これに関しては基本に立ち返り、

ではそれを裏付ける史料はどこにありますか?

と考える必要があると思います。もし、「香辛料をかけて腐った肉を食べよう!」という史料が見つかれば、間違いなくその主張は正しいですが、私の知る限り。現時点に至るまでそのような史料は見つかっていないようです。

大変高価な香辛料を腐った肉にぶちまけるような使い方が当時推奨されたか?と考えると、そのような史料が存在すると考えるのにはかなり無理があると思いますが。

中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた

中世といえば騎士。騎士は戦争の中核であった。騎士は「中世の戦車」であり、止められるものはいなかった。騎士は、騎士道精神に乗っ取って一騎打ちを好んだ。そういう漠然としたイメージに関してです。

著者の主張:

騎士は実在したが、戦争の中核は歩兵と弓兵であった。当時の戦争の兵法書には騎士はほとんど登場しない。ただ、この問題は根が深く、中世の時代から支配者は自らを美化して絵を描かせた。そのため、プロパガンダ的な華やかな騎士の絵ばかり後世に残ることになり、イメージを形成したのだろう。

事実:

  • 当時の兵法書には騎士がほとんど登場しない

  • 当時の戦争は、攻城戦が主であったことが十字軍などの史料からわかっている

私の感想:

騎士が存在していたことは間違いないので、章タイトルは「騎士の真実!」とかの方がよくないか?なんて思ってしまうんですけれども。まあそれはともかく、この細かい違いがどう重要なのかというと、どうも欧米には、ウォーシミュレーションとかの知識で騎士を語る人がめちゃくちゃいるらしく、名指しで「一次史料に当たらない退役軍人やマニア」に苦言を申しています。特にシヴィライゼーションシリーズで中世の強力なユニットに騎士があるのに関しては「これで誤解が広まったんだよ!」と語っており、思わぬ登場に苦笑してしまいました。

実際、騎士が単体で敵を一掃したり、城を落としたりするのは、ゲーム的な嘘であって、実際の戦いはそんなことはないわけですよね。ゲームと現実は分けて考えなければなりません。

まあ、常識的に考えて、騎士が城壁の所で決闘を申し込むと相手方が城から出てきて、野原で一騎打ち……みたいなわかりやすい構図はまずないですよね。花の慶次じゃないんだから。

なので、実際に中世の戦争を描こうとしたら、騎士がずらりと並んで騎兵突撃!する構図よりも、歩兵歩兵歩兵歩兵弓兵弓兵弓兵弓兵弓兵 騎士……みたいな方が正確だった。ということなんでしょうね。(注・私も一次史料を見たわけではないので、実際の戦争がどうだったかはわかりません)

中世の人は魔女を信じ、火炙りにした

中世と言えば魔女狩り!ということで、教会制度の元で多くの女性が魔女の汚名を着せられて処刑されたのだ……というのが一般的なイメージですが、著者はそのイメージにも間違いがあると指摘します。

著者の主張:

魔女狩りが本格化するのは、中世が終わった後、近代の初めである。また現在の魔女(悪魔信仰などを行う)のイメージが出来たのは中世の終わりであって、中世のほとんどにおいて現在のような魔女のイメージはなかった。

事実:

  • 中世の範囲(500~1500)において、魔術を使ったかどで処刑された女性は1324年の一件の記録しかない。

  • 魔女狩りの最盛期は1560~1630年あたり

  • 魔女狩りの手引書であり、魔女のイメージを広めた『魔女への鉄槌』が書かれたのは1486年である。

私の感想:

実際のイメージと違って、魔女狩りは中世と言われる範囲にほとんど被っていない。という指摘は凄い重要なものだとは思いますが、よくよく見ると、本文でも一次史料として紹介されている『魔女への鉄槌』は1486年で、中世の範囲に入っていたりします。なので、厳密に年代だけを見るなら「中世の範囲で魔女狩りが起こった」も2割ぐらいは正しいと言えるような気もしますし、「都合の悪い史料は中世の範囲から外す」テクニックを使ってんじゃないかとかなり疑わしく思えてしまいます。

魔女狩りがなかった。ということではなく、その最盛期がズレているというだけの話なので、注意が必要ですが、1000年という中世の範囲と、魔女狩りがほとんど被っていないのもまた事実でありまして、例えば創作物でカール大帝あたりの中世にタイムスリップしたという設定なのに、魔女狩りが行われていたりするのはおかしいわけですね。

この章で私が面白いと思ったのは「カール大帝は、魔女を迷信だと思っていた」ということでした。789年のカール大帝のお触れが引用されているんですが「隣人が魔術を使ったと信じ込み、それを理由にその者を焼いたり、その肉を食わせるために他人に与えたり、あるいは自信でそれを食らった場合は極刑」という内容なんです。

ナチュラルに人肉を食っているのが良くわかりませんが、わざわざこうして注意するということは当時のこの地域で「こいつは魔女や!ぶち殺して喰ったろ!!」みたいな行為があったということですよね。魔女よりそいつのほうが怖いやんけ!!そりゃ、カール大帝も極刑にしますわ!

どうやら、この時代の魔女は「土着の良くわからない信仰、迷信」であり、キリスト教を信じているカール大帝のような支配者層から見れば、「いい加減そんなの信じるのやめてキリストを信じろ!」みたいな立ち位置だったようです。

他にも司祭などの記録が残っているそうですが、どれも魔女に関しては「ただの迷信」というスタンス。

しかし、民間の信仰とは根強いもので、キリスト教が広まってもいまだに旧来の魔術信仰はあったのでしょう。結局中世の終わり、15世紀の終わりあたりには「アンチキリストとしての魔女」のイメージが出来上がり、ついに爆発したということなのでしょうね。

これは著者も主張したいことだと思いますので書いておきますが、カトリック教会だけが魔女狩りをした。というイメージも正確ではなく、プロテスタントによるものもかなり行われましたし、それからインディーズの魔女狩りも結構あったとのことです。

まあ、著者はここでカトリックを擁護するあまり、実際のカトリックによる魔女狩りの事実を伏せているわけで、正直言って恥知らずな態度だと思います。詳しくはこの記事の冒頭で紹介した引用を確認して頂きたいのですが、訳者にツッコミを入れられています。これは流石にちょっと……。

ペスト医師のマスクと「バラの周りを輪になって」は黒死病から生まれた。

中世といえばペスト。ペストと言えばペストマスク!というイメージは広がっていますが、著者はそのペストマスクが当時存在しなかったことについて指摘しています。なお、「バラの周りを輪になって」というのは西洋のわらべうたみたいなもので、これはペストのことを歌った歌だ。という俗説があるそうなんですが、著者曰くそれは考えにくいだろうとのことです。

まあ、我々にとっては知らん歌なので、ここでは割愛します。

著者の主張:

ペストマスクをつけた医師はほぼ確実に存在しなかっただろう。これらの絵や記述は300年ほど経過した後世の史料の中に突然現れるものであり、流行当時の史料には一切登場しない。

事実:

  • 良く知られるクチバシをつけたペストマスクの医師の絵は1656年の版画が最初期のもの

  • クチバシをつけた医師についての言及は1619年の記述が初出

  • どちらも中世の範囲ではなく、ペストの流行から300年ほど経過した時期のものである。またこれより前に、クチバシをつけたペスト医師の絵や記述は見つかっていない

私の感想:

「中世の定義をコロコロ変えるな!」でも書いたんですが、著者はこの章で中世の範囲を恣意的に変更して、「中世にペストはなかった」と堂々と書いており、はっきり言って最悪な態度だと思います。

信用度が地獄の底まで落ちましたよ。あたしゃ(半ギレ)

ただ、中世という長い期間の間、ずっとペストが流行っていた。というのは確かに間違いではあるんですよね。500~1500の間を中世と考えるやり方で考えましても、1回目の流行は540年代から、8世紀(701~800)まで繰り返し流行。2回目の流行は1347~1352年にヨーロッパに到達したもので、人口が大激減したペストはこの時代のものです。これはいろんな地域で小規模に流行りながら400年ほど続いた……そうで、つまり中世という期間を500~1500で捉えると、最初の300年と最後の150年あたりしかペストにはかかっていないわけです。

ということで、中世=ペストというイメージですが、実際はペストが流行ってなかった時代のほうが長かった。ので間違いなんですね。

個人的な愚痴が多くなってしまいましたが、ペスト医師のマスクに戻りましょう。流行当時の記録が一切出てこず、「昔の医者はこんな感じだったんやで」という文脈で急に言及されるようになったことを考えると、やはり後世に勝手なイメージで作られたもの。と考えるのが自然でしょう。

記録に残っていないだけで本当にいた。という考え方もあるとは思いますが、繰り返しになりますが、それが分かる史料が出てくるまでは、議論すらできないですよね。

ヨハンナという名前の女教皇がいた

かつて、ヨハンナという名前の女教皇がいた。女は聖職者になれなかったので、男装して神学校で学び、最終的に教皇まで上り詰めた。しかし恋人との間にできた子供を妊娠していたため、往来で突然産気づき、子供を産んでしまった。騙されたことに気がついた市民と聖職者たちは、彼女を馬で引きずり、石で打って殺したのだった……。という伝説が存在する。

著者の主張:

荒唐無稽である。おそらくは、ローマ時代の女神の像などを教皇の像と誤認したことからこの伝説が生まれたのではないか。

事実:

  • 歴代の教皇に関してはどれもしっかりとした史料が残っているが、そのどこにも女教皇の逸話は残っていない。

  • そもそも、歴代の教皇の即位年数はしっかりと把握されており、どこにもヨハンナが入る場所はない

  • 女教皇が存在したという年代すら、伝説によってバラバラである。

  • 伝説のようなスキャンダルな事件があれば、当時の市民の記録にも残っていてもおかしくないが、そのような記録も一切見つかっていない

私の感想:

流石に信じるやつがどうかしていると思う逸話なんですが、著者がわざわざ一章作って否定しているのは、なんとこれをマジで信じている人がめちゃくちゃいるそうです。(主にインターネットで活動しているとのこと)

簡単に言えば、陰謀論であり、「カトリックは女教皇を歴史から抹殺したのだ!!」というネタらしいんですが、著者の弁によると、欧米では非常に多いようです。特に、フェミニスト関係で女教皇をアイコンとして使うような流れもありまして、ヨハンナの存在は事実!と考えている人は結構多いんだそうです。まあ、流石に路上で出産とかのネタは嘘だと思っていても、女が教皇になった事実は本当にあった。みたいな感じだと思いますが。(確証なし)

ちなみに、私は現代人なので、当然「女教皇」なんて存在しない。という前提を持った状態から入りましたけど、実は中世の人々にとってはそうではなかったようで、1250年~1500年にかけて、100点以上「かつて女教皇ヨハンナが存在した」という記録が残っているそうです。

もちろん、これは1250年より前には遡れませんし、史料に書かれた年代も矛盾が生じるので伝説であることはほぼ確実なんですが、当時はそこまで歴史学が発達していませんし、気軽に調べるわけにもいきませんから「そういう事実があった」と考えられていたようです。

驚いたのが、当のカトリック教会すら、この伝説を信じていたっぽいことなんですね。ドミニコ会という修道士の組織があったそうなんですが、そこに属しているエティエンヌ(1180年頃~1261年)という人物がヨハンナの逸話を取り上げている史料が残っています。

やはり彼も女教皇の名を記しておらず、女教皇は大胆不敵にして無分別、男性聖職者を差し置いて昇進するために悪魔の助けを借りたと強調している。エティエンヌによれば、彼女は、中世において厳しく定められていた女性としてのあり方を踏み外し、厚顔にもカトリック聖職者最高位への野心を抱いたので、その暴力的な死は不可避であった。という。

WINSTON BLACK 著 大貫俊夫 訳「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」P247より

いや、カトリックも最悪だな。これ。思った以上にヤバい。教皇になろうとしたような女は死んで当然だぜェ~~~!!!みたいな酷い話が教義にマッチしていたので、説教に引用されて後の時代に残ったということですからね。

聖職者からしてこの考え方って、やっぱり中世って暗黒時代なんじゃないスかね……?

中世の教会は科学を抑圧していた

カトリックは科学を認めず、弾圧していた。そのために科学は停滞した。

著者の主張:

そもそも中世の教会が科学(自然哲学)を弾圧した証拠はない。ガリレオ裁判は1633年の出来事であり、中世(500~1500)の範囲ではない。

事実:

  • 中世期において、教会は科学(自然哲学)を弾圧した証拠は残っていない

  • むしろアリストテレスの著作などは教会の指導の元広く学ばれていた。

私の感想:

……と著者は擁護しているんですが、だったら、アリストテレスから1000年進歩がなかったのはどうなんだとか。そもそもアリストテレスをただ学んでそこに疑問を抱かないのが問題点であり、科学に1番重要な検証がすっぽり抜けてるんじゃないの。とか、ツッコミどころが多すぎて、正直擁護になっているかどうかさっぱりわかりません。

ガリレオは、中世の範囲じゃないからセーフ!理論も、いや、最終的に弾圧しとるやんけ。ですし、ガリレオは科学的な主張が教義と反するから弾圧されたんじゃなくて、個人的なトラブルの側面も大きかったから。みたいな説をとっても、個人的なトラブルをもとに、研究成果にケチつけられて裁判をかけられるのを弾圧と言わないのはかなり無理があると思います。

ぶっちゃけ、この章での著者の言い分は、カトリックを擁護しようと必死になるあまりに、良くわからない主張になっていると思います。「カトリック教会と科学が対立した事実はあるが、それは中世の時代より後のことだった」「硬直化した組織が、事実を受け入れないのは、プロテスタントでも、独裁政権でもよくあることであり、カトリックに限ったことではない」ぐらいの主張にとどめておけばよかったのでは……?

ただ、重要なのは、中世(500~1500)の教会は自然哲学を学ぶことを問題視していなかった。ということで、例えばこの時代を舞台にしたドラマか何かを作る場合、アリストテレスの著作を読んでいたら、教会に没収される……みたいな描写があるのはおかしいということになりますね。

中世は暗黒時代であった

中世は暗黒時代であり、文明は後退した。文字の書き方すら失われるほどであり、人々がそこから回復するまでは、ルネサンスまで約1000年かかった。

著者の主張:

そもそも「暗黒時代」という言葉が不適切だとされ、現在では歴史用語から消えている。確かにローマ帝国が滅びた後の混乱で、都市が縮小した時代はあったが、数百年で再び復活した。中世の間を通して知識は保存されており、文字が書けなくなるようなことは起こらなかった。

事実:

  • 中世の間に書かれた様々な史料が残っており、文学なども存在している

  • 中世の間にも街が発展した事実はある。

私の感想:

暗黒時代かどうかなんて、人によって変わるじゃん。なんでこんなのに一章まるまる使っているんだ?と思ったんですが、なんと欧米には「本当に文明がすべてリセットされた」という認識を持っている人がワンサカいるようで、そういう見方に対して「流石にそれはない」と釘を指したかったのだと思います。

今まで読んでいただいた人はもう理解されていると思いますが、流石に文字の書き方すら失われる。みたいな話は大げさすぎますよね。色々と史料は残っていますし、順当に成長だってしたわけです。月光蝶でも使ったんかい!レベルの認識は流石に極端すぎる。

それはともかく、最初の数百年で都市が打撃を受けて縮小したのは間違いないですし、ローマ帝国時代にできた土木工事などが後の時代でできなくなってしまったことも事実なので、場合によっては衰退または後退したと言っても良い気もしますが。

中世をどう考えるべきか?

中世、という時代区分の意味を私が初めて理解したのは、クロノトリガーというゲームをプレイした時です。

このゲームは、様々な時代を渡り歩き、冒険をするゲームでして、原始、古代、中世、現代、未来の時代が存在するんですが、このゲームにおける中世ってすごい暗いんですよ。ゲーム画面も暗ければ、内容も暗い。魔王が存在し、人々がその侵攻になんとか耐えている時代。

一方それより昔の時代である古代は、魔法を利用した文明が栄え、空中に浮いた城に人々が住んでいる。

まさに、西洋の歴史観なんですよね。古代にあった文明が衰退し、暗い中世が訪れ、そして、明るい現代がやってきた……という。(まあその後未来で滅ぶんですが)

おそらくこの文章を読んでいる方々は日本語文化圏の人なので、そんなに途中で文明が衰退するイメージってのはないのかもしれませんが、ローマ帝国が滅びたというインパクトは相当なものがあったようで、この「一度栄えた文明が一旦衰退して再び盛り返した」というシチュは結構色んなところで目にします。

ところが、その認識もなんか雑じゃない?というのが歴史研究家の言いたいことなんですよね。そもそも中世が500~1500の1000年って区分も広すぎね?とか、その範囲で話をするなら、別に衰退していない時期もあったじゃん。みたいな感じで。

ただ、それで逆張りして「中世はいい時代」と考えるのも変で、やっぱりペストの流行などの事件もありましたし、本文でも指摘されていますが、初期に都市が衰退したことも、ローマ帝国時代の広い交易が中断してしまったことも、科学技術においてイスラム勢の後塵を拝したのも事実です。

中世をどう捉えるべきか。我々に例えるなら、こういう質問に良く似ているかもしれません。

「江戸時代はどんな時代だったか?」

「悪い時代」ということもできると思います。軍事独裁政権が日本を支配し、強固な身分制度が存在した。人間が牛馬の代わりに働き、栄養素の偏りから身長は軒並み低く、し尿を肥料にする関係上、寄生虫に悩まされていた。また海外との通商は幕府に牛耳られ、自由な貿易は行えず、結果として、テクノロジーは停滞し、欧米に大きく遅れることとなった。

「良い時代」という見方もできます。徳川のもたらした平和と新田開発により人口は増大した。江戸は世界最大級の人口を持ち、出版、印刷など高度な文化が花開いた。民間の教育機関が増え、高い識字率を持ち、また古典の研究も進んだ。

どちらも事実ではあるんですよね。結局それはいろんな立場や考え方によって変わることだと思うんですよ。例えば、朝廷、今の天皇家から見れば、古代は日本全国を支配できていても、時代とともに支配が弱まり、最終的には地方の有力者が勝手に戦う時代が到来したわけですよね。それを持って「国家の衰退、暗黒時代」と言って良いものかどうか。いや、戦乱が増えたのは本当なので、そういう見方もできるとは思いますが。

中世も似たようなものではないかと思うんです。だから、

「中世はどんな時代だったのか?」

を一言で言うことも同じぐらい難しい。我々にできることは、ただ事実を列挙し、一つ一つ検証していくことだけなんじゃないかなと思いました。

以上、色々と思うことがあったので記録として残しておきます。

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