好きな歌詞〜座布団十枚編〜


本文は恣意的な解釈が100%です。
考察なんて大層なものでもありません。
好きな歌詞を5つほど、思いついた順に何となく書きまーす。

ではでは〜。


渦巻く
白い銀河に
苦い
接吻を

カメレオンガール/キリンジ


コーヒーを飲む。ただそれだけの動作を、こんなにもロマンチックに表現した言葉って他にありますか?
全ての人が、くるくる回るコーヒーミルクが銀河に見えるのなら、ラテアートなんてものはきっとこの世に必要無い。
洒落た間接照明も、写真を加工するアプリだって要らない。こんな感性が欲しい。

後の展開に〈色あせた男の背中に 君は夏の模様の爪痕を残した〉と出てくるように、ファム・ファタールに振り回されたこの世の全ての当て馬たちへ送られる失恋ソング。

引用したのは歌の始まりです。
デートの約束をすっぽかされ、ショックを受けつつもどこか自嘲的で、可哀想な自分を俯瞰しているある種の諦念もあるからこそのこんな素敵な言い回しなのかと、主人公の状況や感情がこの冒頭に全て集約されている事に気付いた時、より一層この曲を好きになったのでした。

〈心の穴へ菓子パンをねじこみ〉や〈赤いハイヒールもサファイアもルージュも あげたじゃないか〉のような、随所に出てくる哀しくもファニーな言い回しが好み過ぎる。

巷で流行りの不良同士で罵り殴り合ってるブレイキングなんちゃらより、自分の弱さを笑える強さが私は好きだ。

ちなみに、妄想の中でのこの主人公は、
ドラマ『やまとなでしこ』の東十条さんです。


NASAはもう月には行かないと言ったそうだ
僕はまだ週末にも辿り着いていなかった

She said/Fozztone


NASAは長年の努力と進歩の末、ついに月面に降り立った。次は火星を目指すらしい。
僕はこの週末も満足に過ごせていないのに。

""から""へ進んでゆく他者。
まだ週末="土日"にも辿り着けてない自分。

…もう凄すぎません?
対比の仕方がお上手すぎませんか?
何これ古典落語ですかってくらいの一節。

周りの成長と比べて停滞している己の不甲斐なさを悔やむ事。
片や、自分の中の正義と折り合わない周りの不誠実さに腹が立つ事。
そんな日々の摩擦に嫌気がさしても、出逢う誰かの存在で何かが確かに報われる瞬間ってある。
その繰り返しが生活ってことなんじゃない?
と、この曲は寄り添ってくれる。

〈良い匂いの柔軟剤、買うだけのことで明日は美しい日になるのかもしれないよ〉

こんなこと言ってくれる人に出逢いたいなぁ。
探すか。
良い匂いの柔軟性の方をとりあえず先に。


矛盾しあった幾つもの事が正しさを主張しているよ
愛するって奥が深いんだなぁ

NOT FOUND/Mr.Children


撞着語法(どうちゃくごほう)というものをこれで初めて知った。
BUMP OF CHICKENの藤原基央氏が良く使うやつ。分からない人は調べてね。

似たようなことは、きっと過去に誰かも言ったんだろう。
ただ自分にとってイノベーションを起こしてくれたのは紛れもなく櫻井氏のこの歌詞だったので。

男女の恋愛について書かれたものだけど、これって人の業における真理だよなと感じる。

"多様性"と"誰もが傷付かない世界"って、同義のようでいて絶対に相容れない価値観だとつくづく思う。そんなものは無い。どちらもは不可能。
だからこそ考えていくことに意味があるよねって話で。

「ぞうさん」って童謡ありますよね。
例えば、親の遺伝で鼻が大きく、それを友達に揶揄われたことのある子供がその曲を聴いて傷付きました。
だからこの曲は廃止します。

これどうですか?極論で暴論ですよね。
でも今の時流って極めてこれに近いと思う。
それは"傷付いたこと自体が可哀想"という思考で止まったまま、原因も理由も責任もごちゃ混ぜにして関わる全てを排除しようとするからで。

「あなたが傷付いたのは、揶揄われた過去と曲とを紐付けたからだよ、『ぞうさん』は決してあなたを傷付けようと作られた曲じゃない」と、結果でなくそこに至る姿勢をその子自身に説明しないといけない。
大人なら、他者の言動がどういう"姿勢"をもって発せられたものかを想像することが出来る。
そういうことを考えていこうよと思う。
傷付いた傷付けられたで終わるばっかりじゃなくってさ。
ひとりひとりが心の中に持つ倫理って、そうやって形作られていくものなんじゃないかなぁ。

かなり飛躍した話ですみません。
つまりは、無くなる事のない矛盾を排除しようとするのでなく、なぜ矛盾するのかを想像し思考を続ける営みこそが人としての正しさなんじゃないかと、そう思う訳です。

もう歌詞関係あらへんがな。


ここで涙が出ないのも 幸せのひとつなんです

春風/くるり


“泣き笑い"とか"嬉し泣き"は聞いたことあるけど、"幸せ泣かず"ってのもあるんですね。

〈揺るがない幸せが、ただ欲しいのです〉という切望から始まるこの歌は、花の名前をひとつ覚えるように幸せを集め、時に花の名前をひとつ忘れるように失いながら生きる僕が、遠くへ行った人を想う曲。

はっぴいえんど(松本隆)のオマージュであろう、いわゆる"〜です〜ます調"で綴られている歌詞は、どこか手紙を読んでいるかのような印象を受ける。

汽車の窓辺から景色を眺めて、涙が出ないのも幸せのひとつって一体どういうこと?

最初は感動した景色も徐々にその記憶が薄れていって当たり前になる。
けれど感じない程それが日常に内在しているという幸せもある。
ってことなのかなぁとか。
色々な解釈が出来るし、他の人の考えも聞いてみたいな。
今でもまだ明確な答えはないけど、それでいいような気もする。

でもめっちゃ好きなんです。この歌詞。


指先で繋がり探して 今日という花束枯らして
誰か止めてくれ 世の中と時間
ただわかっているのは 今がチャーーンスっ

ロングバケーション/RIP SLYME


みんな大好きリップスライム。
もう会えないあのリップスライム。

私はSUのそれが特に好きで、詩人と少年が同居しているような、上記のリリックがもう胸にストーーンと来てたまらんのよ…なんでもっと注目されんのかなぁと思う。

直後に〈とはいえ楽したい 酔芙蓉のように酔っていたいんだ〉と言ってくれるところまでもう最高。

多くは語るまい。
一応シングルなんですが、『楽園ベイベー』や『黄昏サラウンド』で止まってる人は是非一度聴いてみて欲しい。出来ればお休みの日の、ゆったりとした時間に。

書いてて気付いたけど、先程の「春風」同様、幸福のメタファーとして花が使われてますね。

意図せず自分のツボが垣間見えた気がする。


とまぁこんな感じです。
ありがとうございました!

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