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【臨時職員】入学式で懐かしい思いに耽るの巻【郷愁】

新入学のシーズンです。
皆様おめでとうございます。
我はRacco、現在29歳、大学臨時職員の3年目となりました。転職したくとも引き継ぎの面倒くささを考えるとフリーズしてしまうところまで来てしまいましたね。とんでもない。

今日は入学式の受付をしつつ皆さんの姿を見てなんだか懐かしい気持ちが鮮明によみがえりました。ありがとうねぇ、、👵

イケイケにみえる周りを見てちょっとふるえつつも自分もイケタイと思ってた、気持ち良い春のあったかい風の吹く入学式の日。友達とかいなくてもまぁやってけるし!とか強がりつつも友だちを欲してた。
で、気がつけば似たようなオーラの方々がともだちとして存在してくれていて、数こそ少なくとも、一生付き合っていきたいとおもえるお友達ができたのも大学だったな。4年間、あまり大きな振り幅なく、大好きな友達と、付かず離れず。高校までは無かった、求めていたこの距離感。非常に心地よかった。

いにしえとなった高校3年。地球に例えるなら白亜紀(謎)ですかね。
春風をあびてみなさんのきらきら、でもどこか高校生らしさが垣間見える真面目な表情をみてたら、あの頃も思い出したよ。
行きたい大学がわからぬままとりあえずみんなががんばってるから空のガソリンで走ったセンター試験やら国立大の試験やらでぼろぼろに疲れ果てた心をいやしてくれたのが大学という場所でありその環境だった。
Raccoが入学した学科のみんな自己肯定感も周りへの尊重もしてくれる人たちで恵まれた大学生活でした。
サークルはひたすら出会いを求めて1人で新歓いってた(輩)。結果、"なんかすごい酒豪の一年がいるらしい"という大噂になる(上級生後日談)が、蓋をあけると大して酒など飲めないがノリはよく、酔い潰れず、終電のバス(22:08)で帰る折り畳み自転車で登場して消えるただの一年だった、という認識となる。
その結果交際に至る殿方は1人も見つからないがサークル内のイベントごとのLINEグループが無限に発生した謎の時代となったのは我の家族の中では有名な話。

某私立大に実家通いしてたので思い返せば本当幸せな生活をさせてもらってた。
毎日飲み会にいったり友だちとごはんにいったりしても夜は親に駅まで迎えに来てもらえる。
週末はよく家族で出かけた。
キャンプいったり旅行いったり。色々行ったなぁ。バイトは土日に3時間くらい、家族優先だからドタキャンもしていた(輩)

迷惑かけた近所の和定食屋さん。
我の人生初バイト先。
面接で、メイクとかって規定があるんですか⁉️と聞いたのは有名な話。店長苦笑い。バラエティあるの?と冗談できかれていることにも気が付かず、はい!マスカラとか、濃ゆくできます。と答える。どあほう。消えたいわ

毎回何枚も皿を割る。注文をとりわすれる。
クレームつける客に殴りかかる(店長に止められた)。などなどレジェンダリーな我。
年下の高校生が当たり前にこなすことの1/4でもちゃんとやるのがむずかしい。
つくづく自分がADHDであると実感した場所である。しかし名物の看板おやつメニュー、お団子を謎にサークルで紹介しまくった結果、お団子の一年生という認識が強まり顔を覚えてもらえた。
なかなかのマーケティングではないか、自分。

大学生ではあったが、ありがたいことに高校時代のスパルタ英語環境が身についたままだったのでしばらくはユメタン(1日100個の単語帳、ほぼ叩き込みだがとてもオヌヌメである)やって英単語の貯金はあった。と思う。
今でも何かと助けられるシーンがあったりする。
大学のパンフレットに載っけてもらえたのはいい思い出でありつかの間の優越感。
実はずっと乗りたかったんだと思い出してる。
あんまり集中してないくせに誰かに特別だと言われたくて(どんだけ承認欲求高いのや、、)遅くまで大学の自習室に残ってみたりTOEICの本を先生からわざわざかりたり。あざといというよりなんだ、こざかしい、いや小賢しいって書くの?漢字で。そんなの恐れ多いから、じゃあもうなんだ、つまり、かまってちゃんだったわけですね(要約の仕方、笑)。

今でもそういうところあります。
人と違うことしたい、
いつかは、すごいって言ってもらいたい、とか
夢想家なところはたくさんあるし、夢は叶うと今でも信じてる。おかげさんで、年齢よりも夢をみられる才能は未だ小学生に近いと思ってます。ロートリセするより瞳をうるうるにしてくれる効果があるからね。まあロートリセも使うけどな。いいやつの方。

こうやって、四季の変わり目をしっかりと感じられるのは学校で働くことの一つの特典だと思ったのでした。鮮明に自分の青春時代を振り返り、どういう経緯で今ここまできたのか。ちゃんと、花とか季節特有の香りで一瞬で思い出すことができる。陽の当たり具合とかも大事だ。
そういうのって、高層階のオフィスにいたところで鮮明に思い出したり、あれ、私こんな夢あったのかー!とか、うーわ!恥ずかしい!そんな頃もあったなぁ消えたい。でも、かなり成長した方かもな。自分。(しみじみ)
などなど、他の方には話さないけれど自分自身の中でいろんな時代の自分にツッコミを入れながら、できなかった自分も愛おしむことができる唯一の方法であり、これがあることでまだ夢を見られるのだと思ってますここ最近。 

さて。
思い出すと長いので(すでに長い)
つまりは、まだまだ夢想家だと季節は私に教えてくれた1日なのであります。
恥じることなく、叶えたい夢があることに感謝して、イメージすることを決してやめない。

そう誓った春の日なのであります。
みなさんの1日もさわやかであたたかで、素直な気持ちに出会えていますように。

あしたも5時半起きにします。
それではおやすみなさい!

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