見出し画像

神だって超える#29

  瞼を開けると、ぼやけた視界の中に小さな幼子が自分の腹の上に乗っている。彼はキャッキャと笑いながらミチの頬をペチペチと叩いていた。随分と長い眠りについていたようで、頭がやたらと重い。

「シンちゃん、ちょっと重いんだけど……」

 真一はミチの言葉も分からず、相変わらず頬を叩いて愉しそうにはしゃいでいる。

「やっとお目覚め? もうすぐで夕食だけど、お腹が空いていないんじゃない?」

 ジュワジュワと油で揚げられた素材に集中している姉のミカ。ここは姉夫婦の自宅で、どうやらソファで眠りについてしまったようだ。確か真一の2歳の誕生日祝いに誘われたんだっけ? と、ミチはなんとなく記憶している。

「お疲れなんだね。ミチ君」

 リビングルームにやって来た、ミカの旦那の文也。インテリな眼鏡をつけた彼の笑顔は、一目見ただけで優しさの権現だと分かってしまう。彼はどうやら足りなかった食材を買いに行っていたようで、スーパーの袋をぶら下げていた。

「あ、どうも。お邪魔してます」
「うぃー。いっぱい眠れたか?」

 文也の背中から陽気に挨拶をしてきた人物がいた。田中だった。

「は? なんで、お前がここにいるんだよ」
「あれ。寝ぼけているのか? お前が誘ってきたんじゃねえかよ」

 そうだっけ? いや、そんなことあるのか?
 田中とはよく二人で呑みにいく仲ではあるが、家族の家に招くほど彼を好いているわけではない、はずだ。
(俺が田中を呼ぶ? なんか変だな。大事なことを忘れているような気もするし……)

「なんだか今日は賑やかでいいね」と、文也。
「そうね。たまにはこういう日もあっていいわね」

 なんてことのない家庭。いや、幸せの模範となる家庭か。ミカの幸せな表情を見ると、ミチはホッと安堵する。母と父を中学生の時に亡くしたミチの面倒を見てくれたのは、すでに就職をしていた姉の存在があったからだ。素敵な相手と出会い、素敵な宝物を産んだ姉には、このまま幸せを感じていてほしい。

「それは無理だね」

 田中がどこから取り出したのか、銃口を構えていた。彼の表情は嬉々として歪み、文也の背を射抜いた。

「きゃあああ!」

 姉の叫び声。ミチは咄嗟に田中へと突っ込んでいったが、難なく躱されてしまう。体勢を整えようとしている間に、乾いた銃声音がパァン、パァンと二発。ミチの目には真一がソファで倒れ伏している姿。そうして、姉が胸から血を流して血の海に沈む様。

「……」
「ミチ、お前のせいだ。お前が悪い。お前がすべて悪い」

 田中は銃口をミチへと向け、不気味な笑みを浮かべる。その顔を見たミチは、やけに冷静になって彼の顔を見つめるのだった。
(ああ、なにか忘れていると思っていた。そうだ、そうだよな、この状況ってありえないよな)


――不動で立つミチの姿にナンプシーとピューネは苦しい顔をしていた。

「こいつはこのまま悲劇のループを永遠に繰り返し、精神を崩壊させていく。残念だったね。僕に無礼な行動を取るからさ」

 勝ち誇ったアナザーに対して抵抗はできなかった。その能力を前にしては2体の神はあまりにも無力になるしかない。

「さ、行こうか。無駄な時間を過ごしたくないんでね」

 王室へと向かおうとしたアナザーだったが、再び彼は腕を強く掴まれる。先程とは違い、アナザーの表情は強張った。
(そんなはずあるものか。僕の操った精神から脱け出した……?)
 
 恐る恐る振り返ると、そこにはしかとミチの生気ある眼があった。

「どうして!」

 バッと振りほどいたアナザーの顔には焦燥が漂い、ミチが動き出したことでその場にいた神々は驚愕した。

「なるほど、その力じゃ中位神という立場なわけだ。人の記憶から嫌なものを見せる趣味の悪い力だが、その程度じゃ子供騙しにしかならねえよ」
「ぼ、僕の神力を愚弄するな!!」
「愚弄? 事実を言っただけだ」
「ど、どうやって、脱け出した!」
「俺の姉貴はよ、田中が大っ嫌いなんだよ。生理的に受け付けないって、昔からよく言っていた。だからよ、お前が見せた幻想は違和感でしかなかった。まったく、どうせ幻想を見せるなら、もっと美人に囲まれたハーレムを見せろって話だ。そっちの方がよっぽど俺には効果的な精神攻撃だ」

 ジリジリと怖じ恐れて後退するアナザーへと、ゆっくりミチが距離を詰める。その恐怖心からか、ザックの精神術は解かれて意識を取り戻す。

「いったい、わしは……」
「おじき!」
「よかった、おじ様! 無事に戻られたのですね!」

 走り寄ってきたナンプシーとピューネの安心した表情を見て、自分がアナザーに支配されてしまったことを思い出す。腰を砕けて尻餅をついたアナザー。それに詰め寄るミチいうヒューマンの姿に、ザックは瞠目どうもくする。
(まさか若造が、あのアナザーを追い詰めているだと)

「ほら、どうした? もう一回お前の力で俺に幻想を見せてみろよ」

 まるで鬼神にでも追い詰められたような圧力にアナザーの顔が歪む。恐怖に支配されて、精神を操る神力を創造することが難しい。ミチの手が伸び、アナザーのバンダナは奪い取られる。

「やめてくれ!!! 頼む、それは取らないで!!!」

 必死にバンダナを取り返そうとするアナザーにミチは眉をひそめた。涙を流して縋り付いてくる彼の目は白眼で、ボコボコと結膜が歪な形を成している。

「頼む……、頼む……、返して……僕の……バンダナを……」

 なんだか哀れに見えた男に、ミチはスッとバンダナを彼へと投げて返してやった。アナザーは慌てて自分の目にバンダナをあてがう。

「……ウェルダ様以外に、僕の神力が効かない奴なんて初めてだ」
「効かなかったわけじゃない。ただ、お前がしくじっただけさ」
「……」
「精神を蝕む、意志を喪失させて機械のように動かす、他には?」
「精神と心は一体。つまり、僕には他の奴の心が読める」

 それまた随分と厄介な能力だ。確かにそれらを利用すれば、上位神のレベルに匹敵しそうな気はするが……。

「でもまあ、必要ねえな。下界の者には」
「え?」
「相手の気持ちが分からないから面白いし、誰かの精神を操るなんてヌルゲーしてもつまらないしな」

 それはアナザーも理解していたようで、顔を沈めた。少年のようにシクシクと泣く。彼にとって、その言葉は自分の存在価値を突きつける残酷な評価だった。

「が、その力が上位神レベルにあるのは認めてやる。まだまだ未熟だがな。要は使い方次第で、下界の者に役立つかどうかだろ。そこに中位神も上位神も関係ない。そもそも上位神にこだわる理由とはなんじゃ? 給料がよくなるわけでもねえし、ご褒美がもらえるわけでもねえ。強いて言えば、下の神に敬われる程度だろ? そんなの中位神でも十二分に下位神から恩恵を受けているじゃねえか。てか、この国っていえば普通に神に対面して、崇拝しちゃっているし。神書的にそれってどうなんだ? まあ、それはさておき、俺が言いたいのは――」

 ミチは腰を屈め、アナザーの顔に高さを合わせて真っ直ぐに見つめた。

「精神を操っている当人が、一番苦しんでいるってどうなのよ? ってことだ」

 頭をポンポンと叩かれたアナザーはハッとした。自然と彼はミチの心を読む。彼の発言に嘘はない。心の中のそれ・・を読み取って、アナザーは嘔吐するように涙を爆発させた。

「え。一体何が起こっているっていうんだ」

 困惑するナンプシーだったが、ザックとピューネはそうはならなかった。

「彼が何者なのかは分からないが、只ならぬ人物に違いはない」
「あの二人の間にしか分かり得ぬことが起きたようですわ。アナザー様から殺気は完全に消え……むしろ、ミチに心を許したような気がします」

 彼らの視線は、泣きじゃくるアナザーとそんな彼の頭をドリブルをするように叩き続けるミチへと集まっていた。傍から見ればイジメているような光景ではあったが……。
 その中で一体の神の姿が消えていることに、まだ神々とミチは気が付いていなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?