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定本 柳田國男集 第一巻 を読んだ。

  難しかった。
  戦前や戦後すぐに書かれた論文が詰め込まれている。漢字は旧字体が多いから一々調べなくては読めないし、大体昔の言葉だから「読み方」が分かっても意味がわからないことも多い。
  地名も「時代劇」に出てくるような古い地名で、一体どこの地方のことを書いているのか、一読しただけではよく分からない。

  前に読んだ、レヴィ・ストロースよりは遥かに分かりやすいけれど。

  多分、この分かりにくさが「古典」を「古典」たらしめている真の要因なのだろう。
  柳田國男は書きながら迷っている。
  ああでもない、こうでもない、と迷いながら書いている。
  そう言う迷いは、最近のスマートな「新書」タイプの入門書からはほとんど感じ取れない。柳田國男のような「凄い」人が迷っているのをみると、なんだかホッとする。
  「A=B」のように断定してしまうことは決してしていない。
  それができないのが、民俗学なのだろう。

  柳田國男は日本民俗学の祖となる人だ。どういう業績を残したかはWikipediaで調べてほしい。

  今回は、「第一巻」の内容を、分かる範囲でまとめておこうと思う。

1 海上の道
   ・海上の道(1952年10月〜12月)
「南洋の木の実が日本列島の海岸に流れ着いた」という糸口から、日本人の祖先が稲作技術を携えて沖縄方面からやってきたのではないか、という議論の青写真が描かれている。

  ・海神宮考(1950年11月)
  日本本土の「竜宮城」伝説と、沖縄方面の「ニライカナイ」伝説の類似から、やはり沖縄方面からの人の移動を論証しようとしている。

  ・みろくの船(1951年10月)
  沖縄の「みるく様」と、日本本土の鹿島灘などに伝わる「みろくの船」が、大元を辿れば同じものなのではないか、という議論。沖縄の「みるく様」は「弥勒菩薩」のことだが、中国の「布袋和尚」の格好をして、お祭りに登場する。伝説では、ベトナムから沖縄に伝わったらしい。

  ・根の國の話(1955年9月)
  日本神話(記紀)には「根の国」と呼ばれる、この世ではない別世界が登場するが、それは沖縄方面にいう「ネルヤ」「ニライカナイ」と同根なのではないか、そう言う議論。

  ・鼠の浄土(1960年10月)
  昔話に、お爺さんが「おむすび」を穴に落としてしまったら、そこが「ネズミ」の国だったという話がある。全国で様々なバリエーションがあるが、それも「根の国」と由来は同じ可能性があるという話だと思う。

  ・宝貝のこと(1950年10月)
  宝貝という美しい貝が沖縄方面で採れるが、それを求めに大陸から人が渡ってきたのではないか、という議論だと思うが難しくよく分からない。

  ・人とスズダマ(1952年)
  本州においては、ある種の木の実を数珠状に繋げ、それを首から下げる(ネックレスにする)遊びが子供達の間にあった。そういう習俗は、日本人の祖が南方で暮らしていたとき、宝貝等をネックレスにしていた記憶が残っているからではないか。

  ・稲の産屋(1953年11月)
  現在天皇陛下が行なっておられる「新嘗祭」は、稲に関するものだが、ここにも日本人の来歴が顕れている、という話。ただ、神道に詳しくないとよく分からない。難しい。

  ・知りたいと思ふこと二三(1951年7月)
  柳田國男が未だ満足に解釈できない日本の習俗について、つらつらと書かれている。

  「日本人の祖先が稲作の技術を携えて南方からやってきた」と言うのが、「海上の道」の一応の結論と思われる。ただ、これは現在の考古学の研究成果とは合致しない。    最初の稲作が縄文時代末から弥生時代初頭にかけて北部九州で始まった証拠が地面の下から出ているからだ。北部九州で始まったと言うことは、どうやら朝鮮半島経由で稲作が伝わったことは間違いないだろう。
  ただし、それは沖縄方面からの人の移動までも否定するものではない。南方から伝わった文化もあるだろうし、それが現在まで続く日本の習俗に痕跡を残していたとしてもおかしくはないだろう。

2 海南小記
  ・自序

  ・海南小記(1921年3月〜5月)
   九州から沖縄にかけて柳田國男が旅行した時の記録と思われる。

  ・与那国の女たち(1921年4月)
   与那国のようなところにも平家落人伝説があるらしい。

  ・南の島の清水(1921年5月)
  日本本土の各地には、「タイシ」という何者かが村に現れ、地面を突いて湧き水を出したという伝説がある。その伝説が、日本本土とは政治的に分離されていた沖縄にもあるとのこと。

  ・炭焼小五郎が事
 「炭焼の小五郎の住む山には黄金が余りにも多くあるので、それが価値あるものだという認識がなかった。だが、都からきた貴婦人が『黄金は価値あるものだ』と教えた。それで、小五郎は大金持ちになった」というのが炭焼小五郎の伝説。登場人物の名前は変化するが、類似の伝説が日本各地にあって、なんと沖縄にもある。

  ・阿遅摩佐の島   
  蒲葵…ホキとかビロウとか呼ばれる植物について書かれている。蒲葵は、かつて平安京の貴族たちに珍重された、団扇みたいな葉の植物らしい。初めて知った。この本を読まなければ一生知らなかったかも知れない。ちなみに檳榔(ビンロウ)という東南アジアの植物とは別物。

  ・付記

難しいが、1921年の頃には、沖縄地方と本州との、深いところでの関係を発見していたようだ。それが、戦後の「海上の道」につながる。

3 島の人生
  ・自序

  ・高麗島の伝説(1933年5月)
  海に沈んだ大陸、といえば「アトランティス」が有名だが、日本にもそれに類する伝説があり、その一つが「高麗島」
  島で人々が穏やかに暮らしていた。島にある地蔵の顔が赤くなると島が沈むという伝説があった。伝説をバカにした人が、自分で地蔵の顔を赤く塗ると、本当に島が沈んでしまった。
  その島の生き残りの子孫という人が、この文献が書かれた当時いたという。

  ・ 八丈島流人帳(1933年7月)
  幕末に八丈島に遠島(流罪)になった近藤富蔵が明治時代まで生き残った。その人が八丈島で残した記録。

  ・青ヶ島還住記(1933年8月)
  八丈島のさらに先に青ヶ島がる。人々が慎ましやかに暮らしていたが、火山が噴火し、壊滅した。生き残って八丈島に逃れた人が、青ヶ島に戻り生活を取り戻す話。近藤富蔵が記録に残している。江戸時代であっても、災害に遭遇した人を助ける社会の枠組みがあった。

  ・島々の話(その一)(1909年5月)

  ・島々の話(その二)(1910年4月)

  ・島々の話(その三)(1914年12月)

  ・島々の話(その四9)(1924年8月)

  ・島の歴史と芸術(1928年6月)
  八重山群島の舞踊について。舞踊が東京(?)で披露された際の講演のよう。

  ・島の三大旅行家(1934年4月)
  沖縄方面の研究に関する、柳田のさらに先達の話。

  ・水上大学のことなど(1949年2月)

  ・日本の島々(1951年4月)
  日本には無数の島々があるが、その歴史が蔑ろにされているのを嘆いている。
4 海人部史のエチュウド(1926年5月)
  エチュードというのは練習曲らしい。海人の歴史についての序説ということか?
5 瀬戸内海の海人(1925年11月)
6 瀬戸内海の島々(1927年5月)
7 伊豆大島の話(1927年5月)
8 海上文化(1940年5月)
  日本があの絶望的な戦争を始める前夜に学生に向けて語られたこと。海上文化を無視して日本を語ることはできないと述べている。(日本の自民族中心主義への批判のようにも読める)

  と言うわけで、全集第一巻、無事読むことができた。解釈に誤りがあると思うし消化不良も多いが、一つ壁を乗り越え達成感はある。
  民俗学というのは、「自国の伝承、文化、習俗」を研究する学問だ。
  日本の旧来の伝統は失われつつある。だが、学校の怪談や、色々なアニメなどに、突然古い伝説が登場することがある。案外、伝説の生命力は強いのかもしれない。

  私は色々物語を作ってネットにアップしているが、柳田國男の著作は、有り余るほどの素材を提供してくれる。
  さて、次は第二巻だ。

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