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四月の永い夢を観て感じた疑問

 大学時代、一緒にいる友達に彼氏と別れた話をしないなんてことがあるのだろうか。友達も別れたことに気づかなかったのか。もし、気づいてなかったとするならば、別れた後もカップルのように見えていたってことなのか。それならば納得できる。もしかして、周りがそう思っていたからなんじゃないか、カップルはカップルらしく見えていた。だから本人たちも別れていないように振る舞っていたのかもしれない。

誰かのイメージで自分自身を振る舞うこと

 周りがイメージしている自分に自分自身をを当てはめていくと、ある日突然元彼が自殺を選んだ。周りからは、突然彼氏が亡くなった可哀想な彼女ってことになる。段々と、周りのイメージが自分に乗り移ってきて、それが永い夢に繋がっていったのか。

 別れた時期を考えるとクリスマスデートが上手くいかなったのかな。初海の部屋に枕が二つ並んで、机上で手紙?が燃えているシーンがあったけれど、あの部屋には元彼の匂いが残っているんだな。本人はそう思っていないのかもしれないけれど、周りのイメージがそうさせているのかも。

 そう考えると、教え子に「先生」と呼ばれていた初海はどんな人よりも先生に見えた。当時、教員からは3年も離れていて、蕎麦屋さんアルバイトであるにもかかわらず。誰かが、元教え子が自分を「先生」だと言ったから、そう求められたから。一人で教え子の変な暴力男のところに乗り込んでいくし、友達を置き去りにしてですよ。正義感があって、責任感があって、なんかほっとけない性格なのかな。元彼の高校時代は、タバコを吸って親が呼ばれたりもしていただろうから、ちょっとした不良だったんだろう。不良っぽいやつって何かとモテるからな(偏見)。ただ、こいつはただの不良じゃないのよね。たくさんのラブレターを彼女に送る男で、小さい頃は天使みたいと言われた明るさもあって、両親がしっかりしている+冗談なんかも好きで...一体どうやってグレたんだろう。窮屈すぎたんかな。田舎のを飛び出して、上京するぐらいだから、映画には出てこないけれど、田舎でいろいろあったんだろう。ない奴なんていないんだから。いろいろあったんだろうな。きつかったんだろうな、人生。

 周りが言うことで自分の型が一つ出来るっていうことはあるんだと思う。時にそれは呪縛になることもあるが、最後に緑盛った桜並木を歩くところで呪縛から解放されたのかなと感じた。きっと、3年前元彼の葬儀かなんかの帰りに満開の桜並木を歩いて、夢の中に入ってしまったのかな。それを、元彼の母親に彼とは自殺した時には既に別れていたということを話すことが出て、喪服のまま歩いた桜並木を歩いて、川の音、セミの泣き声、強い太陽光、あの時と全部違う景色を肌で感じて、解放されたんだ。私は、そう思いたい。

 これは、5回目ぐらいの観賞で感じたことで、一番最初に観た時は、なんてジュースを受け取る仕草が綺麗な人なんだろうと、Amazonプライムで無料なのを良いことに、ベンチで三浦貴大と話シーンは何度も見返した。両手でジュースを受けてとるところが本当に綺麗だった。あれで私は初海ちゃんを好きになった。映画って、そういうシーンに出会えるから好きだ。

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