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コミュニティづくりのコツは「おもてなし」をやめること

コノビーという子育てメディアで読者である0歳の子どもを育てるお母さんが集まるコミュニティ「コノビーサロン」を1年半(4期)運営する中で、大切にしてきたこと、そのひとつが「コミュニティの参加者をお客さんにしないこと」だった。

会社でなにかリアルイベントをしよう!となると、お客さんに失礼にないように、と完璧に準備してどうおもてなしをするかを考える。

特に有料のイベントの場合は、その金額に見合う質の体験を提供しなければいけないと思ってコンテンツの質はもちろん、高級ホテルのようなホスピタリティを目指したりしがちだと思う。

だけど、実はその「おもてなし」が提供者と受益者という上下の関係をつくり、コミュニティづくりを阻害しがちなのではないだろうか。

自走するコミュニティは、参加者が主体的に動く。つまり、そのコミュニティをつくる一員という風に感じられているということ。参加者が受益者ではなくなっているという状態になる。

コノビーサロンでしていた、参加者をお客さんにしないためにいくつかの工夫を紹介したい。

例えば、社内のMTGでもイベント当日も参加者のことは参加者ではなくて「サロン生」と呼んでいた。自分たちのことも運営とは言わなかった。自分たちからあえて、こっち側とあっち側のラインをひかないほうがいい。

それから、フラットな関係をつくるためにお互いにニックネームで呼び合う。それは、参加者同士はもちろん、参加者⇔運営も、運営⇔運営も。わたしは副編集長という肩書きがあったけど、いまでもサロン生のみんなからは「さやちゃん」と呼ばれている。

地味なところだと、挨拶をどうするか問題というのもある。
イベントの受付で多いのは「いらっしゃいませ」で出迎えて、「ありがとうございました。またお越しください」とお見送りをする。
なんて迎えるのがいいかなぁ?そう話し合った結果、コノビーサロンでは1回目は「おはようございます!」2回目からは「おはよう!」とサロン生を迎えていた。

ちなみに帰りは「またね!」「気をつけて帰ってね!」だ。この辺はルールというより、自然にこういう言葉がでてくるようになった。相手がいやな気持ちにならない範囲で敬語ではなく、自分のことばで話す。それは、コノビーサロンのグランドルールのひとつ「わたしを主語で話す」ことの体現でもある。

何回か会を重ねるとサロン生は自然に会場の片付けを手伝おうとしてくれるようになる。最初は「しなくていいよ!」と言うときもあったのだけど、手伝ってくれる気持ちを受け取ってそういうときは「ありがとう!」とやってもらうことにした。

4期では、オンライン上でのコンテンツについてキャッチコピーを考えてもらったり、イラストを書いてもらったり。この夏は、卒業生にイベントのレポート記事を書いてもらったり、書籍の表紙デザインについて意見をもらったりもした。サロン生は、お客さんではなく友人のような仲間のような存在になっている。

「イベントを開催する」ということと「コミュニティのイベントを行う」ことは目に見えるTODOは同じでも、こだわるべきポイントがちがう。

コミュニティをつくろうとしたときは、提供しよう、失礼なく、が仇になるときがあるのだ。

完璧に準備されたものには関わりたくても関われない。参加者が受け身ではなくなるためには関わるための「余白」がいる。

余白があることで、人はそこに関わり居場所をみつけやすくなるのだと思う。

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