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その仕事に、動機はあるか?

「みたむらさんが、会いたい人を呼んだらいいよ」

時はまだ暑かった9月に遡る。

わたしが所属している「コルクラボ」というコミュニティで、「コルクラボ文化祭」なるイベントを開催することになり、わたしはサディこと佐渡島さんのトークショーのプロマネを担当することになった。

トークショーの対談相手をどうしようか、という話をしていたときにサディに言われたのが冒頭の言葉。

それは「文化祭は好きのおすそわけなんだから、自分の好きが入ってた方がいいんじゃない?せっかくなんだからラボをつかってみたむらさんが話を聞きたい人を呼んだらいいじゃん」と続いた。

登壇者を選ぶにあたってわたしが考えていたのは、サディが話して面白い相手がどうかと、イベントとして集客できて当日盛り上がるかどうかだった。

それらはもちろん大切なことなんだけど、そこに自分はいなかった。

わたしが話を聞きたい人は誰だろう。考えはじめてこの人!と思ったのが文章表現インストラクターの山田ズーニーさん。

ズーニーさんのワークショップはウェイトリストが打ち切られるくらいの人気っぷり。ふだん積極的にイベントに登壇されているようなイメージもない。来てもらえるのかどうかはとても不安だったけど、コルクラボの懇親会で「山田ズーニーさんを呼びたい!」と話をしたら、ズーニーさん来てほしい!と盛り上がるラボのメンバーと「いいんじゃない。Twitterで話しかけてみたら?」というサディに背中を押されて、お願いしてみることを決めた。

どうしたらズーニーさんに来てもらえるんだろう。なんでズーニーさんに話を聞きたいと思ったのか、2週間くらいその理由を書いては消しを繰り返しているうちにあぁコレがわたしの動機だ、というものが見つかった。

「人とつながる自分の言葉の見つけ方・伝え方」について聞きたい。

最近のわたしは、周りの人に理解されないと思うことが増えて、勝手に傷つき勝手に孤独になっていた。だけど、そもそもわたしは自分のことを伝えられていないのではないか、理解されるためにはまず自分が伝えないといけないのかもしれない。そう思った。

それは最初に書いた企画書的な文章とはほどとおく、どうにもかっこ悪い自分がいる文章だったけど、勇気をふりしぼって、TwitterでDMを送った。

返信は来ないかもしれない、文化祭に来てもらえないかもしれない。もしダメだったら、コルクラボのゲスト会に来てもらうことをもう一度お願いできないだろうか、そんな風にとても弱気な気持ちでいたのだけどなんと「ぜひ!」というお返事が届いた。

そのときはちょうど渋谷のカフェにいて、久しぶりにひとりでガッツポーズをした。気持ちが届いた、そんな気分だった。

本番はまだすこし先だけど、わたしの中の文化祭のハイライトはきっとこの瞬間だし、当日のトークショーをきっとわたしは誰よりも楽しみにしていると思う。

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会社という場所で、個人的な動機というものはほとんど問われない。

個人的な動機というのは大きなパワーになるけれど、それを会社の中で貫くことはけっこうしんどかったり、自分がどうしたいかよりも、意思決定する誰かがどうしたいかを想像して先回りした方が仕事を進めるには話が早いこともある。

でも相手のことばかりを考えていると、その仕事にどんどん自分がいなくなっていくし、仕事はつまらなくなってしまう。

そこに動機があれば、仕事はやらされるものではなく、やりたいことになる。

そこに動機があれば、自分という対象者がうまれる。漠然とした誰かじゃなくて対象である自分が喜ぶことをやればいい。


自分の動機からはじめたことじゃなくても、目の前の仕事になにか自分の動機を混ぜ込みたい。

誰かのためだけじゃなく、自分のために、もっと仕事を楽しくすることができる。そんな風に思った出来事だった。サディありがとう。


このnoteを公開する前にズーニーさんのトークショーのチケットは売り切れてしまったのだけど、ほかにも楽しいイベントが盛りだくさん。それぞれにコルクラボのみんなの動機がつまっているコルクラボの文化祭、公式サイトはこちらからどうぞ!


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