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子どもの「好き」をじゃましないこと。

「ママ見て!はやく!」

小1の息子に呼ばれて行くと「ねぇこれなんだと思う?みたことあるでしょ?わかる?」一気に質問が繰り出される。

どうもマイクラでなにか作ったらしい。なんだろう?

「うーん…チェスト…?」

「そう!みたことあるでしょ!このチェストはあけるとなにがはいってると思う〜?」

「え…うーん、ばくだん?」

「ちがうよ、りんご。回復できるよ。こっちはなんでしょう?」

なになに、全然ついていけないんだけどどういうこと?

選択肢くれないのかな、問題の難易度が高すぎる。

「えぇーわかんないよ!」

「こっちは〜〜あたり!」

「んん?どいういうこと??」

あたりとは?いったいなんの話なのか。

「あたりの旗だよ、わかるでしょ?脱獄ごっこだよ!」

「!!!!」


**


小1息子がマイクラにハマって1ヶ月ちょっと。

マイクラで形にしたいことを調べるためにYouTubeをみるようになって、そこからまいぜんシスターズのマイクラゲーム実況YouTubeにがっつりハマった。

とくにマイクラのストーリーものや脱獄ものが大好きで何週間か我が家のリビングではずっとまいぜんシスターズの動画がリピートされ続けた。

(ゲーム実況のYouTubeをわたしははじめてみたけれど、まいぜんシスターズの動画はストーリー性も高くて企画力すごいな、と仕事視点でも勉強になった。息子のおかげてわたしの世界はひろがっている)


ちがうの見たら?と言っても、だんこ拒否。


そのうちまいぜんシスターズがマイクラではなく、脱獄ごっこというゲームの実況をしている動画もみるようになって、わたしのスマホで回数を決めて、脱獄ごっこもプレイするように。

動画で見るだけだったゲームを実際にプレイできること、まいぜんシスターズがやっていたゲームをやってみること。

息子はうれしくてうれしくて大興奮だった。

実況動画をみて詳しい息子は、プレイしながらゲーム実況なみに解説をしてくれた、自慢気に。


テレビをモニター代わりにまいぜんシスターズのYouTubeを流しながらマイクラしたり脱獄ごっこしたり。

そうやって熱烈なまいぜんシスターズシーズンを過ごしていた息子。


あんなに、そろそろちがうの見たら?と言っても、まいぜんシスターズを見続けていたのに、パタリと見なくなった。

ちがうの見たら?という声かけがいかに無用かよくわかる。

ハマったらハマりつくす。やり尽くしたら自分でやめるのだ、息子は。


あきたんだな。まぁあれだけ見たらあきるよなぁ。

そう思っていた。


そんなときだったのだ。

息子がマイクラで自分でつくった脱獄ごっこの世界を見せてくれたのは。



好きで好きで好きでたまらなくて、何度も何度も動画をみていた息子は、その世界観を、そのゲームを、自分でつくってみたくなった。それを自分でプレイしてみたくなった。

そして黙々とつくっていたのだ、自作脱獄ごっこを。



ずっとYouTubeをみていることに心配になる気持ちはゼロではない。

もっとちがうの見たらいいのにと思う瞬間もゼロではない。

YouTubeを観てるのってなんとなく消費的に見えてしまうから。


だけど息子にとってのYouTubeは創作のイマジネーションを得るもの。

そして、表現活動の熱量になるものだった。


たくさん見ていたYouTubeも彼の中でインプットとして蓄積されて、発酵して、作品として表現される。


「好き」の力ってすごいなぁと感じた出来事だった。



子どもためになにかをしてあげることも大切だけれど、子どもは自分のペースで学び、大人がよけいな心配をしなくても進みたいように進んでいく。


子どもの「好き」をじゃましないこと。

それも大人にできることのひとつなのだと思う。




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