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敵はこんな近いとこいたか こらぁぁぁ!!!!(by若林正恭)

クソ野郎の父が死にました
思っていたより急だったので
バタバタしましたが
一通り終わりました

死に目には間に合わず
病院についたときは心肺停止状態でした

クソ野郎のため
連絡できる人も殆どいなく
私が喪主となり 旦那 母 の3人で見送る
極小葬式になりました

旦那からは非難を受けましたが娘には連絡せず
旦那の実家 少ない親戚 会社にだけ連絡し
近くの小さな葬儀屋さんにも亡くなる前日に相談しに行き
旦那の新調した礼服も当日に仕上がり
全てギリギリですり抜けた見送りでした

1週間たちますが やはり1度も泣くことはなく
初めてやることばかりで
それをこなしてきた感じです

基本 ほとんど直葬に近かったので
そんなに休みはいらなかったのですが
会社が気を使ってくれ1週間お休みをさせてもらいました
(忌引き休暇の規定がないから有給だけど)

この1週間で何度も父親に拝みましたが
心の中で
「長い闘いだったな、あばよ」
と柳沢慎吾ばりの声掛けをしていました

毒親が死んだらどういう気持ち?

悲しくもなく でも ほっとしたということもありませんでした
すごく不思議な感覚で 淡々と目の前のことを受け止めていて
思っていたのと違うなぁと火葬場のソファに座りながら
ぼんやり思いました
虐待をされたことも帳消しになることはなく
クソ野郎だと思う気持ちも消えることがなく
それでも人が1人いなくなることは
とても衝撃的で 少し考え方が変わったかもしれません

色んな気持ちがあっていいと思う

私はずっとクソ野郎の父親が死ぬことを望んでいました
小学生から40年近く迷惑をかけられ
足を引っ張られ
殺されかけ 
何度始末してやろうかと思ったか
このクソ野郎の娘に生まれたことを何度も恨みました
亡くなる前の週も病院で今後のことを相談員さんと話したばかりで
この病院を追い出されたら 今後受け入れてくれるところはあるのだろうかとずっと悩んでいました

でも葬儀屋さんとの打ち合わせで
これも追加してやってあげてほしい
ここはこういう風に華やかにしてやってほしい
ちゃんと旅立てるように最低限でいいから送り出したいなど
普通の娘のような気持ちが初めてでました

たぶんそれは父親だからというわけではなく
1人の人間が死んだということへの弔いの気持ちだったのかもしれません

それだけ人の「死」はとても重かった

命の尊さを実感しました

自分の中に 父親への憎しみと
今まで絶対に認めたくなかった愛情と
思いやりがあったのかもしれません

そして気持ちは1つじゃなくても
相反する気持ちが存在していてもいいのではないだろうかと
思います

でもこれで終わりではない

目に見えていた「敵」はこの世から消えましたが
クソ野郎から受けた傷は
消えるわけではありません
父親が死んでも形を変え
これからは私自身の中でまたこの傷に向き合っていかなければなりません
自分の人生なので

私の敵は 実は父親ではなく母親だということ

母親は大人しく見えますが
頑固で自分のことしか考えていません
「らいまるさんの本当の敵はお母さんよ」と
カウンセラーさんによく言われていましたが
父親がわかりやすいクソ野郎だったので
母親はその陰に隠れてしまい実感がありませんでした
でもいつも母親に会いたくなく
顔を見るものも嫌で 彼女が寝てから帰るようにしている自分が
異常なのかなと何度も思いましたが
今回の父親のことで何十年ぶりかで喧嘩をしてわかりました

病院から危ないと言われて病院と連絡をとったり
仕事の引継ぎ連絡をしながら待機していた私に
「死んだら私は何日仕事をやすまなければならないの?」
と聞いてきたのです。
それもとても迷惑そうに

私の中でぶちっと音を立てて何かが切れてしまい
「いや、あなた自分のことしか考えてないよね?」
と思わず言ってしまいました

母は空気の読めない発言をよくする人ですが
それは流石にないだろと

両親は離婚しています
戸籍上は勿論他人です
でも離婚後も交流を続けていたのは母親の方で
私はなぜ離婚したのに付き合いを続けるのだろうと
不思議で仕方がありませんでした

私は娘という切りたくても切れない呪縛に縛られ
それでも段取りしているというのに

ずっと我慢して言わないでおこうと思っていた言葉がでてしまいました
「私はさ、あなたたち2人の尻ぬぐいのために産まれてきたわけじゃないからね!!!」と

母は寝込んでしまいましたが
私も言いたくないことを言わざるを得ないことになり
だいぶダメージを受けました

私の戦いはまだまだ続き 今度は母親になるでしょう

敵はこんな近いとこいたか こらぁぁぁ!!!!









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