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卒論提出したよ

文章は鮮度が命!だと思うので、興奮しているうちにnoteに記録しておきます。

無事、卒論を提出しました!やったー!!

フロアには卒論提出用の簡易ブースが置かれていたり、同じ学部の人がわらわらと集まっていたり、いつもと違う5号館の雰囲気に圧倒されてしまいました。
しかも体裁チェックもあんなに厳しいとは思っていなかったので、「副題のハイフンが全角になってるからダメ」とか「目次から 1頁にカウントしているからダメ」などの理由で追い返されている人を何人か見かけました。副題付けなくて良かった〜と少し思ってしまいました。

さて、卒論提出をもってひとまず16年間の学生生活に区切りがつきました。小学校で漢字や日本語の正しい文法について学び、中学・高校で暗記中心の基礎的な知識を入れて、大学に入ってから今まで学んできた知識を活かして新たな論を展開し、文章を何度も推敲する…という一直線の流れは、ここまでの人生で割と真面目に勉強してきた自分にとって非常に気持ちが良かったです。伏線回収というか、全部繋がっていたんだなと思いました。

それと同時に、やっぱり苦手なことから逃れることもできないんだなとも思いました。
私は日本史専攻で明治時代の博覧会をテーマに卒論を書いたのですが、あの時ちゃんとやっていれば良かった…と思うことが多かったです。
例えば高校生の時、文化史はあまり志望校の入試に出ないから、と勝手に山を張って明治時代の美術史は全部捨てていたのです。そのため、論文を読んでいてフェノロサや岡倉天心、龍池会や東京美術学校などの用語が出てくる度にドキッとして、結局概論書を読み直すことが多々ありました。高校生の頃に基礎的な用語だけでも頭に入れておけば、もう少し論文の解像度を高めることができたのではないかと思います。
また、大学2年生の頃に受けた必修の「古文書学」という授業はもっとちゃんと受けとけ!と過去の自分に言ってあげたいです。(多分聞かないと思うけど)百人一首に書いてあるような崩し字を読む授業なのですが、崩し字って何となく平安とか江戸の文字だと思い込んでいた節があって、明治時代専攻の私はまさか崩し時を読むとは思っていなかったのです。なのでその授業は最低限の勉強だけして可を取るレベルでした。しかし4年生になって実際の史料を読んでみると、崩し字の史料が多くてかなり苦労しました。明治時代は活版印刷技術が誕生したこともあって他時代よりは活字の一次史料も多いのですが、それでも地方の役所が各寺社に宛てた手紙などは癖のある崩し字が多かったです。日本史をやるなら崩し字は読めるようになるべきです。

美術史も崩し字も、その時の自分が楽しようとして逃げていた分野でしたが、結局卒論では真っ向から戦うことになりました。逃げてもまた追ってくるなら最初から向き合った方が良い、ということを身をもって学べた意義は非常に大きいです。

まあ色々と大変だった部分もありましたが、楽しいと感じる時の方が圧倒的に多かったです。知らないことを知るのは面白いし、複数の文献から証拠を集めて 1つの仮説を導き出す過程は探偵そのものです。そして当時の人が読んでいた文章を令和に生きる私も読んでいる、と時間軸が重なる状況に、私はひっそりと浪漫を感じていました。2年生の頃に「歴史学とは何か」というテーマについて考える授業があったのですが、4年生の12月でようやく、歴史学は文章の行間を読む学問であると自分なりに結論づけることができました。

楽しいなら研究の道に進めばいいのではないか、と考えるのは単純すぎると思います。卒論を通して、私は研究者に向いていないとつくづく感じました。自分の成果が数字としてハッキリ表れない、自分と文書という 1対 1の空間、ジェネラリストではなくスペシャリストが求められる環境、そして完全に自分の実力で生きていかなければならない点で、私は研究者とは程遠い存在なのです。ゼミの教授はもちろんのこと、毎日自習室にいた修士や博士の先輩は本当に尊敬しています。

今後卒論ほど大掛かりなことを個人的にやる機会はなかなか無いと思いますが、年単位で 1つのテーマに取り組む面白さや図書館・文書館を利用すれば1人でも専門的な学習ができることを実感したので、社会人になってからも自分なりにテーマを設定して勉強は続けていきたいと思います。
横浜の郷土教育とか、割と興味があります。史料も多そう。


色々書きましたが、卒論に関しては自分の書きたいことを書けて良かったです!それに加えて史学的なアプローチや史料の調べ方・読み方を最低限は習得できたので、今後の人生が少しだけ豊かになるような気がしています。

2月に口頭試問が残っているのですが、ひとまず今月いっぱいは日本史から離れて、引っ越しと卒業旅行に向けての小遣い稼ぎとITパスポートの勉強を頑張ります!

では、また今度!