見出し画像

誤解アドラーに出くわす×2

このところ2回続けて、人に教える立場の人が講座のなかで、(あらら、それアドラー心理学とちゃう!)と感じさせられるような発言をしているのに出くわした。

ひとつは、対人関係のストレスが続いているときの対処のアドバイスで、「アドラー心理学が役に立ちますよ。課題の分離するといいのよ」と。

もうひとつは、臨床心理学のいろいろに言及するなかで、「アドラー心理学はねー、要らないと思う。嫌われる勇気なんて要らないですよ」と。

………

いまだに、というのか、今に至って、なのか、そんなふうに伝わっているんだ。理解(誤解・曲解)されているんだ。

もったいない。(かなしい)

「課題の分離」も「嫌われる勇気」も、アドラー心理学の理論でも思想でも技法でもない。

ではアドラー心理学って何なのか。ここで短く明示するのは難しいけれど、感覚的なことばで云うなら、もっとずっとあたたかく、使いみちで云うなら、もっとずっと援助のちからが強い、そんな理論と思想(と技法)だと私は捉えている。そのように教え導いてきてもらったと思う。

その、あたたかいちからが伝わり実感されますように。

嘆いているばかりでなくて、願っているばかりでなくて、そのためにできることを私は私のフィールドでやらんとね。

あらためて強くそう思わせてくれたのは、よい機会だった。と記しておこう。


折りしも基礎講座理論篇、久しぶりに。また新しく。↓おすすめ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?