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飼い猫の介護の時がやってきたかもしれない。

一昨日、猫が倒れました。
名前はクリ。
今年の夏で10歳になった初老のサビ猫です。
家には全部で3匹の猫がいるのですが、私はその日、残りの2匹がリビングをウロウロしながらキャットウォークに並んで座っていたりするのを、「かわいいね」と言いながら写真を撮ったりしていました。
いつもは18時半には餌をやるのですが、その日は疲れて休んでいたので、既に19時。
さて、そろそろ餌をやるか、と腰を上げてキッチンに行くと、クリが床で寝そべっています。
「ふふ、暑いからクリもこっちで伸び――」
……
言葉が続きませんでした。
クリが、
横たわって口で息をしながら、床には黄色いおしっこが小さな水たまりを作っています。
「ちょっと来て! クリが倒れてる!」
大声でパートナーを呼びながら駆け寄り、状態をみます。
呼吸は口でできているものの、よだれも出ているし、呼吸する度にお腹が大きく上下して苦しそうです。
私は口や脚を拭き、パートナーがかかりつけの動物病院に電話。
営業時間はとっくに過ぎているけども、対応してくれるとのこと。
すぐにキャリーに入れて連れていきました。

鳴き声は悲鳴

病院に連れていくとすぐに院長先生が診てくれました。
クリは大人しい猫なので暴れませんが、病院に連れていく前からずっと「ナー ナー」と、いつもとは違う声で鳴いています。

怖いんだろうな。
これ、人間の言葉に直すと、

「嫌だよ」
「ママ、はやく助けて」
「怖いよ、痛いよ」

こんな感じなんだろうな。
つらいなー。

そんなことを考えていると、涙が出てきます。

飼主のエゴって、そりゃ全部エゴよ

レントゲンを撮り、エコーで見ましたが、肺水腫なのか他に原因があるのか断定できないとのこと。
翌日なら血液検査もできるので、翌日も連れていくことに。

翌日も嫌がって、キャリーに入れるとおしっこを漏らしました。
「ごめんね」と言いながら連れていきます。
検査をした結果、「胸腺種か肺捻転だろう」とのこと。
CTを撮ったら断定できるかもしれないけども、断定しても手術しか治す方法はない。

クリはもう10歳。
もともとぜんそくも持っているし、3年前には血栓で一週間ほどフラフラした際には、お医者さんに「いつ死んでもおかしくない」と言われたこともあります。

飼主の勝手な判断かもしれませんが、手術に耐えられる体力があるとは思いません。
そもそも、延命治療に、苦しい、怖い思いをさせるのが可哀想です。

こういう時、「それは飼主のエゴだ」という意見の方もいらっしゃると思います。
「猫は生きたがっているかもしれない」と。
もちろん、クリは喋りませんから、「体力的に耐えられない」というのも全て私の想像であり、エゴなんです。
ですが、積極的に治療する。というのもエゴだと思うんです。
飼い主の「生きてほしい」は絶対に存在しますから。

家で面倒を見る選択をするのも、エゴ。
積極的治療も、結局はエゴ。

ペットを飼って面倒をみるのは、ほとんどの行為がエゴなんです。

積極的治療はしないという選択

これは賛否両論ある、センシティブな問題ですが、パートナーと話し合って「うちはしない」という結論を出しました。
病院に行くだけでもおしっこ漏らして泣き喚くのに、CTを撮って手術なんて、どれだけストレスを感じるでしょう。
そんな辛い思いをさせてまで、延命しなくていいです。

最期の時まで、どこまで安らかな時間にしてあげられるか。
私はそこに力を注ごうと思います。

それにしても……
これは家族が病気になった時に誰もが考えてしまうことだと思いますが、

「どうしてもっと早く気づいてやれなかったのか」
「あの時のあの鳴き声は、何か訴えていたんじゃないか」
「少食だからって諦めずに、もっと食べさせて太らせてたら良かった」

もっとこうしてれば良かった。
もっとああしてれば良かった。

そうやって、延々と自分を責めてしまいます。

いかんいかん。
どこまで安らかな時間にしてやれるかに力を注ぐんだろ!
私が悲しそうだとクリが不安になってしまう。
パートナーと静かな喧嘩をしてても間に入ってくる、敏感な子だから。

とりあえず、先生には「太らせろ」と言われているので、たくさんご飯を食べさせて、死ぬほど可愛がってやろうと思います。
ふくふくにしてやる。

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