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LGBT当事者の違和感なのか何なのか

最近、増えてきた気がする。
LGBTをマイノリティの例として挙げる読み物というか、
左利き ●%
LGBT ●%
〜 ●%
とかとか。
上の例は「LGBTなんて左利きみたいなもんだ」って言ってるみたいで、「その通り!」って思うんだけども。
ただ、そういう「マイノリティの例」というか「社会的弱者の例」みたいな、「差別されるかもグループの例」というか、そうなんだけど、
でも、

あれ?
私ってそれに属するんだっけ?
という小さな違和感がある。
なんだろう、この違和感。
そういうところで目にした「LGBT」の言葉には、自分からは距離があるような。
なんだろう、この距離。
まるで他人事のような。
自分の認識と、そういった「マイノリティの例として」のLGBTの認識に差異があるのかもしれない。
もしくは、
もしかしたら、
私は思い込んでいるだけかもしれない。
自分はLGBTってやつだと。
マイノリティ属性をつけとこうと思って。
そういうところあるから、私。
セクシャリティは自分で決められるけんね。
「自分マイノリティなんで」みたいな顔しようと思って。
そういうところあるから、私。

そんなことを考えながら、駅の階段を降り、改札をくぐり、コンビニの角を曲がり、家のドアを開ける。
「ただいま」
リビングに入る。
「おかえり」
パートナーが座ってゲームをしている。
女。

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