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落語ラン vol.24 「乳房榎ラン」

沖縄100Kウルトラマラソン(200Kの部)完走のために距離を稼ぐ必要のある私のためにあるとしかいいようがない噺を発見しました。その名は「乳房榎」。フランス書院文庫にでも所蔵されそうなタイトルですが、ゴリゴリの怪談大作です。私は以前立川こはるさんで聞いた事があります。

あらすじ

絵を描くのが得意な間与島伊惣次は、武家を辞して「菱川重信」という絵師になり、絶世の美人と評判のおせきと生まれたばかりの真与太郎と【柳島】で暮らしていた。本所・【撞木橋】近くに住まう浪人磯貝浪江は、重信の弟子となるも、おせきに横恋慕。時を同じくして重信は【高田砂利場の南蔵院】の依頼で本堂の天井に雄竜、雌竜を描くことになり、爺やの正介とともに南蔵院に泊まり込む。一方、留守宅を狙い浪江はおせきのもとに日参。ある日仮病の癪を起こして泊まり込んだ浪江はおせきに関係を迫り、断るなら子の真与太郎を殺すと脅す。おせきは断り切れず、浪江に身をまかせたが、徐々に悪縁が続くようになってしまった…。
ある日浪江は陣中見舞いを装って南蔵院を訪れる。絵の進行状況を把握するためだが、思いの他作業が進行していることに気づいた浪江は爺やの正介を【馬場下】の料理屋に連れ出し、金を渡した上で重信殺しをもちかける。脅された正介は、気分転換にと重信を蛍の名所落合に連れ出す。帰り道、【田島橋】の辺りに来たところで、藪に潜んでいた浪江の竹槍で突かれて重信は命を落とす。あろうことか主人の殺害を手引きさせられた正介は、転がるように南蔵院に逃げ帰る。すると、何と重信が一人静かに絵を描いている。ちょうど最後の雌竜の片腕を描き上げ、落款を押しているところで、重信は「何を覗く!」と一喝。正介の悲鳴を聞きつけ寺の者が駆けつけるが、重信の姿はなかった…。
不義と重信を失った喪失感に苛まれつつもおせきは浪江と再婚し、身ごもるが、乳に腫物が出来て狂い死にしてしまう。正介は浪江にまたも命じられ、真与太郎を角筈の【十二社権現】の滝に投げ込むが、滝壺から重信の亡霊が現れ、正介に真与太郎を助け仇討をするよう命じる。正介は故郷の赤塚村【松月院】の門番となり、真与太郎を育てる。境内の大きな榎に乳房の形をした瘤があり、そこから出る乳にも似た甘い樹液で真与太郎はすくすくと成長するが…。

ランニングコース

柳島→撞木橋→馬場下→南蔵院→田島橋→十二社熊野権現→松月院

柳島

柳島は、今の錦糸町あたりで地名からは消えてしまっています。しかし「柳島小学校」というのが現存しますので、恐らく横十間川の近くの地域だったのでしょう。なお、余談ですが柳島小学校の向かいにある「本所郵便局」は、本所にないくせにそういう名前を名乗っているというので、タクシーの運転手さんの試験に良く出ると昔聞いたことがあります。

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撞木橋

撞木橋が架かっていた大横川の近く(緑四丁目)には以前住んでいましたので、勝手知ったる地域です。今は撞木橋は無くなってしまい「馬場道」という通りになっています。ごく近くには芥川龍之介の卒業校である名門両国中高があります。

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馬場下

馬場下は、今の穴八幡がある辺りですね。料理屋はさすがに特定はできないのですが、今の馬場下界隈はご時世でもあり、三朝庵、メーヤウ、シャノアールなどがなくなり寂しい限りです。

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南蔵院

高田馬場、早稲田辺りを流れている神田川は昔は「砂利場」として機能していたのでしょう。南蔵院の山号寺号は真言宗豊山派大鏡山薬師寺南蔵院ということになります。近所には落語「道灌」でも有名な山吹の碑がありますが、マンション建設で微妙に位置が移されていました。

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田島橋

田島橋は、ちょうど高田馬場駅からさかえ通りの飲み屋街を抜け、東京富士大学に向かうところに架かっているあの橋です。あ、これが「田島橋」か!と思いました。さすがに、今は蛍は見られないでしょうね…。

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十二社熊野権現

十二社権現、つまり熊野神社には滝があり、昔はテーマパークのような機能を有していたようですね。立派なたたずまいです。なお、余談になりますが、十二社の交差点のはす向かいに今は建て替わってしまいましたが「スタジオ・ゼロ」があり、今年50周年を迎えた「ドラえもん」はここで生まれました。藤本弘先生の天啓にも似た思い付きで生まれたことは有名ですが、熊野神社の霊験があったのかも知れません。また、ドラえもんの話のいくつかは落語に題材を求めたものがあるのはあまりにも有名です(「寝床」「壺算」など)。

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松月院

松月院の名前は前から知っていました。というのは、砲術家高島秋帆がこの近辺で幕末に公開演習をやったことを知っていたから。大規模な団地で有名な高島平はこの高島秋帆の名前が由来なんですね。で、私は学生時代に高島平に住んでいた時期があったため、知っていたのです。ところが、今回何よりも驚いたのは「次郎物語」で有名な下村湖人先生の墓所でもあったことです。私の出身校、佐賀県立鹿島高等学校は、2018年に姉妹校とも言うべき実業高校と合併、新生鹿島高校の道を歩み始めたのですが、合併後の校歌は旧制高校の「眠れる者よ~」で始まる下村湖人先生作詞の格式の高いものに戻ったのです。落語ランのおかげで、偶然とは言え下村湖人先生のお墓参りが出来るとは、何たる偶然!松月院は非常に落ち着いた佇まいの良いお寺でした。そして、余談ですが寺院内の幼稚園(松月幼稚園)の園歌は中田喜直さん作曲でした…。何と格の高い…。

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マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.69356970087177,139.80866434041147,16/aid=1684c3/

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