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38歳のハローワーク。

とかく今は、何をしてても、生きづらい。

まるで戦時中みたいな閉塞感。マスクと真夏日のせいだけじゃない。いつ何時社会の目にさらされるかわからない怖さに、毎日怯えて生きている。毎日更新される数字を聞くたび、真綿で首をじわじわ締められる。

すべてが不確かだから、みんな思い思いに偏った自分だけの正義を振り回す。誰も彼もが余裕がなくて弱ってるから、軽くしんどいって言うこともできない。直接会えば1分で笑って終わりな話も、リモートだと一言一言研ぎ澄ますように研磨して、下手に牙を向かないように整えて、細心の注意を払って繰り出さなきゃならない。1つずつは小さいことかもしれない。でも一挙一動がこれだから、みんな知らぬうちに負担を抱え込んでいる。でも、みんなだから。みんな大変だけど対応してることだから。1人だけ弱音を吐けない。わかる。わかりみが深すぎる。もうしんどいよね。

抱え込めるキャパシティは、一人ひとり違う。溢れ出す前に逃げろっていうけど、それを自分でわかってる人はどれくらいいるんだろう。突然溢れ出すんだから、誰にも止められないんだよ。花粉症とおなじだ。

それでも毎日毎日変化する世界においていかれないように、片っ端からウェビナーやらラーニングアプリで少しずつ見せかけの知識を増やして、増やして、増やし続けて。これが10年後には、また意味がなくなることを知ってるのに。なのに止まらず走り続けて。いったい何をやってるんだろう。

生産 消費 生産 消費

地層のように繰り返される民主主義のミルフィーユに、もううんざりしている。まぁ、最初に広告業選んでる時点で、詰んでるんだけど。ほぼゴミだから。

薄々気づいてはいた。それでも楽しかったからよかったんだよ。言うなればそう、次から次に一目惚れを繰り返してきた感覚。でもわたし気づいてしまったの、この話に続きはないってこと。ただ突風のように吹き抜けて、後には何も残ってないこと。

あぁ、虚無!

手もとの雪をとにかく集めては投げて毎日雪合戦やってるような人生から、そろそろ解脱する時が来ているのだ。そう、卒業のときなんだ。盗んだバイクで走りだすときが来たんだ。

そう思っていた矢先、タグボートの岡さんがこの世からいなくなってしまった。広告のひとつの時代が終わる。終わろうとしている。

この国の国民は、どこまでも耐えるのが好きだ。本当はみんな大声で叫びたいはずだ。朝までどんちゃん騒ぎして、みんなでデカい杯回し飲みして、やってらんねーよって怒って笑って歌いたいはずなんだ。でもただ静かに現実を受け止め、言われなくても秩序を守る。嘆かない、荒ぶらない、暴れない。見ていて怖い。

わたしたちのなかで燻った膨大なエネルギーたちは一体どこへ行くんだろう。反骨精神が爆発して伝説のロック歌手がこの先いっぱい生まれるとか、そんな笑いや文化に昇華させられたらいいな。

そう、大人は子どもたちをワクワクさせてあげないといけない。かつて自分がそうしてもらったように。悲劇のヒロインになってる場合じゃないんだ。

先生や友達のマスクした顔しか知らない子どもたちを、給食は黙って前を向いて食べるものだと思っている子どもたちを、フェイスシールドをして笑顔でバレエを踊る子どもたちを、可愛そうだと言ってはいけない。子どもたちに、わたしたちの時代の常識を適用してはいけない。

将来は、マスクをしてても明瞭に聞こえる発声練習が一躍ムーブメントになるかもしれない。誰も歯列矯正なんかしなくなるかもしれないし、反対に金歯が流行るかもしれない。

世界は一夜にして変わった。これまでのアップデートじゃ、もうどうにもならない時代がそこまで来ている。さぁ、新しい世界で何をしよう。何になろう。38歳、これまでの労働年数16年。70歳まであと32年。わたしには、あと2ラウンドある。

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