猫と道徳

打ち合わせという名の飲み会から帰宅していると、野良猫達の井戸端会議に出くわしました。

私には彼ら彼女らの言葉が分からないが、やれジャニーズだの辺野古だのと話題に事欠かない昨今では、猫達にも色々と積もる話があるのかもしれません。

「猫も猫なりに大変なんだな」と、その様子を見ていると一匹の黒猫が私に擦り寄ってきたんです。

そして黒猫は私にも聞き取れる言葉で
「人間は生きていて苦しくないのか?」と聞いてきました。

私は、この猫が言葉を発することよりも変に確信めいた質問を投げかけてくるのに対して腹が立ち、コンビニで自分用の酒と猫缶を買ってニャンコロ達と腹を割って話すことにしました。

猫A「人間は義務に生きているように見えます。我々から見るに、その義務は生の本質と隔離しているのに人間はそれを美徳としていませんか?至って不可解です。」

猫B「我々は眠りたい時に寝る。お腹が空いたらご飯を探しに行くが、人間は寝る間も惜しんで働き、美味しいご飯ならいくらでもあるのに健康という世間体の下でカロリーなどを考え食を選ぶ。自然の摂理と逆行しているように思えて仕方がない。」

猫C「人間の貞操観念って分かんない。ワタシ、素敵な猫がいたらスグにでも抱かれたいもん。子供達もみんなタイプがバラバラだけど、それが面白いんじゃない?キュークツ!」

僕「みなさん、人間に対する鬱憤が本当に溜まってるようですね。
僕も上手く言えませんが、人間は根本に道徳心という暗黙のルールみたいのがあるんじゃないかと思います。

例えば、僕たちが履行する義務の行き先には、困っている人達の力になれるような取り組みがあるかもしれない。
政府がとち狂って不要かつ乱暴な義務を押し付けてくることはありますが、僕ら民衆は都度都度声をあげています。

そして、僕だって朝はゆっくり眠りたいけど、みんなと同じように動くことで社会はスムーズに回るようになる。
出来る範囲でも健康に気を使うことで、せめて身内だけにも面倒や心配をかけるリスクが少なくなる。

僕ら人間は、例え恋仲だとしても長い時間をかけないと分かり合えない部分がある。
そんな途方にも無い関係構築の中でも、その人を本当に好きであれば他には目移りしないし、相手のことを思えば他所には手出しはしない。

ただ、人を好きになるのは本能的な部分が大きいです。その本能をコントロールする為にも道徳が必要なのかもしれません。」

黒猫「道徳を履行する為には多少の苦しみは厭わないということですか。」

黒猫「ならば、人間が動物を好き勝手に捨てたり、そっちの都合で殺処分されたり、望まぬ不妊手術を施されたりするのも、全て道徳に沿った考えということでいいのですね?」

黒猫「その上から目線で言う「困っている人達」には我々は属しておらず、飽食により溢れる廃棄物や食肉となった動物達には何の感情もないのですか?」

黒猫「自分は道徳を履行していると思っているあなたはそこに加害者の一端を担う自覚も、苦しみのカケラも感じないのですね。」

「あなた達が言う道徳って一体何なのですか?」

「単なる正当化された同調圧力ではないのですか?」

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