投票率が上がらないのは…
選挙の投票率がなかなか上がらない。
その問題点を小選挙区制という選挙制度に求める議論がある。
小選挙区制では、当選枠が一人ないしは少人数に限られるため、当選しない候補者への投票が「死に票」になってしまう。
一人区であれば、100票の得票者と99票の得票者がいたとして、当選するのは100票を得た者だけである。その差わずか1票であるにもかかわらず。そうすると99票側に投票した有権者からすれば、自分の意見は反映されない、そうであるならば投票しても意味はないではないかと、こう思うのだ。
あるいは本当に自分が応援したい政策を持った候補者は20票しか取れないから、戦略的に接戦になりそうな候補者に妥協して投票しよう、こう考える。
そうなると、選挙結果に民意が正確に反映されているとは言えない。
解決策としては、比例代表制への完全移行や中選挙区制(1選挙区で3〜5人の当選枠)の導入が挙げられる。
問題は選挙制度か?
しかしながら、選挙制度が変われば有権者は投票に行くようになるのであろうか?
社会学者の小熊英二は、かつて『朝日新聞』2016年6月30日付の時評「21世紀型選挙へ 人との対話が「回路」をひらく」で次のように指摘していた。
データや知識を提供すれば、人びとは政治に関心を持つわけではない。小熊は、「政治の知識を『わかりやすく』解説するといったやり方は、『もともと政治に関心のある人にしか届かない』」と言う。
人びとは政治に関心を持っているからこそ、そこにデータや知識が提供されれば、投票に行く。順序が逆なのだ。
出発点を間違えてしまえば、どれだけ制度を議論しようが、わかりやすいデータを提示しようが、残念ながら徒労に終わってしまう。
政治に関心を持つとき
問題はどうすれば、人びとが政治に関心を持つのかということを掘り下げていくことに尽きる。
もう一度、小熊の指摘に耳を傾けてみよう。
人びとの心を動かすのは、知識やデータではなく、人間関係による感染力である。感染力の発生源は、人びとの立ち居振る舞いや具体的な行動、そして対話へと遡求することができる。
対話できる関係性の構築こそが、第一義的な政治的課題なのだ。
対話とは何か?
ところで、対話とは何であろうか?
経済学者の暉峻淑子は、著書『対話する社会へ』において、対話の特徴を以下のように整理している。
特定の人とある目的を持って話し合われるもの
対等な人間関係の中で、相互性がある個人的な話し合い
一方的に上の人が下の人に向かって話すのではなく、双方から話を往復させる
個人の感情や主観を排除せず、自己を開放した話し方で行われるのが特徴
往復するやり取りの中で、相互に自然な発見がり、大きな視野が開かれるのが特徴
必ずしも結論が得られるわけではなく、対話の意味はそのプロセスにある
自己防衛意識が強い人との対話は成り立たない
以上のように整理すると、さっそく目的意識を持って地域に繰り出そう、街に打って出よう、知人・友人に連絡をとろうと鼻息を荒くする人が出てきそうだ。
その行動力には感嘆するものの、共感を寄せるのは難しい。というのも、目的の透けて見える対話は、早晩続かなくなると思うからだ。
以前、別の記事でオープンダイアローグを学んだ際に、対話を長く続けるために大事な心得は、大事な話ばかりをしない、問題の改善をコントロールしようとしないということがポイントであることを確認した。
そこで学んだ対話とは、自分と相手がいかに違っているのかを理解し受け容れるためのものだった。
このことを理解せずに目的的に対話をしようとすれば、対話が説得や説明、尋問や批判へと容易に転化してしまう。すると、相手に嫌がられたり、煙たがられたりして対話は続かなくなる。
対話を重視すれば会話が大事になる
なぜ対話が必要なのか?
それは、対話できる関係性の構築こそが、第一義的な政治的課題だからであった。
「対話できる関係性の構築」が目的なのだ。そのためには、人間関係の構築や再構築こそを大事にしなければならない。
最初から対話できる関係性を構築しようとしてもうまくいかない。
それよりは、特に話題や目的を持たない会話や雑談を積み重ねていくべきだろう。会話の中で相互に信頼関係が醸成されなければ、対話へのフェーズに移行することは困難だ。その意味では、会話こそが最も重要である。
人を動かすためには、その人自身が動くための契機を得なければならない。その契機は人間関係の構築(再構築)によって得られる。人間関係の構築(再構築)には対話が必要だ。対話を効果的にするためには、日常の会話の積み重ねを大事にする他ない。
投票率を上げたいという思えば思うほど、具体的な行動は反比例させなければならない。他者や社会への熱い思いを、日常生活に意識的に差し戻していく。こう言うと、それは政治や社会に無関心となり、個人主義的に振る舞うことを推奨しているのかという疑問が飛んできそうだ。
しかし、そうではない。社会的問題意識を絶えず意識的に日常生活に還元していくのだ。この極めて高度な政治的技術を駆使できる人が多くはないという事実が、低迷する投票率を下支えし続けている。
これは会話が苦手なぼく自身の実感である。
参考文献
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