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あなたに郵便物が届いています

明け方、うとうとしていたらある事がひらめいた。それで、忘れないうちにこのことを書かなければと、急ぎ、デスクに向った。
とても大事なことで、これを伝えなければ。強く伝えたいことが降りてきたのは久しぶりのことだった。

少しだけ、ゆうべのことに触れておく。
ゆうべは娘の体調が悪く、肩凝りがひどくて頭が痛いと言う。それで寝る前にしばらく娘の身体をマッサージした。家族の体調を整えるために通い始めた鍼灸学校。いまや家族はみな体調が悪いと私にお灸やマッサージを頼んでくる。
とはいえ私のマッサージは、学校の外で学んだものだ。BMRという特別な療法で、優しく触れるだけの施術でが、家族はこれが気に入っている。特に娘は敏感なので普通のマッサージでは痛くて逃げてしまう。私自身もマッサージは揉み返しがあり苦手だった。自分に合う施術方法がこれだった。

人の身体に触れていると、自分が気持ちよくなってくる。実際、私も昨日の体調は良いとは言えず、疲れがたまっていて睡眠不足でしんどかった。が、人の身体に触っているとだんだん気持ちが緩んでくる。力を使わない施術なのだが、集中力は必要だ。集中も意識して自分の身体を緩めないとうまくできない。

1時間半ほど施術していたら、私の脳内にも大量のオキシトシンが出てきた。マッサージは受ける側よりもする側の方に幸福感を増す脳内物質のオキシトシンが出ることはエビデンスが出ている。

力を抜かねばできない施術なので、力が入りそうになると呼吸して力を抜く。頭は真っ白になり雑念が消える。そう、まるで瞑想みたいなのだ。そして、終わるころには自分も眠くなり、娘の横で寝ていた。まあ、これではビジネスにはならないが、家族を施術するにはお互いに気持ちよくなって最高だ。
で、ゆらゆらしながら気持ちよくベッドに入った。

そして、明け方にふと、それは降りて来た。

受信するチカラだ。
と、誰かが言う。

拒絶した状態では受け取れない。

拒絶していると世界がそっぽを向いているように感じる。

受け取れる状態になっておくこと。

発信するのではなく受信するチカラだ。

どんなに悪い情報が氾濫していようと、受信することを止めない。

気持ちが固くなり、殻をつくってしまうと大切なものを受信できなくなる。誰かの優しさにそっぽを向いてしまう。チャンスが見えない。必要なものが届いても受取り拒否をしているのに気づかない。

世界は天上のポストから贈り物を送り続けている。毎日のように応援団からハガキや手紙やプレゼントが届いているのに、ポストを見ないでいる。

郵便受けには郵便物がたまっている。たまに開いても「わからない」「くだらない」と言って、読み捨てている。

やって来るものを、目先の価値判断で分別して「こんなもの何の役にも立たない」と思ったり、「私の好みじゃない」と腹を立てたりする。

届いたものには送り手の意図がある。
言葉であれ、ものであれ、出来事であれ、受信するチカラがあればそれを受け取り、役立てることができる。


話が飛ぶのだけれど、アルコール依存症だった父が末期ガンとわかり、入院先を探したがどの病院からも拒否され、にっちもさっちもいかなくて、世の中の理不尽に腹を立てていた時。

怒りは父の死の悲しみに蓋をして私を奮い立たせてくれたけれど、あまりに強い怒りは心の余裕すらも焼き払って、ほんとうは味方である家族にまで及んでいた。

私の大変さを誰も理解してくれない、と家族に怒り、一人で仕事場に寝泊まりするようになった私は孤独だった。

当時、私には、まったく余裕がなかった。仕事と病院探しや父の介護で手いっぱいだった。毎日締切がある。夫の両親も引き取って家も忙しい。子育てもあり、そして、講演も多かった。

そんな時、夢を見た。夢……というよりも、白昼夢のようなものだ。

会ったこともないおばあさんが、寝ている私の背中の中に入ってきたのだ。その感覚ははっきりとわかったが、私の視点は天井にあって自分を見下ろしていたので、あれはやっぱり夢なんだと思う。

おばあさんは(日本人で腰が曲がったふつーのおばあさん)よっこいしょという感じで、光輝きながら私の背中から私の中にすっと入った。

あたたかかった。ふわっと、あたたかなものに包まれた。

びっくりして飛び起きたのだが、その瞬間にもう怒りが消えていた。何が起きたのかさっぱりわからないのだが……。私は家に飛んで帰って家族に言った。

「寝ていたら、変なおばあさんが身体の中に入ってきた」
家族はきょとんとしていた。そりゃあそうだ。
「よっぽど疲れていたんだよ。何かおいしいものを作るから、ゆっくり休んで。手伝えることはなんでもするから相談して」
 
その後もすったもんだがたくさんあったけれど、父は綱渡りをするように転院しながら、最期はホスピスで息を引き取った。この夢は転換点だった。

以降、私は、怒っても自分を見失うことがなくなった。

夢見の後は、毎日なにかしら届く「郵便物」を受け取れるようになっていた。それを「サイン」と言い換えてもいい。郵便物は「サイン」なので、私が欲しいものが直接は届かない。私の目的とはズレていても、目的の先にあるもっと大事なもののために送られてくる。

的を射ようと思ったら、的の先を見よ……と言うけれど、そんな感じ。目的ではなく、もっと大きな人生の課題のような……そこに向っていくための「サイン」が届く。

すぐにはわからないけれど、受け取っておけば遠からずその意味がわかってくる。

でも、焦っているとそのわかりずらさに腹を立てたり、読み捨てたりしてしまうものだ。

身体に入ってきたおばあさんが何者か……という問いには答えが無数にある。それは結局のところ「わからない」のだ。

霊だとも言えるし、錯覚や夢だと言うこともできる。重要なのは「それが届いた」という私の個人的な事実で、それによって私は少し楽になった……ということだ。

夢の話を家族にしたことで、家族が自分を大切に思っていることが実感できた。それでよいのだ。


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