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いまだ雨には傘をさすしかない人間

この4月から十代の子たちと一緒に授業を受けている。授業をしているんじゃないよ、授業を受けているの。学生として鍼灸学校に入学したからね。

で、4月から夏休みまでの前期と呼ばれる授業で、講師の先生方の多くが「大谷翔平」の話題を取り上げたんだ。彼の名前をテレビで聞かない日はないくらいで、大谷翔平さんは今や世界の野球少年の憧れ……なんだろう。だから、先生方は大谷さんのことを例に取れば、生徒は興味を持つと思ったに違いないと踏む。

ほんとうに多くの先生が大谷さんをたとえ話に使った。以下は先生からのまた聞きの話だから正確じゃないかもしれないけど、こんな話題。
「大谷昇平は、大学の研究所に自ら出向いて自分の身体を徹底的に分析してもらい、その科学的根拠に基づいて筋トレを行った」
この話を通して、先生が伝えたかったことは「自分の考えをしっかり持って、他の人とは違うやり方でも挑戦してみることが大事だ」って事だったらしい。
別の先生はこういう話をした。
「彼は子どもの頃から自分の未来像についてはっきりとしたビジョンを持っていた。計画を立てて、着実にそのビジョンに近づいていった」
この先生は、「漠然と夢をもつのではなく、夢を現実にするために計画を立てて具体的な行動へ繋げていくことが目標達成に必要」と、生徒に伝えたかったらしい。

他にも先生方は大谷翔平賛歌を授業のかなりの時間を割いて生徒たちに伝えていたのだけれど、私のような年よりにとっては「なんかちょっと違和感」だったのだ。

私のものの見方はとても偏っているので、もしかしたら不快に思う方もいるかもしれないけれど、人はいろんな考えを持つものだから許してね。日本の野球選手がアメリカのメジャーリーグに行って活躍する時に、話題になるのが「年俸」ってのだよね。私からするともはや大谷翔平の年俸は天文学的な数字に近い。きっと私だけじゃなく多くの日本人にとってそうだと思うんだけどね。

今回、大谷翔平さんがケガをして手術をするらしいことを朝のワイドショーで知った。画面では大リーガーの顔写真とその年収がパネルになって貼り出され、解説する人は「ケガによって契約金は少なくなるだろう」と分析していた。
私は、この「プロ野球選手の年俸」が顔写真とともに表示されるのを見ると「人買い」って言葉を思い出してしまう。プロだからその能力がお金に換算されるのは当然なのかもしれないけれど、露骨すぎてイヤなんだ。きっと多額の契約金は「トロフィー」のようなもの、その人の人気と実力の証なのかもしれないけどね。

なにかがお金に換算されてしまうことを、なんとなく淋しく思う部分が私にはある。お金は大切だし、お金は欲しい。それはほんとに切実にそうなんだけど、でもあんまり露骨に人の価値と金額が堂々と貼り出されてしまうと後ろめたい気持ちになってしまう。

プロ野球選手をお金で取引する球団のニュースに触れると、どうしてかぎゃーと叫んで駆け回りたくなる。人間の価値とお金が密接すぎる「しくみ」には、不安を覚える。

大リーグの話題なんて遠すぎて、夢の世界の事だから、ほんとうに全人類のなかのわずかな人たちの環境がそうであるだけだろうから、それはそれで、そういう世界ということなんだろうけれど。

テレビで、契約金がどうこうって話が盛んに飛び交っているのを、なんだかせつなく感じてスイッチを切ったよ。私は野球に興味ないし、実は今だにルールだってよく知らないくらいだけれど、大谷翔平さんはあまりに有名だからその存在は知っている。そして、単純に「あんなにがんばったら身体を壊さないかなあ」と思っていた。

私が思うんだから、多くの人は心のどこかではふとそういう考えがよぎったんじゃないかな。わからないから憶測だけど「あ、来るべき時が来てしまった……」みたいに感じている野球ファンがいるんじゃないかな。だって、他の選手よりかなり多く打ったり投げたりしているわけだもの。

とってもハンサムで、真面目で、礼儀正しい才能に溢れた青年であることは彼のふるまいを見てわかる。その一人の人間の価値が、いかに天文学的顎であっても簡単にお金に換算される社会システムが、私は苦手なんだよな……。

そんなことを言うと「プロとはそういうもの!」って言われそうだけど……。

まったく、話は飛んでしまうんだけど……。今年は甲子園で慶應高校が優勝したんだってね。慶應高校出身の人たちがとっても喜んでいた。あの夏の甲子園は、やっぱそろそろドームとかで開催することを考えたほうがいいんじゃないだろうか。こんなに暑くなっても、夏の炎天下で開催するのかな。

野球に無頓着な私が言うことじゃないと思うんだけど、マジ、この暑さで野球をやるの、危険なんじゃないの?って思う。だって、毎日、熱中症警戒アラームが発令されているのに……。きっと、高校球児にとって「甲子園」は憧れなんだろうな。それはわかるんだけど、この議論って、なんか死刑反対とか、原発反対と似ている気がするんだよ。

え? ぜんぜん違うって。うん、まあそうなんだけど。

えっと、たとえば死刑廃止とか原発廃止をすでに決めている国があるでしょう? そういう国でも国民が全員廃止だと言っているわけじゃないわけ。かなりの国民が「ノー!」であっても、国とか政府というのは「国民の命」を優先するわけだよ。

死刑囚であっても国民にかわりはないから、政府が国民を殺さないという決断をする。それは「個人感情」とは違うフェーズの決断だから、個々人には不平不満はあるわけだけど、より上位の価値を「命」とか「健康」に置いている政府が、国民の不満を推し切って選択するわけ。そういう社会倫理があるから国民から信頼される。

日本の場合「個人感情」というか「世論」を重視するフリをして自分たちに都合の悪い決断を先送りにしている。だから信頼されないんだと思う。

ひたすらご都合主義なんだ。コロナの時に配られたガーゼマスクを見てもわかるでしょ? あれで命守れって言われても、ちょっとムリだよね。
でもって、自分たちに都合のいい事は国民の意見なんか後回しにして勝手にどんどん変えていく。インボイス制度とか、もういい加減にしろーだよ。

決断のベースになっているのは結局のところ「お金」なんだなあ。お金がかかることはやりたくない。「お金」が入ることはすぐやりたい。命の価値はどんどん低下していて、もはや一人の命をお金に換算しても大した金額にならなくなってきている。

人間の幸せは「お金を得ること」だと思っている大勢の大人が作ってしまったシステムの中に、大リーグもあるし、甲子園ってのも布置されている。命よりお金が上位と考える人たちが作る社会組織のなかに組み込まれ、いつのまにか決まった法律に私はいつもあくせくしてる。

日本で開催されたアマチュアスポーツの祭典・オリンピックですら、談合と汚職の巣窟になって裁判沙汰なわけだよ。

こういう偏った価値観に歯止めをかけらない人々が動かす社会システムの中で、圧倒的少数派になっている十代は生きている。たとえばさ、うちの町は神奈川でも一、二を争う高齢化の進んだ町だ。選挙で革新派の若手が立候補しても、十代、二十代が全員投票したとしたって、圧倒的多数を占める保守の老人の票は崩せない。バブル崩壊から何ひとつうまくいかない経済政策を続けて国家存亡の危機を招いた政府を応援し続けている保守層の圧倒的な人数の多さの前で、若者は多数決で負けるしかないんだよな。なんか、それって酷くない?

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