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グレタ・ガーウィグ『レディ・バード』(2017)

走る車から飛び降りること

冒頭、車中で母のマリオン(ローリー・メトカーフ)と口論になったレディ・バード(シアーシャ・ローナン)が、突然助手席のドアを開いて、走行中のトヨタ・カローラから飛び降りる。その瞬間、快哉を叫びたくなった。車中で親と喧嘩したら、たとえ自分の身が傷つこうとも、アスファルトに飛び降りるのが、ティーンエイジャーだ。

グザヴィエ・ドランの『マイ・マザー』(2009)という映画が好きだった。主人公の少年は、『レディ・バード』同様に、車中で母と口論になる。しかし、レディ・バードとは異なり、母に平手打ちをくらった息子は、車のドアを開けろ、と要求するだけだ。自らドアを開け放って自動車という密室から飛び出すことは叶わない。運転席からロックされたドアは、助手席の息子には開けられない。車から飛び出せない息子は、結局自宅に帰るまで、母との時間に耐え忍ぶしかない。
子供がどんなに反発したところで、結局は親に絶対的な上下関係を突きつけられる。無力だった子供の自分を思い出して、僕は身悶えたものだった。

しかし、レディ・バードは自らの腕をへし折ってでも、母の支配空間から逃れる。そしてギブスには”FUCK YOU MOM“と刻みつけるだろう。
娘は遠くない将来、カリフォルニアはサクラメントから飛び出して、憧れのニューヨークへと旅立つ。

別れの前夜はつらすぎる

カリフォルニアはリベラルな風土というイメージがあるけれど、この州は広い。州都・サクラメントは保守的な土地柄らしく、レディ・バードが通う学校はカトリックで、毎朝マリアの祈りと合衆国への忠誠の誓いを行い、演劇部の監督は神父で、中絶反対派の女性による講演まで行われる。

サクラメントの保守的な文化に嫌気がさしているレディ・バードは、親から与えられた名前“クリスティン”を捨て、自ら“レディ・バード”を名乗っている。
彼女の家は裕福ではなく、父は失業中で、病院で働く母と、兄のバイトで生計を立てている。17歳のレディ・バードは、ニューヨークの大学に進学してサクラメントを出たいが、金銭的事情を理由に母マリオンは、娘の願いを退ける。時は2002年で、9.11直後のニューヨークに一人娘をやるのも心配だったのかもしれない。

しかしレディ・バードは母の重力圏から飛び立とうと1年間あがきつづける。バイトでお金を貯め自動車免許を取得するし、母の秘密裏に父に奨学金の申請書を書いてもらう。
母とはたびたび衝突するけれど、洋服はいつも一緒に買いにいくし、初体験の後も恋人の家まで迎えに来た母の前で涙を流す。母が自分を愛してくれていることは分っているが、自分の思うように愛されないことが歯がゆくてしょうがない。

学校のシスターが「”愛情”と“注意を払う”ことは同じことだと思わない?」と語りかけるシーンが示唆的だ。レディ・バードがサクラメントをその柔らかい陽射しのなかで見つめつづけているように、母もレディ・バードのことを見つめつづけている。ときに過剰にペイアテンションしてしまうけれど、それは愛情ゆえだ。親もまた戸惑いながら子供と接している。

『レディ・バード』は少女が大人になる過程を描くと同時に、子供の旅立ちを悲しむ親の心情もうまく切り取っている。思い返せば冒頭、母が車中で聞くのは、ジョン・ハートフォード「This Eve of Pating」だった。

別れの前夜はつらすぎる
夏の砂浜が消えていくなんて
別れが近づいて 心がゆがむ時
独りぼっちの夜に気づく
体中が叫ぶ 置いていかないで
そんな自分を必死に抑える
旅立つ日の朝は
死ぬほど涙が溢れる

母は無意識の間に、いずれ来る娘との別れにそなえて、この悲しい別れの歌を聴いていたのかもしれない。

すれ違いのピンクドレス

本作で最も心をうつのは、ピンクのフリルドレスをレディ・バードが選ぶシーンだ。
プロムの衣装を買うために、馴染みのリサイクルショップに行くレディ・バードとマリオン。ピンクのドレスを試着したレディ・バードが、「ステキ」と言って笑顔を見せると、マリオンは「すごいピンク(Is it too pink?)」と苦い表情を見せる。実際、そのドレスはチープで野暮ったい。
笑顔を曇らせたレディ・バードは試着室に戻ると、壁越しに「ママに好かれたい」と言う。マリオンが「愛してるわよ」と答えると、ドアを開け母を見つめながらレディ・バードはふたたび「私のこと好き?」と問う。「ママはあなたに最高の状態になってほしいの」とはぐらかされたレディ・バードは、「今の私が最高なら?」と言い残して、試着室に戻る。

しかし、プロムに同行する友人たちも「ダサい」「キモい服」( She is weird.)と陰口するようなピンクドレスを、レディ・バードが選んだのはなぜか? 母に愛されたかったからだ。

冒頭、夜勤を終え退勤するとき、マリオンは同僚にあるプレゼントを贈る。ベビー用のピンクドレスだ。
ドレスを見た同僚は「娘はピンクが好きだよ」と喜ぶが、彼女は「ご夫婦向きかも( it’s really more for you and Andrea than it is for the baby)」と返す。ピンクドレスは、赤ちゃんの好みというよりも、両親の好みに適している。
レディ・バードもきっと、幼いころフリルのピンクドレスを着せられた。その記憶が彼女にピンクドレスを選ばせたのだ。あの頃のように母に愛されたいという気持が、彼女にピンクを選ばせた。それに、感謝祭をボーイフレンドと彼の祖母の家で過ごすレディ・バードに、ピンクのドレスを選んでやり、ミシンで直してやるのも母だった。

ピンクを着ている自分なら、母は褒めてくれて、愛してくれると思っていた。その期待が裏切られたから、レディ・バードは落ち込んだ。
しかし母はそのことを気づいていない。そして、「ピンクを纏えば母に褒めてもらえるはず」という思いは、レディ・バード自身も意識していないのかもしれない。彼女の髪はピンクに染められている。
当人たちも気づかないようなすれ違いがさらっと描かれているのが、この映画に真実味を与えている。

母と娘は、和解できないまま離ればなれになってしまうが、お互いを想いあっていることは疑いない。ただ、彼女たちは愛の伝え方がぎこちないだけだ。か

次にレディ・バード=クリスティンが故郷に帰ったとき、母娘はトヨタ・カローラのガラス越しに、陽光に光り輝くサクラメントを眺め、お互いにこっそり涙を流したりするのかもしれない。

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