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挑戦したい、と思えるようになるために必要なのは…【歎異抄】

こんにちは、らるです。

今日は、自力と他力のバランスについて

人は「自分には何もできない」と
思えば、やる気を失ってしまう
ものです。

これはわかりやすいでしょう。

ですが、その一方で
「自分で頑張ればできるはずだ」
…と思いすぎても

頑張りすぎた挙句
思った通りにならない…
ということに
なってしまえば、これもまた
非常につらいことになってしまいます。

じゃあ、どうすればいいのでしょうか?


仏教の経典「歎異抄」では…

最近、こちらの本を読みました。

いわゆる「南無阿弥陀仏」の教えですね。

そもそも、この南無阿弥陀仏というのは

阿弥陀仏様のはたらきにすべてお任せします

という意味です。

これは完全に「他力」の考え方だな
というのはわかるかと思います。

この考え方は
「自分が悪い状況にあるのは
 自分の頑張りが足りないせいだ」

…という思いにさいなまれている人には
有効な考え方になるでしょう。

 いま、「自己責任」という言葉がよく使われています。自分で判断し、行動し、それでおきた結果も自分で受け負う。そのような世界観になってきていると思います。これは、自分のやったことが、そのまま評価につながる実力主義ともいえますし、一方では、「現在の状況にあるのは当人の努力が足りないせいだ」といった、自力を前提とした考え方でもあります。
(中略)
 このいまの世界観、価値観のもとでは、「自力」ではなく、「他力」という考え方が有効なのでは、と思うのです。この「他力」も、ふつうは「人に頼る」という意味で使われていますが、『歎異抄』でいわれる「他力」は、「自分のはからいではなく、阿弥陀仏の本願のはたらきにおまかせする」という意味ですね。「他力」とは、このように「ある大きな力におまかせする」と考えると、自分をむなしくして、肩に入った力がふっと抜ける、といった効果があると思うのです。

齋藤 孝. 図解 歎異抄 たよる、まかせる、おもいきる (p.74). 株式会社ウェッジ. Kindle 版.

大きな力に全てお任せするんだ
…と思えば、安心して肩の力が抜ける

これが「他力」のメリットです。


ただ、そうすると
「全部、他力に任せるなら
 頑張る必要なくなっちゃうじゃん
 それでいいの?」

…と思う人も居ると思います。

ただ、ここがまた面白いところ
人が何かにチャレンジできるのは
安心感があるからこそ

という面があるわけです。

 支えがあるから絶対に大丈夫、となればチャレンジできるのです。空中ブランコでも、下にネットがあれば、自分もやってみたい、と思えてきます。セーフティネットが、絶対にあるんだと思って、安心して身をまかせると、むしろチャレンジができる。
 この安心感がチャレンジには必要なのだ、とアメリカの心理学者、アブラハム・マズローもいっています。マズローは、「安心・安全」の反対側にあるものを「成長」と設定し、人はいつも安心・安全を確保したいが、それだけだと成長というチャレンジができない、いままでのものを突き崩していくことができない。しかし、突き崩しができるには、やはり安心・安全が確保されていなければならない、と説きます。

齋藤 孝. 図解 歎異抄 たよる、まかせる、おもいきる (p.75). 株式会社ウェッジ. Kindle 版.

マズローと言えば
欲求5段階説(↓の図のような)で有名な方ですが

https://ferret-plus.com/5369

今までを突き崩す「挑戦」を
するには「安心」が必要だ

と言っているわけですね。

実は、この「安心感」こそが
宗教の本質的な姿ではないか?

という意見もあります。

他力にまかせた安心感によって、今度はいろいろなことにチャレンジできる、挑戦する気になる、ということです。大事なことは、この安心感。こう考えると、他力によって、自分を何かに預けてしまうことは、宗教の本質的な姿なのではないか、と思えるのですね。

齋藤 孝. 図解 歎異抄 たよる、まかせる、おもいきる (p.75). 株式会社ウェッジ. Kindle 版.

もちろん、この効果を得るためだけなら
宗教でなくてもいいのかもしれません。

ただ、自分をまかせて安心感を
得られるような、大きな力を信じることは
自身の人生を挑戦的に
イキイキと生きるためには
必要なのかもしれないな

と、今回の話を読んで思いました。


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