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人間の究極の動機 『一体化の感情』とは J.S.ミル『功利主義』第三章

こんにちは、らるです。

今日も『功利主義』を話していきます。

今日の話は「功利主義」と「道徳」が
両立する理由…「一体化の感情」
についてです。

功利主義というのは、最大多数の最大幸福
つまり「社会全体の幸福が最大化」することを
求めた主義です。

一方「道徳」というのは

社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。
自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。

Oxford Languagesの定義

社会生活を営む、すなわち
他の人と共同で生きていくうえで
一人一人が守っていくべきこと
です。

ですから、もし
他の人の利益にも、自分の利益と
同じように配慮する=道徳的な考え 

社会全体の幸福を最大化する
=功利主義的な考え
 とが

一致するのであれば
功利主義と道徳は一致する
ということになります。

ミルによれば
同じ人間どうしで一体化したい欲求
=社会的欲求が存在している
と言います。

これは、普段はあまり意識していないかも
しれませんが、私たちの感覚にも
既に根付いているものです。

今のあなたの生活で
あなたがどの集団にも属さない
ということは考えられるでしょうか?

極端な例でいえば
「国のルールの外で生きること」を
想像できるでしょうか?

おそらく、出来ないと思います。

それはすでに、私たちの本性に
「社会の中にあること」が組み込まれている

ということに他なりません。

そして、今の社会には
もう一つ前提があります。

すべての人々の利害が顧慮されるという基礎がなければ、人間どうしの社会が成り立たないのは明らかである。平等な人々どうしの社会が存在できるのは、すべての人々の利害が平等に配慮されるという了解にもとづく場合に限られる。

P81

すべての人の利害が平等に配慮される
…というのは、ちょっと違和感を
感じる人がいるかもしれません。

それは、現状の不平等感に不満を
持っている人が多く居るからです。

しかし、逆に考えてみれば
「不満を持つ」というのは
前提として「平等に扱われるべき」という
考えがあるから
です。

実体としては、不平等な部分があるとしても
「理想的には平等であるべき」という前提で
社会が成り立っている
のは間違いありません。

「平等である」ことが
人々の望み
になっているわけですから

他の人々の利害に無関心
…というわけにはいかなくなります。

関心をもっていけば自然と、
他の人々と協力したり
個人の利益より、集団の利益を
求めるような生き方に馴染み
ます。

常に…とはいかないかもしれませんが
「他の人々の利益は、自分たちの利益だ」
という気持ちを、一時的にでも感じた
ことが
ある人は多いはずです。

社会が健全に発展していけば
この傾向は強まっていき

他の人々の幸福に配慮することで
より大きな個人的利益を得られる
ようになり
最終的には
自分の感情と他人の幸福を重ねるように
なっていきます。

これがミルが「一体性の感情」と呼ぶものです。

功利主義と道徳が重なるための
キーワード
になるものです。

この「一体性の感情」を持つ人は
自分の幸福と、他人の幸福が一体化している訳ですから
功利主義的に(=幸福の最大化)のために行動すると、
自然と「道徳的」な振る舞いをすることになります。

そしてこの「一体性の感情」は
それを持つ人にとっては
自分たちの幸福に欠かせない特質であり
『最大幸福の道徳がもつ究極のサンクション(=動機付け)』
になっているのです。

まとめ

人間は、すでに
社会の中で平等に扱われることを
前提として考えている

平等を前提に考えれば
他人の利害への配慮も前提になる

他人との協力
個の利益より集団の利益を優先する考え方に
馴染むようになる

最終的には
他の人々の幸福への配慮が
個人的利益を得ることにつながり
自分の感情と他人の幸福を重ねる
ようになる。(一体性の感情)

一体性の感情は、それを持つ人にとって
究極のサンクション(動機付け)
になり
一体性の感情を基に行動する人は
功利主義と道徳を両立した
生き方をする
ことになる

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