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『【安楽死】なぜ議論が進まない?なぜ死をタブー視する?家族との話し合いが重要?緩和ケアの専門医と考える|アベプラ』を観て考えたこと

安楽死は絶対に必要で、今すぐにでも認めるべき。の立場の私…
こちらの動画の議論

今の衰退日本で安楽死なしは、本当に酷い事態だと思う。
この日本というか、世界経済は資本主義で動いている。中国の社会主義も経済面はどうみても資本主義である。
その資本主義で、超少子高齢社会の衰退日本で、「その人が生きたいと思っているなら、生きるべき、生きてもらうべき」的な優しい世界は無理である。その人の家族が犠牲になるのだ。もちろん資本主義経済なので、お金があれば対価を支払って、いくらでも生きてもらうのは構わない。しかし、そうではない人が大半なのだ。
では、そういう人に安楽死を求めなかったら、どうなるか?その人の親族が犠牲になるのだ。または、一部の人は行政で面倒を見ることになるのだ。
その現実を直視しないで、「安楽死は、死にたくなのに周りを気にして安楽死を選ぶ人がいるから危険」というのは、無責任過ぎると思う。
私自身、介護が必要な状態になったら死にたいと思っている。死は怖いと思う。辛いと思う。だけど、私は低能だからワープアなため、資本がない。資本がないのに生きたいと願うということは親族に負担掛けるということだ。そんな事はしたくない。でも自殺も当然親族に迷惑掛ける。もしかしたら優しすぎる人は病む方もいるかも知れない。これが自分が望んでという形で実行できる安楽死制度があったら、みんなが救われるのだ。
これを否定する人は、本当に酷い人だと思う。おそらく否定する人は表面的には優しい人間なのだろう。でも、私からしたらその人は、この上ない非情な人に思えてしまう。

どんな状態になっても、「生きたいと思う人は生きられる」なんて事は、国で責任を持たなければ、やるべきではない。それが出来る国は、究極の社会主義なのではないだろうか?

資本主義でないと、人類はうまく行かなかったのだ。そうであれば、自分が生きている時代に資本を構築する才がないものは、安楽死という選択を国は用意することこそが、最低限の救済ではなかろうか?
もう年配者の介護等で親族を犠牲にするのは、1秒でも早くやめてほしい。

他の記事にもよく書いているが、年配者の介護はすでに崩壊している。入る施設がない、お金もない。社会保障費は増える。本当に終わっている。
年配者の特に認知症の場合は、介護費は100%自主負担にするべきだと私は思う。その上でセーフティネットして100%公費負担で安楽死を行うべきだと私は思う。資本のないトイレ介護必要なくらい認知症になってしまった場合は、親族や行政が安楽死を選べる必要もあると考えている。
私はこれこそ、現状で一番優しい現実的な施策と思っている。

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