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WRM「読む・書く・考えるの探求」2017/09/04 第360号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。
毎度おなじみの方、ありがとうございます。

とうとう9月に入りました。一気に涼しくなってきましたね。私は暑がりなので、涼しくなるのは大歓迎です。

さて、この9月から、結城浩先生のメルマガで、note配信が開始されたようです。

◇【告知】「結城メルマガ」をnote(ノート)でも配信開始! | 結城浩
https://mm.hyuki.net/n/nc7589370d7df

私も、以前このnoteでメルマガ配信することを検討していたのですが、一時期少しきな臭い人たちがこのサービスに集まっていて、「大丈夫なのかしら、ここ」と二の足を踏んでいた状況だったのですが、どうやら最近は落ち着きつつあるようで(有料サロンとVALUに移行したようです)、これなら大丈夫かなという雰囲気が戻ってきました。

というわけで、今回の結城メルマガ配信開始を一つのきっかけにして、私もこのWRMをnoteでも展開しようかと再検討しています。少しでもリーチを拡げるためには、そういう施策もコツコツ展開していく必要がありますね。

〜〜〜執筆体制の一つの課題〜〜〜

ここ最近、いろいろな企画案を並行して進めていくという、新しい執筆体制作りにチャレンジしています。

具体的には、原稿執筆と素材集めなど、粒度の違う作業を組み合わせることで全体の作業ポートフォリオを最適化しよう、という試みなのですが、おおむねうまくいっている中で、一つだけ思い通りにならない作業が出てきました。それが、小説を書くことです。

自分の物書きの指針として、実用書だけでなく、小説という表現手法も引き出しに入れておきたいですし、将来的には(定義はさておき)ちゃんとした小説を書き上げたいという野望もあるのですが、もちろん、そのためには書く練習(あるいは実践)を積み重ねていく必要があります。

ですので、日々の作業の中に、小説を書くことも入れていきたいのですが、なかなかこれがうまくいきません。「ほんの少しだけ書こう」という低いハードルであっても、それを乗り越えられない日が頻発します。どうしても原稿を手がける気持ちが湧いてこないのです。

このメルマガで連載しているショートショートや、ブログで連載していた「アリスの物語」であれば、そこに明確な「読者さん」がいるので(あるいはいると感じられるので)、書く動機付けは生まれます。また、執筆&投稿のサイクルが短いので、タスク実行に感じる「効用感」や「達成感」もきちんと得られます。しかし、誰にも読まれない状態がずっと続く小説を、コツコツ書き足していくことには、そのような感覚は出てこないのです。

全部で十万字以上になる原稿を、ほんの僅かに書き足すことには「達成感」があまりありませんし、最終的に完成したからといって時間投資に見合う売上げが作れるかどうかもわかりません。一方で、ある程度売上げが作れそうな実用書の執筆や、ダイレクトなフィードバックがすぐにやってくるTwitterや読書があります。

価値とは相対的なものですから、そうしたもろもろのタスク群の中では、「少しずつ小説を書き足していく」という行為は、動機付けの発生源にはなりにくいのでしょう。

であれば、ブログやどこかの小説投稿サイトに記事をアップする形で執筆していけばいいんじゃないか、というアイデアが浮かぶのですが、私はあらかじめ構成を立てずに思いつくままに書き上げてから、全体に手を入れるというアプローチで小説を書くので、ショートショートかごく短い短編なら「日々記事アップ」方式でも大丈夫なのですが、十万字以上の長編であれば破綻する可能性が出てきそうです。

ふむむ。

いずれ解決しなければならない問題ですが、当面は試行錯誤を続け、情報を集めるしかなさそうです。

〜〜〜カルチャークラブとしてのサロン〜〜〜

あまり大きな声では言えないのですが、ある種のブログのノウハウが「成功法」として語られるのをみると、若干欺瞞的な響きを感じてしまいます。

しかし、ぐるっと視点を変えて、それをカルチャークラブ的なものと認識すれば、ノウハウを共有すること自体はとても素晴らしいものだと思います。ようするに、そこで語られている個々のノウハウについてではなく、それがどのような文脈で語られているかが気になるわけです。

とは言え、「成功法」の文脈で語らないとウケないのでしょうし、毎月数千円も払ってくれる人だって集まらないのでしょう。

でも、本当にそうだろうか、とも思います。

どこにでもある市民カルチャークラブで、「ブログの運営」講座が開かれていたら、どうでしょうか。それほど高額でなければ、人もそれなりには集まるかもしれません。これはこれで情報化社会の一つの達成であるように思います。

ちなみに、「かーそる」という雑誌は、どちらかと言えばカルチャークラブ的です。「成功法」を語る文脈はどこにもありません。その辺は、雑誌を運営していく上で、最低限キープしておきたいところです。

〜〜〜自分の発見〜〜〜

「あぁ、自分ってこれが好きなんだな」という発見は、人生の中でもわりと大きな発見です。しかもそれは、ずいぶんしみじみとした発見になるでしょう。実感がこもっているというか、実態に即しているというか、ログ的というか、何かそういったものです。

おそらく、そういう発見は、ある程度年齢(と経験)を重ねないとできないものでしょうし、それはつまり「自分のことなんて、自分はほとんど知らないんだよ」ということでもあります。

だからこそ、「自分らしく生きる」という言葉は嘘っぽく感じます。そこで提示される「自分らしさ」は、非常に限定的に狭く自分が知っている自分でしかありません。自分に対して自分が閉じてしまっているのです。そういう方向には近づかないようにしておきたいですね。

〜〜〜散らばるメディア体験〜〜〜

世の中には、さまざまな動画見放題サービス(ストリーミングサービス)がありますが、私はAmazonプライムビデオしか使っていません。Netflixには興味津々なのですが、フリーランスにとって脱線を助長するサービスに多数加入するのは自殺行為に等しいので(克己心が薄い人間ならなおさらです)、現在は距離を置いています。

でも、それはそれとして、タイムラインにNetflixのオリジナルコンテンツが面白い、みたいな話あ流れてきます。もちろん、それを私は観ることができません。わざわざそのためだけに自らの戒めを解くことも、ちょっとどうかなと感じます。

おそらく今後は、各動画サービスが、サービス利用者獲得のためにオリジナルコンテンツの制作に注力していくでしょう。でもって、そこから面白いコンテンツもどんどん生まれてくるでしょう。その傾向が強まれば強まるほど、個々のメディア体験は分断されていきます。Aさんが受容しているコンテンツと、Bさんが受容しているコンテンツに、共通性が生まれなくなっていくのです。

テレビという媒体は、(地方のチャンネル不足の問題はあるにせよ)、国民に向けて統一的に送信されるメディアでした。全員とまでは言わなくても、多くの人が知っている番組があったわけです。ネットはそれを細分化してしまったわけですが、有料の動画見放題サービスはさらに細分化を加速していくでしょう。

これは一方では、自分好みのコンテンツを摂取できる自由度の向上と捉えられるわけですが、もう一方では話が通じない人が増え、少数の話が通じる人だけの世界に閉じこもってしまう危険性の上昇だとも捉えられます。

メディアとは、情報の発信装置であると共に、その受信者の世界を作る装置でもあるわけで、その変容は私たちに少なからずの影響を与えていくでしょう。

〜〜〜掌からの脱出〜〜〜

あくまで比喩的というか、寓話的に聞いてもらえばよいのですが、「脱完璧主義」を完璧に目指す、と呼べるような状況があります。

完璧主義を脱するということは、ユルく生きる、ということだと思うのですが、それが「ユルく生きなければならない!」みたいになってしまうと、結局完璧主義から一歩も抜け出られていません。三蔵法師の掌で遊ばれている孫悟空みたいなものです。

「脱完璧主義」を目指すなら、ときどき完璧主義が顔を覗かせてもまーしゃないな、と考えることが大切で、それは単純な是/非システム(白/黒、善/悪、0/1)からの脱出でもあります。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 「自分」とは何でしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

目次

○BizArts 3rd 「ルール2からの展開」 
 タスク管理を掘り下げていく企画。連載のまとめに入っています。
○SS 「全自動自動車」
 読み切りのショートショートです。
○行ったり来たりの哲学 vol.2
 週替わり連載。〈行ったり来たり〉について書いていきます。
○Rashitaの本棚 『多読術』(松岡正剛)
 Rashitaの本棚から一冊紹介するコーナー。新刊あり古本あり。
○物書きエッセイ 「新しいライティングスタイル」 物を書くことや考えることについてのエッセイです。

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