Scrapboxとハッシュタグ/かつてブログは遊び場だった/アウトライナーと発想法

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/04/15 第444号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

さて、4月も半ばとなりました。入学式の季節です。

下の姪っ子は小学校の、上の姪っ子は中学校の入学式を終えました。

私は、外的な変化に直接晒されていないので、自分が老けたような実感はまったく持っていないのですが、やはりこういうイベントに遭遇すると、否応なしに「時間の流れ」を突きつけられます。

自分はこの数年で、いったい何を為してきたのだろうか、と。

〜〜〜すごい時代になったものだ〜〜〜

noteにこんな記事を書きました。

野口悠紀雄さんが書かれた記事への、ちょっとしたコメント記事です。

「反論」というほど大げさなものではありませんし、そもそもこの記事を野口さんが読まれるのかすらわかりませんが、自分が若い頃に熱心に読んでいた本の著者に、同じプラットフォーム上でコメント記事が書けるというのは、なかなかすごい時代になったなと感じます。

〜〜〜他人の仕事が気にならない〜〜〜

たとえば、他の人がすごく良い本を書いていたら、「すげー」と素直に関心するのですが、そこに「ぐぬぬ」という悔しい感じがまったくありません。つまり、悔しさがないのです。

これがどの程度一般的なことなのかはわかりませんが、少なくとも、精神的な平穏さには貢献しているので喜ばしい気がしつつも、向上心の刺激剤が欠けているのではないか、という疑問も出てきます。

とは言え、じっくり自分の内面を観察していみると、結局「自分の仕事」と「他人の仕事」が同じレイヤーに乗っていないのだな、という結論に至ります。

極端なことを言えば、物書きというのは一人ひとりが違うビジネスモデルを運営していて、そこにはパイの奪い合いみたいなことも起こらないし、だから悔しさもない──みたいに気楽に考えているのかもしれません。

たしか、村上春樹さんの『職業としての小説家』に収録されている「小説家は寛容な人種なのか」にも似たようなことが書かれていました。

そもそも、他の人がどんな本を書こうが、私は私が書ける本を書くしかありません。もともと、それ以外のことはできないのです。だから、悔しがっても仕方がないですね。

というくらい割り切った気持ちを持っていると、マインド的には平穏に過ごせます。

二箇条にまとめておきましょう。

・自分は自分の仕事をする。
・他人の仕事から学ぶことはあっても、比較はしない。

〜〜〜ブログ復興の足音〜〜〜

最近、長らく更新が止まっていたブログが再開される、という場面に二、三度遭遇しました。嬉しいかぎりです。

まず、そういうことが自由にできるのがブログの良いところです。好きに書いて、好きに止めて、好きに復活できる。

これと同じことを雑誌でするのは相当難しいでしょう。やはり、「自分のメディア」を持てることが、ブログの、引いてはインターネットの良さです。

で、一時期「ブログ」というものが必要以上に盛り上がり(盛り上げさせられ)、ビジネス的な方向に異様に展開していたのですが、最近ではそういう人たちが潮が引くように徐々に姿を消したり、別の「手段」を売り物にするようになってきて、ブログがある種の「オワコン」扱いされつつあるのですが、ある種の静けさが戻りつつあるのは、やっぱり嬉しい限りです。

〜〜〜ロゴ作り〜〜〜

私も参加している「タスク管理のScrapbox」プロジェクトを覗いてみたら、noteの新しいマガジンを発見しました。

◇タスク管理のScrapbox
https://scrapbox.io/taskmanagement/

最初拝見したときは、このマガジンにヘッダー画像がなく、ちょっと寂しい感じだったので、ちょこっとロゴを作ってみることに。

Pixelmaterで10分ぐらいで完成です。

特に自慢というわけではありませんが、最近こういうロゴを作るのにも慣れてきました。さすがにセルフパブリッシングの全書籍の表紙を自分で作っていると、場数だけは踏めます。場数は結構大切です。

〜〜〜「普通」についての話〜〜〜

『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』を出版し、その後ブログなどでこの本についていろいろ書いている中で、自分がこの本を通して何が言いたかったのか、ということが徐々にわかってきました。

簡単に言えば、主流派に──さまざまな理由で──属せない人たちに向けて、「あなたの方法でいいんですよ」と肯定することです。

周り合わせてうまくやっていくことが得意な人は、この国の社会ではそれなりにうまく立ち回れるのですが、そうでない人は結構苦労します。

で、そういう人に向けて、「あなたの方法」を組み立てるための考え方や道具立てを提供するのが、(私の中での)この本の役割だったのだ、ということを書き終わった後に発見したのです。

でもって、この発見は、私のこれからの執筆活動の指針にもなりそうな予感があります。

〜〜〜アナログノートを使い始めた〜〜〜

最近、『僕らの生存戦略』の再構成を進めています。

が、どうにも「うむむ」という感じが多くなってきました。冷蔵庫を開けたら食材はいっぱいあるのに(あるいはいっぱいあるがゆえに)、どんな料理にしようかなかなか決まらない感じです。

そこで、倉下の執筆指針「詰まったら、媒体(メディア)を変えろ」に従って、アナログノートを使ってみることにしました。無印良品のちょっと高級感のあるA5サイズのノートです。

そのノートに、「難しいこと」は考えず、自分がその本で書きたいと思っていることをつらつらと(というよりもいっそガツガツと)書き出してみました。

これがまあ、進む、進む。

一瞬で10ページぐらいが埋まり、その後もガシガシと書きつけています。

やはり、ツールによって脳の働き方って結構変わってくるのです。

というわけで、企画案は目盛り二つ分くらい進みました。問題は、目盛りの全体量がまったくわからないところですが。

〜〜〜新しい本の作り方〜〜〜

漠然とではありますが、これまでにやったことのない本の作り方を試してみたいなと考えています。

イメージしているのは、論文集・論説集のようなフォーマットです。

たとえば、前号のメルマガで書いたような1万字程度の、ある程度まとまりのある文章を10個くらい集めて、「知的生産論考」みたいな感じで本にしてしまう。こういうやり方って、今までやったことがありません。

2000字くらいのブログ記事を断片として使い、本を編纂したことはありますが、それよりもまとまりのある分量のある文章を断片として使って、本を作ったことはありません。それをやってみたくなったのです。

今のところは、かーそる第一号に掲載した「執筆の現象学」と先週号の「Scrapboxで研究」の二つくらいしか候補は思いつきませんが、このメルマガの過去原稿を発掘すればいくつかは見つかるかもしれません。

また、逆に、そういう本の存在を念頭に置いた、少し長めの文章を今後このメルマガで掲載していくこともありそうです。

それにしても、本の作り方って、ほんとうにいろいろありますね。考えるのが楽しくてしかたありません。

〜〜〜見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

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 文学は死んだのか?―18世紀、「崇高の美学」にあと押しされて文学は栄光まで昇りつめた。しかし19世紀末、文学に「別れ」を告げた3人の作家―ランボー、ヴァレリー、ホフマンスタール―が現れ、20世紀にはついに自閉状態にまで落ち込み、文学はその影響力を失っていくことになる。この3世紀のあいだに文学に一体なにが起こったのだろうか?文学と世界との関係が切り替わる転回点をたどり、大胆に文学史を読み換える新たなマニフェスト!
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 日本人は何を考えてきたのか?日本思想史の真髄に迫る論考と座談会。最大の論点である「天皇制とは何か」に迫り、丸山眞男、日本の仏教、慈円の『愚管抄』の天皇論、西洋の近代思想との比較などから、日本文化に潜む外来と固有の問題を読み解く。
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 IT企業の激務で疲れはてたロイスを救ったのは、近所の宅配レストランのパンとスープ。親しくなった店主がアメリカを去るとき餞別にもらった不思議なパン種(夜中に歌いだしたり、完成したパンに笑顔が浮かんだりする)でパンを焼きはじめた彼女は、思いもよらぬ体験を次々することに!? 不思議なパン種を巡る奇妙な一族の物語、ロボットアームを駆使したパン作り、謎の地下ファーマーズ・マーケット……。『ペナンブラ氏の24時間書店』の著者がサンフランシスコを舞台に描く、奇想天外で爽やかなフード・エンタテインメント!
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〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 自分のことを「普通」だと感じますか。それとも違いますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2019/04/15 第444号の目次
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○「Scrapboxとハッシュタグ」#物書きエッセイ
○「かつてブログは遊び場だった」 #やがて悲しきインターネット
○「アウトライナーと発想法」 #知的生産の技術

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「Scrapboxとハッシュタグ」#物書きエッセイ

前回、Scrapboxについて熱く語ったら、なかなか反応が良かったので、気をよくしてまたScrapboxについて書きます。

今回は、ハッシュタグについて。

■ハッシュタグとページリンク。

話がややこしくなるので、先に言葉の整理をしておきましょう。

Scrapboxでは、リンクの作り方が二種類あります。一つがキーワードをブラケットで括る方法で、これはブラケティングと呼ばれています。

もう一つが、キーワードの前にシャープマークをつける方法で、これは呼称が特にないのですが、他のツールでの呼び方が流用されてハッシュタグと呼ばれることが多いです。ただ、そう呼んでしまうと、本稿ではややこしくなるので、これをハッシュタグ記法と呼ぶことにしましょう。

基本的に、Scrapboxではブラケティングで作ったリンクも、ハッシュタグ記法で作ったリンクも、振る舞いはまったく変わりません。違いがあるとすれば、CSS上の処理だけです。

よって、本稿でお話したいのもハッシュタグ記法についてではなく、いわゆる「ハッシュタグ」的な使い方についてです。

■ハッシュタグ的な使い方

「ハッシュタグ的な使い方」というのは、たとえば以下のページのようなものです。

例1:総本山:断片からの創造
https://scrapbox.io/rashitamemo/%E6%96%AD%E7%89%87%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%89%B5%E9%80%A0

例2:個別ページ:断片の操作法
https://scrapbox.io/rashitamemo/%E6%96%AD%E7%89%87%E3%81%AE%E6%93%8D%E4%BD%9C%E6%B3%95

個別ページ「断片の操作法」の下に#断片からの創造というリンクが添えてあり、同様のページが総本山ページ「断片からの創造」で一覧できるようになっています。

このように、本文の中には出てこない、そのページのコンテキストを示すために付けられるのが「ハッシュタグ的な使い方」です。別の言い方をすれば、「コンテキストタグ」となるでしょう。

で、こうしたハッシュタグ的な使い方は、そのまま情報のカテゴライズ(分類)と綿密に結び付くのですが、残念ながらScrapboxの使い方としては、5段階評価の3くらいでしかありません。

ページの本文には何もリンクがなく、ハッシュタグだけがある、というような場合であれば、2.5くらいの評価になってしまいます。

なぜか?

■ハッシュタグは時間を超越しない

ハッシュタグしかつけない運用方法をイメージしていきましょう。

Scrapboxにページを増やしていくと、「あっ、これは断片からの創造という括りでまとめられるな」とあるとき思いつきます。以降は、関連しそうなページにどんどん#断片からの創造をつけていけば、それらの情報が一望できてハッピーです。

そうです。「以降」なのです。ハッシュタグ的な使い方では、そのハッシュタグを思いついて以降の情報はつなげられますが、それ以前の情報はつなげられません。それをつなげるためには、わざわざ全ページを「精査」してハッシュタグをつけて回る必要があります。

それがもし100ページくらいならヘッチャラでしょう。500ページならなんとかやれるかもしれません。でも、1000ページなら? 1万ページなら?

1万1ページ目を作ったときに、過去の100ページがつながるようなハッシュタグ(コンテキストタグ)を思いついたとしてください。これはかなりの無理ゲーです。

そして、残念ながら、そうしたハッシュタグを事前に完璧に思いつくことはありません。そうした思いつきは、(特殊な能力を発揮させない限りは)必ず事後に思いつきます。Connect-the-Dots(点をつなげ)という言葉がありますが、線を引けるのは点を打った後なのです。

Twitterでも、「これは昨日つぶやいたことに関係するな」と思いつき、自分の過去ツイートを遡って該当ツイートに「連ツイ」することがよくあります。

もちろん、その過去のツイートをしたときは、「このツイートに関連することを、明日思いつくに違いない」なんて欠片も思っていません。当然、事前にハッシュタグをつけておくことは不可能です。

結局、ハッシュタグ方式でやっていく限り、膨大な蓄積の大半が、そのまま死ぬことになります。それらを接続するための手間が支払えないからです。

■ハッシュタグは大雑把すぎる

もう一つ、ハッシュタグによるリンクは、非常に大雑把なものにならざるを得ません。それは総本山ページ「断片からの創造」をご覧頂ければ一番でしょう。

そこには約90ページほどの関連ページが集まっていますが(2019/4/13時点)、それを見ても「ふ〜ん」としか思えません。あまりに数が多すぎて、次にどのページにジャンプすればいいのかの手がかりがないからです。

もちろん、「一覧できること」には価値がありますので、上記のページがまったく無意味というわけではありません。だからこそ、私も総本山ページを作っています。が、こうしたページであれば、別にScrapboxを使わなくても作れます。その意味で、Scrapbox的な使い方(その良さを十全に発揮させる使い方)ではない、というわけです。

■そこにあるつながりを活かす

大雑把な括りではなく、個々のページと近い内容を持つ別のページにジャンプできる。それがScrapboxの良さです。

しかも、です。

そのようなページ作りをしていると、「過去の1万ページを遡って一からつながりを作り直す」というような作業は必要なくなります。すでに、個々のページがつながっているからです。

このことは、一応頭では理解していたものの、ハッシュタグ的なものをつけない不安感はずっと付きまとっていました。それが改まったのは、#断片からの創造に関するページをたくさん作ってからです。

このページ群は、2017年に情報カードに書いていたものを1枚ページの形で転記して作成しているのですが、集まったページを眺めてみると、#断片からの創造というリンクをつけなくても、これらのページがつながりを持っていることがわかります。

たとえば、多くのページが断片という言葉を有していますし(そりゃそうだ)、カードや発想や認知という言葉でもつながっています。一覧(インデックス)がなくても、必要な情報は辿れるのです。

ハッシュタグ的なもので情報をまとめる行為は、大きな箱を用意して、そこに情報をどんどん放り投げていくようなものです。当然そこでは、「まとまり」は生まれますが、放り込まれた情報がどう関係しているのかはわかりません。

逆に言えば、放り込まれた情報がどう関係しているのかがわかるなら、大きなグルーピングは必要なくなります。

「まったくキーワードを共有していないものがあったらどうするんだ?」

こういう疑問もあるでしょう。しかし、根本的に考えて、それはグループと呼べるのでしょうか。何かしらを共有するからこそ、「グループ」と呼べるのではでしょうか。

AとBはキーワード「X」を共有し、BはCとキーワード「Y」を共有する。その緩やかなつながり全体がグループなのではないでしょうか。そして、それらがつながっている限りにおいて、AとBとCに共通するハッシュタグをおく必要はなくなります。CからBに飛べ、BからAに飛べればそれでいいのです。

でもって、このやり方ならば、後から要素がどれだけ増えても、全体の構造が変わることはありません。「大きな箱」には入れないので、ただただネットワークが拡大していくだけです。

■ツリーとリゾームの違い

おそらく、上記の文章を二年前の私が読んだら、相当眉をひそめると思います。「そんなもんで、うまくいくわけねーじゃん」くらいの啖呵は切ったかもしれません。

そして、その啖呵は半分は当たっています。というよりも「うまくいく」の定義次第で揺れ動きます。

先ほども書いたように、キーワードのリンクだけでページを増やしていく行為はネットワークの拡大に当たります。言い換えれば、それはリゾーム(根)の成長です。

よって、それがどれだけ拡大したところで、「本」が生まれることはありません。「本」とは、ネットワークを一定の形に切り出したツリー構造を指すからです。

つまり、Scrapboxでどれだけアイデアを成長させても、それでは「本」にはなりません。その意味で、これは「うまくは」いきません。メモを(育てて)本にする、という試みは頓挫します。

しかし、です。

見方を変えれば、話は途端に逆転します。ツリー構造を作る、という目的そのものを捨て去るのです。そうすれば、Scrapboxは抜群にうまくいきます。リゾームを貪欲に成長させていけます。

■メモ作りと本作り

この点が、私が大きく勘違いしていたことでした。

私は日々の書籍執筆のかたわら、日常的に思いつく「アイデア」の欠片を育てて、それを本にしたいと考えていました。比率で言えば、執筆に8の労力を当て、残りの2とか1をアイデアの欠片を育てることに使う。そんなイメージです。

問題は、その「アイデアの欠片を育てる」という行為の具体的なイメージにあります。

先に結論を書いてしまえば、そのときの私はその「メモの育成」を「本作り」に重ねていました。メモを育てる=本を書く、だったのです。

だって、メモを育てた後に待っているのは、本作りなわけですから、その二つを等号で結ぶのはおかしなことではないでしょう。

しかしながら、現実的な問題がありました。労力2や1では、「本作り」は進められないのです。だから、私のアイデアメモはただただ貯まるばかりでした。

前回の表現を引き継げば、私がやりたかったのは「執筆」+「研究」だったのに、やろうとしていたのが「執筆」+「ミニ執筆」だったのです。これではうまくいきません。

たとえミニであろうが、本を書き上げるには、大きなツリー構造を構築する必要があり、労力1や2では到底成し遂げられないからです。

しかし、労力1か2があれば、ネットワークに新しいノードを増やすことはできます。ツリーは直接作ってはいないが、将来ツリーとして切り出されるリゾームの育成は可能なわけです。

■さいごに

梅棹忠夫さんは『知的生産の技術』の中で、「カードは、メモではない」と書かれました。まったく同意します。その上で、自分なりの言葉を加えるとすれば、「本は、カードではない」となるでしょう。

カードを書くことは、一冊の本を書き上げることとは違います。カードを書くときは、「これが全体の構造でどんな意味を持ち、どのように位置づけられるのか」といったことを考えません。「あの本に属するのか、この本に属するか」ということも意識しません。

頭に浮かんでいる概念を、小さく一つ固着させる。ただそれだけです。そして、それを別の概念とリンクさせておく。ツリーに配置せず、漂わせておく。これが労力2でできる「メモの育て方」です。

カード、メモではないし、本は、カードではない。
本を書くことと、メモを育てることは別である。

この点を、ここ最近になってやっと理解しました。それで急速に労力2の使い方がうまくなった気がします。

もちろんこれは、8:2における、労力2の使い方の話であって、8とか10使えるなら、「メモを育てて、そのまま本にする」ことも可能でしょう。というか、多かれ少なかれ、本を書くとはメモの集合体を扱うこととイコールです。

ようは、小さい労力でできることと、大きな労力を要することがあり、それを混ぜて考えない方がよい、という話です。

で、冒頭の話に戻せば、ハッシュタグ的に情報をつなぐことはしない、というのが「小さい労力でできること」になります。これを意識すると、Scrapboxはかなり使い方が変わると思いますので、ぜひやってみてください。

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倉下忠憲

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倉下忠憲

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