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【読書記録】街とその不確かな壁

村上春樹氏の新作「街とその不確かな壁」読みました。
ネタバレしながら記録つけますので、ご了承下さい。


「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とは異なる形の対応があってもいいのではないかと考え、補完しあう作品として書き上げたとあとがきにあった。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はなんとなく手持無沙汰な時に何度も読み返している作品。
私は「ハードボイルドワンダーランド」大好き。
シャフリングという哲学的な技術にワクワクしながら読み進めた高校生の私の記憶が蘇ってくる。
私の頭の中では以下のような続編が長年期待されていた。

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僕の焼き切れてしまったジャンクションを修復し、第一回路の思考システムへと回復する方法が老博士によって開発された!
ピンクのスーツを着た太った娘に上手に冷凍されていた僕が解凍されるところからストーリーは始まる。僕はこうして世界の終わりから壁のこちら側の世界へ戻ってきたことになる。しかしもちろん「こと」は簡単に進まない。
「悪いことは重なるものなんだよ」
「記号士」や「組織(システム)」の人間も入れ替わり立ちかわり僕のもとにやってきて、パスタのゆで時間をしっかり守れないトラブル続出!やれやれ、また電話が鳴っている。世界中の人間が僕のパスタを間のびしたものにしてしまうために行動しているかのだろうか。
僕はただ森の樹木のように静かに誠実にこの小さな2LDKの部屋で暮らしたいだけなのだ。
みたいな。
いや、今更そんな話は書かれない。わかっている。
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そんな妄想はさておき、リタッチされた世界の終わりを私は楽しくなぞった。

「世界の終わり」の中に入って永遠を生きるという前作の結末は私たちが物語に求めたい結末と逆行していると感じ、それはそれで悪くないと思っていた。
でも本来多くの人間は喜怒哀楽を一角獣の頭骨にため込み壁の外に運び出してもらうことで平穏と永遠を保つ世界にひっそり生きていくなんて間違っていて、光があり影のある世界で古い夢を自分自身でもがき読みながら生きていかなくてはいけないのかもしれない。

一方世界はイエローサブマリンの少年に向かって、「普通ならそうする」という道を押し付けがちである。
同じ空間にありながら全く違う世界を生きているかもしれないイエローサブマリンの少年の本当の幸せとはなんなのか、彼らがありのまま生きることが出来る世界があればどんなによいことだろうと、切に願うラストでもあるのかと自分勝手に解釈してしまった。

そんな風に身勝手に解釈をしながら私の心にただ一つ深く残ったものは「新鮮なブルーベリーマフィン」です。
この本を読んだ日から新鮮なブルーベリーマフィンが食べたくて、たまらない疫病にかかってしまったようです。
これは悪い流行り病のようなもので、本当に新鮮なブルーベリーマフィンを手に入れて食べることが出来た時に熱が冷めていくと思われます。
あまりにも食べたくて先ほどマフィンを焼きました。
しかしブルーベリーがなく家にあった林檎を入れてしまったため、別の意味が付与された感じになってしまいました。

門衛からもらった林檎で作った林檎菓子(白いパウダー無しver)

どちらにしろ自分で作っちゃうとなんか違うんだよなあ・・・。
なので色々検索していたところ、行動範囲圏内でマフィンが美味しいと評判のコーヒーショップを見つけました。メニューにブルーベリーのマフィンもある!!近々うかがってこのブルーベリーマフィン熱を下げたいと思います。

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