つまり、不幸自慢はセルフ療法のひとつである。

はじめに

前回の投稿から約1週間。
それまでの間、記事を読んでいただいた方、「スキ」を押していただいた方々ありがとうございます。
これからの励みにもなりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、本日は日記から少し外れます。
標題「つまり、不幸自慢はセルフ療法の一つである。」は、この記事の結論となっております。

学のない僕が少し考え、「不幸自慢」について考えてみたいと思います。
さてまとまるのか。よろしくお願いします!

「不幸自慢」とは

言葉の通り、自分の不幸を他人に自慢することですが、つなぎ合わせた熟語なので、人によって意味合いが違うかもしれません。
また、「どこまでが不幸自慢なの??」というボーダーラインも、人によって違うでしょう。
ですが、なんとなく不幸自慢って良くないことだ、という認識があるのではと思います。

不幸なこと。
例えば、
「私はこんなに苦労している(してきた)」
「会社が〇〇で、こんな病気になった」

・・・そうです。
僕のこのnoteも、適応障害になったとか、こんな苦労とストレスがあって辛かった、などといった日記を投稿しており、人によっては不幸自慢と捉えられるのかもしれません。
もしかしたら皆さんも、不幸自慢をしたこと、逆に相手にされたことがあるのかも。

では、「不幸自慢」は、いけないことなのでしょうか。

ネットで検索してみても、「不幸自慢する人とは関わらないほうがいい」だとか、「ウザい」だとか、とにかく煙たがれるようです。
逆に悪いことが起きた時こそ、「病は気から」のように、発する言葉をプラスにしようとか、むしろ不安は不安を呼び寄せ、不幸自慢をするほど不幸になる、といった記事をよく見かけます。

病気になってわかった「不幸自慢」

まず、僕の「不幸自慢」は、これまでのnoteの記事を読んでくださればわかると思います。



どれも、「残業〇〇時間」「時給換算〇〇円で働いていた」「職場が〇〇で、こんなにひどかった」など、僕が病気になったであろう理由について、お話ししています。

しかし当の本人は、「不幸自慢」だと思って発信しているわけではありません。僕はこれまでの人生の中、自分に降ってきた不幸なことは、なるべく人には話さずに生きてきました。

努力とかを人に見せずに、本番で結果を出すことがかっこいい、という感覚に近いのかな・・・。

テストの勉強めっちゃしたのに、「ノー勉だわぁ」っていって100点取る、みたいな・・・笑(伝わってくれ!!)

したがって、病気になる前の社会人生活では、何が原因でこんなに気持ちが晴れないのか、会社において、何が自分とミスマッチだったのか、それが不透明なまま何となく過ごしてきました。

あくまでそれらを洗い出すための作業です。

それと、皆様からの「スキ」をいただいてからは、こういう記事を書いて発信することで、「考える」ということについて多少なりともお役に立てているのかもしれないという、ある種の承認欲求も芽生えてきました。
(そもそもnoteとは、そういうコミュニティですよね笑)
こういう考え方もあるんだな、というのがnoteの良いところで、間違ったことなどないと思っています。あくまでその人がどう考えているのか。
つまり、僕という一人の「事例」をご紹介しているにすぎません。
しかし、取る人が取ったら不幸自慢になってしまう。

おそらく、病気になったことがない方々からしてみれば、
「そんなこと言っている暇があったら辞めちゃえばよかったじゃん」とか、

自分もつらい中働いている人からすれば、
「私の方がつらい思いをしているんだから、甘えるな」などという気持ちが働き、「不幸自慢」として受け取られるのではないかと思います。(もちろん人それぞれですね。)

しかし、僕が病気になって思ったことは、
みんな育ちも違えばどう感じるのかも違うし、今ここで置かれている環境の中みんなそれぞれ頑張ってて、その中で起きた辛さや不満を「否定」することなんてできないと思っています。
残業一つでも、6時間だろうが7時間だろうが、その時間の長さが問題なのではなくて、その当人にとってそれが辛かったんだから、「自分の方が」とかででマウントを取ったり、「そんなこと言うなら辞めちゃえ、自分で決めた道でしょ??」などと否定することなんて一切できません。

結論

だからこそ、日々辛かったことや、耐えられなかったことを発信することは必要だと思います。僕も実際Twitterで呟いたり、このnoteに投稿することで、何が辛かったのかが「見える化」するし、「文字に起こす」ことで悲しみや怒りのピークが過ぎる気がしています。
不幸は不幸を呼ぶ、という考え方もあります(もちろん間違ってはいない)が、煙たがって否定する行為は、減っていってほしいです。
少なくとも僕は、そうやって自分に降りかかった不幸を発信している人を見たら、「言葉にしててすごい!」「辛かったんだなぁ・・・。」と素直に思えます。イイネやコメントができる機能があったら、迷わず押しに行きます。

少しでもそういうことに対し寄り添える人が増えたらいいなと思いつつ、もちろん不幸を発信することを「不幸自慢」として嫌な人もいると思うので、少なくとも否定してさらに追い込むようなことが減っていってほしい。

無理せず、気軽に発信していきましょう!!

発信に対し、少しでも否定が減りますように。

長くなりましたが、結論。

したがって、「不幸自慢はセルフ療法のひとつでである。」

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