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「PERFECT DAYS」を見て心にうつりたるよしなしごとを書きつくれば

この映画を見終わって、「これがここ数年の私のベストシネマだ!」と思ったが、少し時間が経つと、「怪物」もよかったなあ、「PLAN75」もいい映画だった、と去年観た映画が思い出されて、ベストワンなんて簡単に決められなくなった。そもそも感動を与えてくれた映画をどれがいちばんよかったかなんて比較すること自体、不粋かもしれない。いい映画を見るとつい考えたくなり、人にもよく聞いたりするのだけれど。ただ、平日の昼間に空いている映画館でいい映画を堪能できるのは、ささやかなる至福である、ということは断言できる。

さて、この映画を見て心にうつりたるよしなしごとを書きつくりたく。ネタバレバレですが、ネタをばらされて見る価値が下がるような映画ではないと思うので、よかったら読んでみてください。

物語は東京スカイツリーが見える東京下町のどこかにある古い木造アパートに住む、初老の公衆トイレ清掃員平山の平日と休日のルーティーンを淡々と、しかし丁寧に描いていくというもの。ストーリーとしてはそれだけ。

早朝近所の人が路地を掃く箒の音が聞こえてくると、平山は起き出し、布団を畳み、歯を磨き、髭を剃り、鉢植えに水をやり、階段を降りて下駄箱の上に並んでいる鍵や小銭などを順番にポケットにしまって玄関を出る。アパートの前にある自販機で缶コーヒーを買い、そこに停めてあるバンに乗り込む。平山が若い頃よく聞いていたであろう懐かしい洋楽をカセットテープで聞きながら、そして早朝の下町の景色を眺めながら仕事場に向かう。なかなか素敵な時間だ。これが平日の朝のルーティーンで、この同じようなシーンが映画の中で3回くらい繰り返される。

平山が担当するのは、「東京にこんなおしゃれなトイレがあるの?」とびっくりするような、まるでデザイナーズブランド・トイレとでも言えそうな公衆トイレ。それを平山は丁寧に丁寧に掃除していく。いくつかのトイレの清掃を終えるとコンビニでお昼を買って神社に向かい、鳥居の前で一礼して境内にあるベンチに腰を下ろすと、木漏れ日を見上げながらサンドイッチを食べる。そして、ポケットから小型カメラを取り出し、木漏れ日の写真を撮る。隣のベンチでは、いつも同じOL風の若い女性がお弁当を広げている。このルーティーンも数回繰り返される。

1日の仕事が終わると、夕方のまだ人の少ない銭湯につかり、浅草の地下街の安居酒屋に向かう。気のいい居酒屋の店主が「お疲れ〜」と言っていつものように酎ハイ(多分)を出してくれる。それをおいしそうに飲む。このシーンも数回登場する。

休日は1週間分の洗濯物を持ってコインランドリーへ行き、洗濯をしている間にカメラ屋へ行って前回頼んでおいた木漏れ日の写真を受け取り、その週に撮ったフィルムを置いていく。洗濯物をアパートに持ち帰り、写真を整理する。写真は日付がついた缶に入れられ、押し入れの中に日付順に整然と並べられる。

夕方になると、美人の女将さんのいる小料理屋に飲みに行く。すでに常連のおじさんたちがいて、いつものように誰かが女将さんにリクエストして誰かがギターを爪弾くと、女将さんが「日の当たる家」を歌ってくれる。

平山が時々車の中でカセットテープで聞いているこの曲を、女将さんが日本語でいい感じで歌う。こんな小料理屋があったら私も常連になりたい。女将さんの歌が上手いのもそのはずで、この女将の役を演じているのは石川さゆりだ。

平山は1日が終わると、寝床でしばらく本を読んでから眠りにつく。

こうして平山の平日と休日のルーティーンを丁寧に描いていくのだが、毎日同じことの繰り返しのようにしか見えない平凡な日常にも、平山の気持ちにさざ波が立つような小さなできごとは起きる。それは、仕事の相棒である若者のいい加減さであったり、なのにその若者の、平山にはできないような素直な優しさを目にすることだったり、神社の境内で同じベンチに腰を下ろして見上げる木漏れ日が毎日違って見えることだったり、密かに思いを寄せている小料理屋の女将の「日の当たる家」がなぜああも切ないのか、その訳を偶然知ることだったり、いつも行く居酒屋で店主がいつものように「お疲れ〜」と言いながら持ってきてくれる酎ハイのグラスを、いつもとは違うテーブルで、いつもとは違う客の隣で味わうことだったり。

そのさざ波のようなできごとをヴィム・ヴェンダースはひとつひとつ丁寧に拾い上げ、平山はそのささやかだけれど、さざ波のように小さく心を揺らすできごとを、自分の人生を豊かにしてくれる宝石のように慈しんでいる。

ラストシーンは車を運転しながらアパートに向かう平山の顔のアップがしばらく続く。役所広司って本当にいい役者だなあと思った。

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東京の下町の風景が美しかった。東京スカイツリーもしばしば出てくる。東京タワーが長年東京のシンボル、都会のシンボルとして君臨してきたのに比べ、東京スカイツリーはなぜか私にはちょっと寂しげに見える。同じような建造物なのに、バブル期にトレンディドラマの背景としてよく登場した東京タワーとは違うなあといつも思っていたが、スカイツリーがトレンディドラマの登場人物のような人たちではなく、スカイツリーの周辺で暮らす平山のような人たちの人生を見守っているからだろうかと思うと納得できた。

全体的に映像の色調が私にはやや青みがかって見え、それが終始印象的だった。ヴェンダースの色彩感覚が日本人とは違うからだろうかと最初は思ったが、もしかしたら、これは平山が愛用していた古いカメラで写した写真の色を再現していたのかもしれない。

映画の中では神社の境内で平山が見上げる木漏れ日や、平山の夢の中に出てくるらしい木漏れ日がしばしば挿入される。木漏れ日がこの映画を象徴しているように見えた。

今、このエッセイを書いていてふと思った。さっき私が「さざ波」と表現したものをヴェンダースは「木漏れ日」で表現したのではないだろうかと。太陽の日差しが木の葉の間を通してちらちら揺れる様子はとても美しく、全く同じ木漏れ日を見ることはできない。木漏れ日は一期一会だ。神社や公園に行けば木漏れ日を見ることはできるが、珍しくも特別でもないので、見ようとしなければ目に入ってこないし、美しさに気づくこともなく見過ごしてしまう。でも、誰でもその気になればその美しさを慈しむことができる。そういうものの象徴として木漏れ日が使われているのだろうと思った。

唯一引っかかったのは「Perfect Days」というタイトル。私はパーフェクトなものにあまり美しさを感じたことがなくて、また、パーフェクトなものは脆いとも感じている。パーフェクトになった瞬間にパーフェクトさは脆く崩れていくようにも感じている。なぜこのタイトルなのだろう。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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