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【映画「ハンガー・ゲーム」】 家に帰りたかっただけの女神


「ハンガー・ゲーム」を観ました。全4作一気観してまーじでめちゃくちゃおもしろかったです。「あーアレでしょ、観たことないけどたしかデスゲーム系だっけ、そういうの苦手なんだよね」って鑑賞前のわたしみたいなこと言うひとはぜひ観てその発言を後悔してくださいまじですごいよこれ。ただわたしは観ながらめちゃくちゃ落ちこんだしひさしぶりに映画で悲しくて泣いた。いやもちろんそれもおもしろいからこそだよ。以下あらすじとシリーズタイトル&いつものネタバレに配慮しない感情まかせの感想。


1作目「ハンガー・ゲーム」
2作目「ハンガー・ゲーム2」
3作目「ハンガー・ゲーム FINAL:レジスタンス」
4作目「ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション」

   全作をとおして舞台は貴族が政治の中枢を握る国パネム、その首都キャピトル。約70年前に終結した戦争以降、12歳から18歳までの男女を1名ずつくじで選び、生き残りと報酬をかけて最後のひとりになるまで互いに殺しあわせる「ハンガー・ゲーム」が反乱抑止兼貴族の娯楽として確立されていた。第12地区出身のカットニスは、第74回のハンガーゲームのプレイヤーに選ばれてしまった妹プリムを庇って志願する。おなじく12地区の男性プレイヤーとして選ばれたピータとともにゲームに参じる。ふたりはゲームを生き延びるが、その後、全12地区が集結した反乱軍と政府との戦争がはじまる。



   ゲームのなかで、カットニスはルーという女の子と行動をともにするようになる。ルーの歳はたぶんプリムとおなじくらいか、ほんのすこし上くらい。この子との出会いと別れがすべてを変える。

   カットニスは家族との約束のために生き残って故郷に帰らなければいけなかったけど、ルーに出会ったことで、「ルーのためなら」だれかを殺してもよくなった。それと同時に、ルーの存在はカットニスの唯一の「死んでもいい理由」になった。あの時点でのカットニスなら、ルーのためならピータだろうと自分だろうと殺せただろう。わたしはずっと、ルーがカットニスを、あるいはカットニスがルーを手にかけないといけない展開にならず、第三者によって殺されたルーをカットニスが看取れたことはお互いにとっての不幸中の幸いだとおもっていた。でも実は、カットニスのほんとうの不幸はここからはじまったとも言えて、ルーが殺されたからこそふたりの関係は永遠に「美しくかなしい協力者」のままになってしまった。カットニスが最終的に生き残れたのはピータと演じた「悲劇の恋人」だけど、反乱の意思を意図せず焚きつけカットニスを反乱の象徴たらしめたのはこの泣きながら幼い少女を埋葬する少女という「協力者」の画だった。もしかしたらここが、カットニスの唯一の死に場所だったのかもしれない。

   1作目のハンガーゲームのプレイ中、カットニスは自分の手でひとを殺す。生きて家に帰る手段がそれしかないから。3作目と4作目、特に3作目の、反乱の象徴に祭りあげられたカットニスは、敵の戦闘機を射落としたことを除けば対面ではだれも殺していない。なのにゲームの比じゃないくらいたくさんの人間が、反乱の女神・カットニスの名の下に死んでいく。



   この物語のすごくて残酷なところは、カットニスは結局、だれの仇も討てないんだよ。悪の親玉である政府のスノー大統領のもとに忍びこんで単身でスノーを殺すと決意しても、その道中、市街戦に巻きこまれて、救護班として現地にきてしまったプリムが目の前で死んで、気を失ってる間に戦争がおわるの。

   プリムを守りたくてゲームに参加したのに、そのゲームに勝って帰れたのに、そのゲームをきっかけにはじまった戦争で最初の理由だったプリムを失って、スノーにも手をくだせず、仲間の犠牲を越えてまた生き残ってしまって、それでおわり。



   戦争と少女、というとわたしはどうしても「風の谷のナウシカ」の原作コミックのナウシカや、「獣の奏者」のエリンをおもいだす。青ざめた顔で戦火の中に立つ少女はとてつもなく綺麗。でもそんな悲しみと怒りにまみれた美しさなんかいますぐ捨てちゃったほうがいい、大衆からの期待と個人の感情に引き裂かれて泣く必要はないんだよ、あたたかい場所でやさしい味のスープを飲んで好きなひとの傍で一切の悪夢から守られて眠ってほしい、頬が攣るくらい笑って、眉間の皺が消え失せたやわらかい額でいられるような、そんな場所に連れだしてあげてほしい、彼女たちを、いますぐ、どうか、と祈るようにおもってしまう。


   最後の市街戦まで、そりゃ仲間は死んでるけど、その時点までカットニスが最も守りたいとおもっていた身内はだれも死んでないんですよ。それが最後の最後で、よりによってプリムを奪われるんだよ。しかもそれは仇とおもっていたスノー大統領のせいじゃなくて、味方だったはずの反乱軍の作戦によってで、しかもその作戦には恋人であるゲイルが噛んでいて。

   ナウシカやエリンのように、生まれ持った力や立場や血筋があればまだなにか成し遂げられる側になれたかもしれない。カットニスはほんとうに、タイミングと本人の気性が偶然あったから、「象徴」を与えられてしまっただけだった。なにか特別な力に目覚めたわけでもなく、大いなる存在に選ばれたわけでもなく、カットニスはただ家に帰りたかっただけの女の子だった。ただそのためだけにひとを殺し、貴族からの同情を買う演出として「好きあっていたのにハンガーゲームのプレイヤーとして選ばれてしまった悲劇の恋人」をピータと演じ、故郷の恋人ゲイルを想いながらピータにキスをし、ピータの腕の中で眠る。

   ピータはそんなカットニスを心中を知りながらカットニスだけを愛しつづけていたけど、カットニス自身は最後までピータに恋はしていなかったとおもう。

   ゲイルは自らとピータを比較して「彼女が生きていくのに必要なほうを選ぶだろう」と言うけど、カットニスに必要なのはきっと愛よりも休息だった。カットニスからしたら失うばかりだった戦争のこともハンガーゲームのことも一切思いだしたくなんかないはずで、そんな中でさあ、ピータなんてカットニスにとってだれよりもそれらを思いださずにはいられない人物なんだよ、でも、妹を失って恋人に裏切られ仲間が死ぬところも敵が殺されるところも何度も見てきて疲弊しきったカットニスに寄り添えるのはもう絶対に、おなじく地獄を生き残ってしまったピータだけなんだよな。ピータだけが、戦争もゲームも喪失も知っているからこそ、なにも語らずに傍にいられる唯一になり得たんだとおもう。お互いにとって、相手は「ゲームと戦争」の象徴そのもので、同時に、お互いにとっての「救済」にいちばんちかい形をしていたのも、カットニスにとってのピータであり、ピータにとってのカットニスだったんじゃないかな。


   花畑の中で子供とピータを遠くに眺めながら腕の中の赤ん坊に笑いかけるカットニス、という理想郷のようなハッピーエンドの画で物語は終わる。わたしはその後のエンドクレジットを観ながら、なんつーえぐい終わり方してくれてんだ……って脱力してしまった。あの陰惨な日々を生きたふたりをコテコテの幸せで締めくくるのがなんか偽物っぽくて、かえってむなしく感じたから。

   ただしばらく経って思い返してみると、幸せ!完!って単純な幕引きなわけじゃなかったのかな、ともおもうようになった。カットニスもピータも、「ふつうの幸せ」がなんなのかをまだ模索してる最中にいたんじゃないかとおもう。「ふつう」っていうのは、飢えず、凍えず、政府に怯えず、子供が死のゲームに命を奪われることのない世界。反乱軍の勝利から数年は経っているはずだけど、ふたりの子供はまだ幼かったから、たぶん親の立場での実感として「子供の成長を見守ることができる世界」を知るのはこれからなんだとおもう。疲れ切ったふたりが「ふつう」という型をもとめるのは残酷で自然な成り行きだったのかもしれない。カットニスの傍にピータがいてくれる終わり方でよかったとおもうけど、ピータの愛が報われたんだとはぜんぜんおもえなかった。

   それでも、カットニスは絶対にピータを心から大切におもっていたのは間違いないし、熱をあげておもいいれるような恋じゃなくても、あれはカットニスのピータへの愛だった。



   ただこの映画に関しては、個人的には愛だの恋だのでおわりたくないので、とにかく観てくださいとしか言えない。
   作中のハンガーゲーム自体の内容なんて残忍そのものなのに、貴族のなかではほんとにただのエンタメなんだっていう描かれ方や演出もものすごいんだよ。プレイヤーたちの衣装にせよトークにせよ、まんまと貴族とおなじ目線でわくわくしながらゲーム開始までを観てしまう。

   あとこの4作を観終わったちょうどその日にハンガーゲームの新作映画の制作が発表されてタイムリーすぎてびっくりした。新作は本編では悪の親玉だったスノー大統領の若き日々の話らしいですね。わたしはたぶん新作は観ません。観たとしても何年も先になるとおもう。戦争終結後の処刑される直前、カットニスとスノーの対話がわたしはかなしくて、でも好きで、後出しの過去によってあの瞬間のスノーに幻滅したくないから。



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